山のパンセ(その3)

おやじ小屋の雪堀り

20062月、以前から思案していたが、いたたまれなくなっておやじ小屋へ向かった。越後では昨年に続く大雪で新潟県津南町では4mもの積雪で町が孤立しているという。更に悪いことには、2月に入って何日か雨が降った。屋根に降り積もった雪が雨を含むとずっしりと重みが増すのだ。1昨年の新潟県中越地震の後の大雪で、おやじ小屋の一部が30cmも沈んでしまった。地震で地盤が緩み、さらに屋根の雪に押されて柱が地中にめり込んでしまったのである。それで今年はおやじ小屋の雪堀り(長岡では屋根の雪降ろしのことを「雪堀り」という)に行くことにした。

 長岡に着いて先ず実家に寄り、倉庫に預けてあったスノーシュー(カンジキを歩きやすく改良したようなもの)を取り出し、シャベルとスキーのストックを借りて山に向かった。実家にいて小学校の先生をしている姪のボンちゃんに、麓のスキー場まで車で送ってもらった。中越地震の影響で、さすがスキー場も閑散としている。空のリフトが寂しそうに斜面を登っていく。
 雪道を歩き出すとやっぱりウキウキとして来る。強い寒波が来ているとの天気予報だったが、間断なく雪が降り続くといった状態でもない。時折ぱっと青空さえ覗いて眩しいほどの雪景色である。
 東山公園の作業道路の入口でスノーシューを履き、すぐ脇のハイキングコースの尾根道に入る。ここから先は、この冬まだ誰も踏み入っていない筈の新雪の原野である。スノーシューを履いているとはいえ歩くたびに2、30cmはどふる。(どふる=雪に沈み込む、という長岡弁か?)嬉しくてワクワクと逸る心を抑えながら一歩一歩新雪の斜面を登る。
 眺めの良い尾根に出て一休みする。振り返ると真っ白い雪の上に下から辿って来た踏み跡のトレイルがここまで続いている。一瞬雪が降り止んで灰色の雪雲の間に青空が広がり、ぱっと陽が射した。目の前の銀色の世界の、何と美しいことか! 眼下に広がる白い長岡の街もところどころに陽が射して、まるで雪のパッチ模様である。
 再び尾根を歩き始める。ムシカリの枝先に付いた茶色い冬芽が、まるでウサギの顔のように見える。枝の先にピンと立った2本の葉芽がウサギの耳で、その真中の丸い花芽がウサギの顔である。この厳冬期に緑の葉を付けている広葉樹はエゾユズリハだけである。割と大きな葉に雪を載せて葉をだらりと垂らして寒さに耐えている。秋、いの一番に真っ赤に色づくヤマウルシも、今や種を落とした後の房状の外果皮だけを枝に残して風に揺れている。それから、マルバマンサクの花芽の1つが、何を勘違いしたのか、早くも黄色く蕾んで春を窺っていた。

 麓から1時間かかってようやく「見晴らし広場」に着いた。雪の無い時期なら15分程の距離である。地震で壊れた展望台の上は物凄い積雪量である。2mはあるだろう。「果たしておやじ小屋は大丈夫だろうか?」と益々心配になって来た。
 ここから小屋まではほぼ平坦に道が付けられている。しかし雪が降れば勝手が違って、急な斜面に付けられた道や行く手に低く枝が張り出している所は実に難渋した。大きく尾根の方へ高巻きしたり、少し谷に下りてから再び道とおぼしき場所に戻ったりと、大汗をかくのである。谷に下れば吹き溜まりの雪で腰の辺りまで埋まってしまう。

 小さな霰混じりの雪が強くなったり弱まったり、一時止んだりと全く気ままなテンポで降っていたが、それでも瞬間の陽射しのプレゼントは素晴らしい冬景色を見せてくれた。その純白の雪にミズキやカンボクやミヤマガマズミの真っ赤な実が映えて得も言われぬ美しさである。雪を被ったミズキの枝を見上げると、赤や紫黒色の小さい実がいっぱい付いて、それが冬の陽射しにキラキラと輝いてまるでクリスマスツリーの飾りのようである。びっしりと実を付けたカンボクの枝は、雪の重みも加わって寒そうにうな垂れている。この木はサハリン、千島、北海道、そして本州では日本海側の北国の山地が生育域で、太平洋側の地域には生えないという。9〜10月にきれいな真っ赤な実をつけるが、この実は苦くて食べられない。だから鳥も敬遠してこうして冬でも実が残っているのだ。しかしまだ試してはいないが、苦いカンボクの実も一冬雪に晒されると甘くなるのではないか、と思っている。すると春になって南に渡っていた冬鳥が北に帰る時、残っていたこの実を食べて北に種を運ぶ。かくして寒い地域が好きなカンボクの北国への生存分布戦略が達成されることになる、と考えるのだが如何だろうか? 春先にカンボクの実を見つけて食べて試してみようと思っている。
 弱りかけたミズナラの木に、未だ落葉できないでいる茶色い葉がたくさん付いていた。こんなことは過去には無かったように思う。そして昨年の秋にはドングリの実が大量結実した。未来の不安を予測して精一杯の子孫を作り、そして疲れ果てて寒さから身を守るための葉を落とす行為まで辿り着けなかったのかも知れない。地球温暖化という世界規模の環境問題にようやく気づきはじめた人類は、果たして大丈夫だろうか?

