森のパンセ   山からのこだま便  その115(2021・3・27)
サクラに寄せる日本人の「美しい情緒」(もののあわれ)
              【「日記」-仙人のつぶやき-「2021年3月26日日記」からの転載】

 カミさんが数日前から病院通いをしており、殊勝にもその運転手を務めている。今日はポカポカ陽気に誘われて、病院帰りに近所の大庭城址公園に寄って花見をした。例年なら多くの客で賑わうこの名所も、さすがコロナ禍で、今日は保育園児や学童たちの団体とまばらな一般客で、落ち着いたサクラ見物となった。

 そこで思い出したのが、かつて読んだ数学者の藤原正彦著「国家の品格」である。
 以下、その要旨の一部である。

『古来、日本の美しい田園風景や里山の景観が、「日本人の美しい情緒」を育んできた。これは日本が生み出した最も大きな普遍的な価値で、「もののあわれ」・「自然への畏敬の念」・「自然に対する繊細で審美的な感受性」といった、欧米人にはない、日本人独特の感性である。』 
*もののあわれ:悠久の自然と、はかない人生との対比のなかに美を発見する感性
*自然への畏敬の念:自然は神であり、人間は偉大な自然の一部に過ぎない
(*欧米人にとっての自然は、「人間の幸福のために征服すべき対象」)
そして次のような例を引いている。
『日本人の花見客は・・・
たった3,4日に命をかけて潔く散っていくサクラの花に人生を投影し、そこに他の花とは違う格別の美を見い出している』
『対してアメリカ人は・・・
ワシントンのポトマック川沿いに荒川堤から持って行ったサクラが咲くが、「オー・ビューテフル」と眺める対象にしか過ぎず、そこにはかない人生を投影しつつ長嘆息するヒマな人などいない』
『ドナルド・キーンは、これは日本人特有の感性だと指摘し、ラフカディオ・ハーンも、「欧米人においてはまれに見る詩人だけに限られた感性を、日本ではごく普通の庶民でさえ当たり前に持っている」と絶賛』

 そして藤原がこの著書で提起した問題とは、
『資本主義のグローバル化で、市場経済は社会を少数の勝ち組と大多数の負け組に分断し、殺伐とした社会が出現した。金銭至上主義が主流となり、規制緩和で入ってくる安い輸入品で農業に見切りをつける人が増え、田園はどんどん荒れてきた。今の日本は、美の源泉である田園が荒れ、跪くのは自然にではなく金銭の前、学校では役に立つことばかり追い求める風潮に汚染されている。
 その結果、日本の至宝ともいえる「もののあわれ」や美的感受性などの「美しい情緒」が危殆に瀕している。』