山のパンセ(その65)
 俺の愛した黄土

 昨日は水穴に入った。今年3度か4度目の入山で、コゴミの時期が既に終わって、奥山の水穴でもそろそろワラビが出る頃だとの思惑があった。いつもと逆コースの斜面から入ったが、出口に近いコゴミ畑で太いワラビを大量に採った。例年ならまだ水穴のワラビは早い時期で、競合相手が居なかったせいもある。こんなに質の良い立派なワラビを大量に採ったのは、恐らくガキの頃のおやじと一緒の時以来ではなかろうか。

 それで今日は、カミさんを誘って今年初めての黄土に入った。「自分が一番大事にしているものを、すぐ手にとってしまわないで、じっと我慢して温めておく」という俺の屈折した性格(貧乏性?)のなせる業で、黄土こそ遙か昔に、おやじやお袋と一緒に山菜採りをした思い出深いまさに原風景ともいえる大切な場所で、じっと今日まで満を持して山入りを我慢していたのである。それが昨日の水穴の大収穫で火が点いて、黄土行きを決心させたのである。

 今日はラジオが「台風並みの低気圧接近」と報じて、随分と風が強かった。こんな日には他の山菜採りには会わないだろうとの気持ちもあって、今日は山菜採りよりは昔おやじやお袋と一緒にそうしたように、黄土の斜面に腰を下ろして眼下に広がる長岡の街並みを見ながらのんびりしようと思っていた。

 黄土に足を踏み入れた途端、目を疑った。何という斜面の荒れようだろうか。跋扈蹂躙したかのような踏み痕で地肌剥き出しの道が縦横に走り、斜面のあちこちにスーパーの惣菜トレー、パンの空袋、ペットボトル、缶詰めの空き缶と散らかし放題である。激しい怒りを通り越して、居たたまれない悔しさと絶望的な悲しみで、殆ど泣き出しそうになった。自然を汚しただけではない。黄土という俺にとってはかけがえのない思い出の場所を汚し、俺が胸の奥にしまっていた大切な記憶を無理やり払拭するかのような行為に、すっかり傷つき落ち込んでしまったのである。

 ワラビではなくゴミだけを拾い集め終わって、カミさんに「もう、帰ろう」と声を掛けた。今日の黄土に、長くは居たくなかった。あんなに大事にし恋焦がれるように愛していた俺の黄土が、遙か遠くに離れ去って行くようだった。



(2014年7月23日 記 
「2014年5月16日日記<おやじ山の春2014(俺が愛した黄土)>」より一部修正して転載)