山のパンセ(その59)

アンパンマンの歌のように

「日記−仙人のつぶやき−」2013年3月11日日記を一部修正して転載しました。

  今日の気温は日中でも−2℃止り、寒い一日だった。それで今日も小屋に籠もって、ストーブの火を見ながらずっとラジオを聴き続けていた。あの日から2年、ラジオから流れる東北の被災者の声が深く深く胸に沁みた一日だった。

 午前中は、岩手県陸前高田市の農林業佐藤直志さん(77歳)を主人公にしたドキュメンタリー映画「先祖になる」を撮った映画監督池谷薫氏へのインタビュー。そして午後からの番組は<震災から2年、被災地の明日を信じて>と題して、ヴァイオリニストの千住真理子氏他3人のゲストを迎えて、スタジオと岩手県釜石、宮城県女川のそれぞれの中継地を結んでの放送だった。
 地震発生の午後2時46分には東京の国立劇場で開催されている追悼式の黙祷に合わせ自分も頭を垂れたが、その後で壇上に立った被災地3県の遺族代表の言葉には涙を誘われた。

 2年前のこの日、母と一緒に高台に避難する途中二人とも津波に呑まれ、母を亡くしてしまった岩手県の遺族代表、県立宮古商業高校3年の山根りんさんは、「あれから二年、私はあの日より、少し強くなりました」、そして「助かったからには、生きて人の役に立つことが自分の使命です」と言い、「世界の国々に支援活動できる人材になりたい」と結んだ。
 続いてやはり津波で息子と妻を亡くした32歳の宮城県の遺族代表、西城卓也さんは、「妻と一緒に家事をしたり、子どもと遊んだりの楽しい日々を今でも思い出す」と、若くして最愛の家族を亡くした悲しみを切々と訴えかけた。
 最後に福島県代表の八津尾初夫氏(63歳)が、この震災で妻を亡くしたことを抑えた語り口で発表したが、その胸にはまさに慟哭の哀しみが宿っていることが聴き取れた。

 追悼会場からマイクがスタジオに戻って、千住真理子氏のヴァイオリンの演奏になった。曲は「ふるさと」だった。
 低く、静かに、ヴァイオリンの音色が「ふるさと」の曲を奏で始めた。一番が終わり、今度は一オクターブ高く二番の演奏が始まった。その曲が途中から突然変調して、ヴァイオリンの音色が極限までの高音になった。弦が震え、悲しみ、泣き叫んで、思わずドッと熱い涙が溢れ出た。曲に合わせるかのように揺らめいていた目の前のストーブの赤い炎も一気に滲んで、クシャクシャになった。
 そしてまた、曲は静かな「ふるさと」のメロディーに戻った。しかし今度は強い意志と希望を持って、決然と前を向いて前進する調べのように思えた。

 東日本大震災の被災者が悲嘆に暮れている時、ラジオから流れて来た最も勇気をもらった歌が「アンパンマンの歌」だったという。その歌詞を今日の日に載せておきたいと思う。
    
        <アンパンマンのマーチ>
   (作詞:やなせたかし/作曲:三木たかし)

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび  たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!

今を生きることで 熱いこころ燃える  だから君はいくんだほほえんで

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび  たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン やさしい君は  いけ! みんなの夢まもるため

なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
わからないままおわる そんなのはいやだ!
忘れないで夢を こぼさないで涙  だから君はとぶんだどこまでも

そうだ おそれないで みんなのために  愛と勇気だけがともだちさ
ああ アンパンマンやさしい君は  いけ! みんなの夢まもるため

時ははやくすぎる 光る星は消える  だから君はいくんだほほえんで

そうだ うれしいんだ生きるよろこび  たとえ どんな敵があいてでも
ああ アンパンマンやさしい君は  いけ! みんなの夢まもるため



(2013年4月8日 記)