山のパンセ(その90)

 森の授業(長岡市立太田小学校の特別授業)

 6月30日から降り始めた雨が日ごとに猛烈さを増して、7月3日には長岡に大雨洪水警報が発令された。そして昨4日は台風3号が九州長崎県に上陸して追い打ちをかけ、新潟県に土砂災害警戒情報が発表されるとともに、太田川沿いの宮内と摂田屋地区に避難警告が出された。既に降り始めから昨日までに270mm超の雨量となり、平年の7月1ヶ月分を優に超える雨量となった。
 そして今日5日、太田小学校児童生徒への特別授業の日である。幸いにして雨は上がったがどんよりした曇り空で、日差しは無かった。
 
 実は、当初の約束は一昨日の7月3日だったが、豪雨で小学校が臨時休校となり、今日がその予備日だった。俺に課せられた授業内容は、子ども達と一緒に猿倉岳のブナ林を歩いて、自然観察をしたり森の話を聞かせたりすることだった。
 「大雨の直後で、再び授業は延期かなあ」と思っていた矢先、学校と連絡をとっていた中村氏より電話が入って、「教室での授業になりますが、よろしくお願いします」とのことである。室内講義の準備など全くしていなかったので、まさにぶっつけ本番の授業に駆けつけるはめになった。

 午前10時、濁沢町の太田小学校に着くと、山之内教頭先生が出迎えて下さり、早速子ども達が待つ2階の教室に案内された。小さな椅子に腰かけていた2年の諒君、3年の桃菜さん、4年のさくらさんと裕紀君が一斉に立ち上がって、二人の担任の先生と一緒に「こんにちは!」と元気に挨拶してくれた。太田小学校の全校生徒は現在この4名である。同じ校舎内にある太田中学校(現在18名)と合わせて、学区外からも児童生徒を受け入れる「オープンスクール制度」を採用している小中併設校である。子ども達は、豊かな自然の中で、6歳から15歳までの仲間等と幅広い交流を持ちながら、先生と地元の人達も一緒になって、まるで大家族のような身近な関係の中で学校生活を送っているのである。

 先ずは互いの自己紹介である。俺が最初に黒板に名前を書いて「山奥に住んでいますが、まだ仙人(千人)になれないので、皆からこう呼ばれています」と「百人さん」と書き添えて和ませ、子ども達も一人ひとり自分の名前と「好きな物」を紹介してくれた。
 持参した小道具は、今朝の中村さんからの電話で慌てて作った「ススキバッタ」(子ども達へのお土産)と、小学校に向かう途中の道端に咲いていた「立葵」の長い花茎である。そして授業の冒頭で、赤い立葵の花弁の元を割いて自分の鼻に粘し付けて「コケコッコ~!」と啼いて見せた。遥か昔のガキの頃に、学校帰りの道草でこんな遊びに興じたものである。「やりたい人~!」と声を掛けると皆の手が上がった。諒君は鼻と顎に、さくらさんは可愛くこめかみの辺りに張り付けて、フラダンスの踊り子のように飾った。そしてこの花の咲き初めが「梅雨入り」、徐々に咲き上がって一番上まで咲いて「梅雨明け」になること、本校が休校になるほど大雨が降っても、裏山の猿倉岳のブナ林のお蔭で土石流も起きず、太田川の氾濫も食い止めて長岡の街を守ったことなどを話して聞かせた。幸い教頭先生が、昨年実施したブナ林での俺の授業のスライドをテレビモニターで写してくれて、その中のきのこの映像を見ながら「自然界でのきのこ(菌類)の役割」なども授業に加えることができた。
 
 そして授業の最後に、女先生のオルガンの伴奏で、4人の子ども達と男先生、山之内教頭先生、そして俺も口真似で、全員揃って太田小学校校歌を元気に唄った。一緒に唄いながら熱いものが胸に込上げてきて思わず落涙しそうになった。

       長岡市立太田小学校校歌

  
  一 若草映ゆる 猿倉や 金倉はるか 仰ぎつつ
   学びの道を はつらつと 希望に燃えて 進みゆく
   おお 夢あり 太田小学校

  二 錦の鯉も あざやかに 太田の流れ 澄むほとり
   歌声はずむ 学び舎に 楽しく集い 睦みゆく
   おお 幸あり 太田小学校

  三 試練の雪も 踏み越えて 理想は薫る ふるさとの
   明日をになう 身と心 たゆまず鍛え 育ちゆく
   おお 栄えあり 太田小学校

 1時間の実に楽しい森の授業が終わった。そして「ススキバッタ」のお土産を置いて子ども達の教室を出た。まさに1対1、こんな優しい先生等に囲まれている太田小学校の子ども達を、本当に羨ましく思った。

 そしてこの日の昼に、早速手元に届いた4人の子ども達からのお礼の手紙である。繰り返し繰り返し読み返して、涙が止まらなかった。太田小学校の皆さん、ありがとう!
(2017年7月5日「日記」から転載)
 


(2017年7月19日 記)