見晴らし広場から小屋まで更に1時間かかった。普段なら10分の距離である。午後2時半になっていた。
 おやじ小屋は、無事だった。小屋全体がすっぽり雪に覆われ、屋根の雪は2mほどにもなってどっかりと小屋の頭上に鎮座していたが、おやじ小屋はその下で「う〜ん!」と歯を食いしばって必死に耐えているかのようだった。小屋の周りにはキツネだろうかテンだろうか、つい先ほどまで駆け回っていたような獣の足跡が縦横無尽に走っていた。
 帰りの時間を考えると気が急いて休む間もなく屋根に上がった。周りの雪嵩が高いので屋根に上がるのにも一跨ぎである。「大変だったなあ・・・」「重かっただろうに・・・」と心の中で屋根に声を掛けながら、およそ1時間。小屋の3分の1程終わったところで屋根を降りた。残りの作業は明日またやることにする。

午後3時半、下山開始。来た時のトレイルを忠実に辿って午後5時過ぎにスキー場に着いた。しばらく前の下山途中にスキー場のスピーカーから「蛍の光」が聞こえ、今はもう暗くなっている。昼、姪から車で送ってもらって降りた場所のスキー場のゲートに立っていると、管理人が黄色いロープを張りに来た。そして私を見て「どなたかお迎えに来なさるのかね?」と尋ねた。懐かしい長岡弁である。「ええ」と返事をしてほっと心が和んだ。姪のボンちゃんがまた迎えに来てくれることになっていた。

実家に泊まって、2日目はボンちゃんの車を借りて山に向かった。昨晩から明け方にかけて窓の戸がガタガタ鳴って吹雪いていた。里での積雪は20cmだったが、登山口では30cmほどの新雪である。昨日と同じ場所でスノーシューを付けていると、休日のスキー講習会でもするのか、通りかかった小学生の団体の1人が「センセー、あれもスキー?」と聞いている。「これはね、今風のカンジキで・・・」と説明してやろうと思ったが「おじさん、それ履いてこれから何やるの?」と言われてしまうと、説明がややこしくなって困ると思って止めてしまった。

登り始めると昨日の踏み跡はすっかり消えて、かすかに窪みが分かる程度である。その窪みを辿りながら50歩あるいては10秒休み、また50歩あるくというペースで尾根を登った。時々全く踏み跡が分からなくなって大きくどふって(雪に足を捕られる)しまう。 
 立ち休みしながら振り返ると、遠くに弥彦山、そしてその手前の越後平野の一角が午前の陽射しに明るく輝いている。弥彦も昨夜の雪で真っ白である。信濃川の奥に望める西山の連山も何となく明るい感じで、天気が期待できそうで嬉しい。(しかし、この日は終日雪が降り続いた)

9時55分、見晴らし広場に着いた。ここまで45分、昨日より15分の短縮である。そしてここから尾根の方に高巻きして、昨日と同じコースをおやじ小屋へ向かう。何と私が昨日付けた踏み跡のかすかな窪みに沿ってウサギの足跡が続いている。つい今しがた、私の気配で逃げた新鮮な足跡である。やはり野生の動物でも人間がつけた少しでも硬い踏み跡の上を走るのが楽なのだろう。
 新雪が深くなって来た。多い所で40pはあるかも知れない。何度か踏み跡を見失ったが10時40分におやじ小屋に着いた。登山口から1時間半、昨日よりは30分の時間短縮である。

小屋のすぐ前の100年杉の根元に腰を下ろし、幹に寄りかかってしばらく休んだ。そして持ってきたミカンを食べていると、近くの木の枝にぱらぱらと10羽ほどの小鳥が飛んできて留まった。デジカメを取り出す間もなく小鳥の群れは谷に向かって斜面を下り、そして谷を越えて向かいの白い山肌を登って行った。はて、今頃この山に来る鳥は何だろう? それからほんの一時後に、今度はわずか10mほど先の枝に小鳥が1羽飛んできて留まった。まるで先ほどの集団の斥候のように、こちらを窺っているようなのだ。幾分長い尾を小刻みに下へ震わせているしぐさはジョウビタキに似ている。しかし深い雪に覆われたこの山にジョウビタキなど来るのだろうか?

「さて・・」と腰を上げて屋根に上る。昨日の続きの作業の開始である。今まで降り積もった何層にもなっている雪をシャベルで掘っては放り投げていく。最上部がふわふわの新雪、そしてその下のやや硬い白い雪、その下が細かいザラメ雪、更にその下に重たく粗いザラメ雪、一番下がカチカチに凍った氷の雪である。下に堀り進むほど力を入れてシャベルを打ち込まないと雪のブロックが取れない。そしてこの重い雪を腰を屈めて掬い取るのである。「あっ」と腰に手を当てた。何度か病院通いをした例の兆候である。しかしここまで来て雪堀りを止める訳には行かなかった。 途中、何度も休んでは腰の様子を推し量り、何とか小屋と物置、そして昨年建てた作業小屋の雪堀りが終わった。途中からは屈み込む姿勢を止めて底の雪を大分残してしまったたが、仕方が無い。
 時計を見ると午後2時40分である。おやじ山の冬景色をゆっくり満喫したかったが、帰りの途中で腰痛のため歩けなくなったりでもしたら、それこそ遭難である。痛む腰をゆるゆると伸ばしておやじ小屋を後にした。ちょうど午後3時だった。

車の置いてあるスキー場の駐車場には何とか明るいうちに着けた。車の中に入ってほっとため息をつく。エンジンをかけて暖房を入れ、目を閉じると雪にすっぽりと埋まったおやじ小屋の情景がまぶたに浮かんだ。

(2006年2月21日記す)
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