森のパンセ   山からのこだま便  その102(2019・3・2)

「宝島」を読むー沖縄の叙事詩ー
 

 一言で言えば、タフな小説である。(何しろ本文で541ページ、厚さ3cmもあった)小説の帯には、「第160回直木賞、第9回山田風太郎賞の2冠達成」のキャッチの他に、「ミステリー」、「青春時代」などのコピーもあって、なにやら推理小説や青春物語の印象を与えてしまいそうだが、これは沖縄(ウチナー)を舞台にした沖縄人(ウチナンチュ)のレジスタンス(抵抗)物語である。さらに言えば、沖縄の郷土愛とアイデンテティを伝える啓蒙書である。(だから「宝島」である)
 全編にわたってふんだんに沖縄の方言(ウチナーグチ)が使われており、作者が沖縄人(ウチナンチュ)の語り部となってこの小説を編んでいることが分かる。

 小説の時代設定は、沖縄がアメリカの施政権下にあった1952年から1972年の本土復帰(沖縄返還)までの20年間で、その間に起きた沖縄(ウチナー)と米民政府(アメリカー)、さらに本土(ヤマトゥ)との間の歴史的事実(強盗、殺人、強姦、轢き逃げなどの数々の米兵犯罪事件、小学生11人を犠牲にした米軍機墜落事故、コザ暴動、キャンプ・嘉手納の毒ガス放出事故(レッド・ハット事件)、1970年の沖縄県民総決起大会など)をきっちりと織り込みながら、英雄と慕われていた戦果アギャー(米軍基地から物資を盗み出す者)のリーダー「オンちゃん」の行方を探し続ける3人の若者(恋人ヤマコ、親友グスク、弟レイ)の波乱と苦悩と冒険の物語である。

 この厖大な紙数の物語のなかで、英雄オンちゃんの事がしばしば語られながら、実際にオンチャンが登場するのは最初と最後の数ページである。その時に言ったオンちゃんの言葉「そろそろほんとうに生きるときがきた」が、多分この小説のキーワードである。その背景にあるのはもちろん、さんざん米民政府(アメリカー)と本土政府(ヤマトゥ)がグルになって沖縄(ウチナー)に苦難と負担を強い、騙されながらも、沖縄人(ウチナンチュ)が必死に抵抗を続けてきた歴史がある。
 小説の冒頭部分では、『それはアメリカと日本(ヤマトゥ)が、あの条約をかわす前の年のこと。・・・戦果アギャーの先頭を走っていたオンちゃんは、・・・雄々しく呼吸を深めて、こう言ったのさ。「さあ、起(う)きらんね。そろそろほんとうに生きるときがきたーー」』と。そしてこの小説は、以下の言葉で終わる。『(われら沖縄人(ウチナンチュ)はじきに嘆きや絶望にも飽きて)(希望を口にしはじめる)(そのときまでこうして語りつづけるのさ)。おいらたちは、どこに行くんだろう。どこから来て、どこに向かうんだろう。この世のニライカナを見つけるのか、元いた場所に戻るのか。・・・青い水平線の向うに、いつかはだれもが行くだろう。あとかる来るすべての親兄弟とともに、後世の戦果アギャーとともに。だけどそれまで土地の鼓動(シマ・ヌ・アピー)は打ちつづけなきゃならないさ。だからまた始めよう、そろそろほんとうに生きるときがきたーー』