山のパンセ(その79)

 おやじ山の夕間暮れ

 昼間は山を下りてホームセンターで刈払機の修理を頼み、それから「お山の家」に行って風呂に入って、コインランドリーで溜まった衣類の洗濯。午後6時半に一通りの用事を終えて、山道をおやじ小屋に急いだ。

 道端ではヤマユリの蕾が昨日の雨で次々と弾けて、むせる程の香りである。雨上がりのヤマユリは殊のほか香りが強く、ある種の淫靡で蠱惑的な匂いを放つ。
 そして潮騒のように響き渡るヒグラシの声。明け方の弾けるような鳴き方とは違って、まるで鈴を振るような澄明な響きが、暮れなずむ空と、夕間暮れの山と、蒼く沈む森に漂っていた。「カナカナカナカナ・・・・」の「カ」音は、「カ」と「ケ」と「ク」の3音の中間音である。その静謐な鳴き声が、穏やかな抑揚をつけておやじ山の風景の中に吸い込まれていくのだった。

  夏草の茂りの上にあらわれて風になびける山百合の花 (若山牧水)
  一山(いっさん)のかなかな啼ける夕まぐれむらぎも蒼くもどるけもの道 (前登志夫)

 小屋に着いて、早速外のデッキに酒瓶を立て、ヒグラシのメロデーに全身を委ねながら茶碗酒を呑んだ。
 静かに夜が浸透してきていた。
 つい先ほどまで明瞭だった茶碗の中の液体のゆらめきは、いつしか不分明な翳となって底に沈み、ヒグラシの鳴き声は、夜の闇に呑み込まれながらか細くなって、プツリと止んだ。午後7時半だった。
 
 この夕間暮れ時に感じる開放と安寧は、果たして何なのだろうか、といつも思う。ヒトが動物の一種として持つ野性と根源的な情動とを呼び覚ます力を、夜の闇は確かに持っているのだと・・・・・・。


(2015年8月14日  記)

 「日記-仙人のつぶやき-おやじ山の夏2015」(7月24日日記)を一部修正して転載