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2024年のこだま便 |
風の小屋5周年記念祝賀会 |
風の小屋5周年記念式典 |
「八月の御所グラウンド」からの回想 |
気候危機の克服 |
「どう生きるか」への問い |
2023年のこだま便 |
おやじ山通信 第6号 |
おやじ山の秋2023 |
二人の作家の「ヒロシマノート」 |
おやじ山の初夏<雨の中の風景> |
人類はどこで間違えたのか |
ドロシー・デイの言葉 |
2022年のこだま便 |
おやじ山通信 第5号 |
民主主義の本質 |
二つの小さな美術館-野の花館と無言館 |
戦争と人権 |
サダコとダニエルの物語 |
おやじ山の春2022 |
場所を辿る旅<国分寺> |
教科書と麦を |
欲望の臨界点 |
2021年のこだま便 |
おやじ山通信 第4号 |
おやじの手紙 |
シモーヌ・ヴェイユの言葉から考えること |
露草の歌 |
みるく世の謳 |
サクラに寄せる日本人の「美しい情緒」 |
コロナ禍で考える未来社会 |
旅で出会った言葉(2) |
旅で出会った言葉(1) |
風の小屋造り(8)最終回 |
2020年のこだま便 |
おやじ山通信第3号 |
風の小屋造り(7) |
「風の電話」と「風の小屋」 |
日本点景(紀伊半島編) |
2019年のこだま便 |
中村哲を殺したニッポン |
風の小屋造り(6) |
風の小屋(ゲストハウス)造り(5) |
「福島は語る」人間の尊厳とは
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「宝島」を読むー沖縄の叙事詩ー |
ノーマ・フィールドの言葉 |
2018年のこだま便 |
ゲストハウス造り(4) |
一杯のかけそば |
おやじの言葉が今聞こえる |
裸体考 |
ゲストハウス造り(3) |
ゲストハウス造り(2) |
ピザ窯造り |
2017年のこだま便 |
山へ帰ろう |
8月の歌 |
新おやじ小屋造り |
森の授業) |
日本点景(東北編) |
鮎と鯉とで鱚をして |
日本点景(四国編) |
2016年のこだま便 |
弱いのも悪くない |
忘れ得ぬ夏−その2− |
おやじ山の春2016(photo) |
弔辞 |
現場の声を聴け |
日本点景(南九州編) |
2015年のこだま便 |
忘れ得ぬ夏 |
おやじ山の夕間暮れ |
父なるふるさと母なる家 |
寺山修司の歌が聞こえる |
SEALDsのデモに参加 |
学生の姿が見えない |
世界で最も貧乏な大統領の演説 |
トマ・ピケティを読む |
日本点景(中国・九州編) |
レオ君への手紙 |
「戦」の「後」であり続けるため
に |
2014年のこだま便 |
再び "There is no wealth, but
life."のこころ |
俺の経済学事始 |
第65回全国植樹祭式典に参加し
て |
長岡大花火 |
俺が愛した黄土 |
故郷は緑なりき |
希望の在り処 |
雪中の彩り |
2013年のこだま便 |
悲しみを感じる旅
息子に繋ぐもの
アンパンマンの歌のように
俺の山暮らし考
おやじ山春近し
2013厳冬おやじ山
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2012年のこだま便 |
両親の居ます山
新雪の朝
わたしの「不思議」−金子みすゞ
の世界−
文化を繋ぐ風景
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2011年のこだま便 |
北の森の沈黙
2011秋・村上旅情
ヒロシマからの祈り
佐渡ヶ島・はる花紀行
ふるさとの山・春日を浴びて
−守門岳絶景−
ふるさとの山・春日を浴びて
−萱峠への道−
おやじ山・春の女神
郷土の方言−「鳥」編
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2010年のこだま便 |
郷土の方言−「虫」編
「無言館」再び
飯豊山遠望
針ノ木・山の記
針ノ木・花の記
夢の世界−おやじ山・蛍の夜
雨の小屋の杜子春
おやじ山の稀少動植物
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2009年のこだま便 |
おやじ小屋の焚き火
守門岳 春景
雪国の焚き木考
マルバマンサクの危機
日本海残照
佐渡ヶ島花紀行
国家の品格
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2008年のこだま便
チベット紀行-祈りの民の肖像
雪国の植物考
おやじ山の生き物考
錦繍 野々海高原
真に守るべきものと祖国
別れ
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2006年までのこだま便
おやじ小屋と「アイノラ」
山で眠る
おやじ小屋の雪堀り
2006年早春−獣たちの気持ちと
は−
「無言館」の絵と向き合って
闇の中を見る目
北ア・2006年夏 山の風景
北ア・2006年夏 花の風景
北ア・2006年夏 蝶と鳥の風景
どんぐり山が消える
今年のクマ被害 |
2007年までのこだま便 |
「カマキリは大雪を知っていた」にビックリ!
マレーシア植林紀行
おやじ山の花の移ろい-立夏の頃
懐かしの「黄土」
シルクロードの旅「砂漠の風景」
おやじ山の秋・2007
<その1−キノコ異変ー>
おやじ山の秋・2007
<その2−花とドングリの怪ー>
おやじ山の秋・2007
<その3−錦秋ー>
おやじ山の秋・2007
<その4−空への想いー>
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