森のパンセ   山からのこだま便  その108(2020・1・31)
「風の電話」と「風の小屋」

 岩手県大槌町の海を見下ろす丘に、「風の電話」と呼ばれる電話ボックスがあることは、東日本大震災(2011年3月11日発生)から5年目の、2016年3月10日に放映された<NHKスペシャル「風の電話~残された人々の声~」で知っていた。と言うよりも、このドキュメンタリー映像で大ショックを受けて、以来ずっと俺の心の中で強く記憶され続けて来た。
 電話ボックス内にはダイヤル式の黒電話があり、電話線は繋がっていないが、来訪者は受話器を取り上げ、そっと耳に当て、地震や津波で命を落とした家族や友人たちに思いを伝えるのである。来訪者の一人は言葉少なに心情を吐露し、またある人は、思いのたけを訴え続け、その誰もが受話器を握りながら滂沱と涙する姿には、視聴者をして胸を掻き毟られるような深い同情と憐憫の情とを惹起せしめるのである。電話機の横には次のように記されているという。

 風の電話は心で話します静か
 に目を閉じ耳を澄ましてくだ
 さい風の音が又は浪の音が或
 いは小鳥のさえずりが聞こえ
 たならあなたの想いを伝えて
 下さい

 
 確か1月23日の新聞広告だったと思う。「風の電話」というタイトルの映画が24日に封切られるとあった。早速神奈川県内での上映館を調べてみると、小田原市内の映画館が見つかった。

 モトーラ世理奈が演じる主人公の女子高校生ハルは、故郷・大槌町で東日本大震災に遭い、両親と弟の全家族を奪われ、広島の叔母の家に身を寄せて悲しみにくれている。その叔母が倒れ入院した機会に、ハルは広島から大槌町に向かう。その途中で様々な人たち(三浦友和、西島秀俊、西田敏行などが出演)との偶然の出会いの中で、傷ついた心の救済や人々が忘れかけている大切なもの、を映し出していく。福島第一原発事故で故郷大熊町を追われた役で西田敏行が即興で演じきったというセリフは、まさにフクシマの苦しみを語った真の言葉として圧巻である。
 そしてハルは、故郷大槌町の津波で流され土台だけ残った我が家に帰り、まだ見つかっていない家族の名前を呼びながら泣き崩れる。ここまで車で送ってくれた(西島)とも大槌町の駅前で別れて、ホームに立つ。このホームで中学生くらいの男の子と出会い、この子がこれから行くという「風の電話」に同行する。男の子が先に、交通事故で死んだという父親と話した後、ハルが電話ボックスに入った。電話ボックスの周囲の植栽が風に揺れ動き、時折大きくなびいて風の音が鳴る。ポツリ・ポツリと話し始めたハルの声は、次第に「会いたい・・・会いたい・・・!会いたい!会いたい!会いたい!」の絶叫に変わる。「そっちの世界に会いに行く」と両親や弟に話しかけて自殺を予感させていたハルが、最後に「でもワタシ、その時はおばあちゃんになっているかもね」の言葉で締めくくられる。

 2016年3月10日に放映された<NHKスペシャル「風の電話」>を視聴して咄嗟に思い立ったのは「俺もこれと同じ電話ボックスを作る!」ということだった。場所はおやじ山である。幸いにして、ずっと以前に、東京の親戚の古い家が解体された折、その家にあった黒電話を記念に貰って我が家にあった。心に悩みや苦しみを持つ人が、おやじ山に来て、この電話ボックスで思いのたけを話して、少しでも心の平安を取り戻せたらとの切なる思いだった。そしてカミさんに、その俺のパッションとスピリットを熱く伝えたのだ。そしたらカミさんはこう言ったのだ。「その電話、ワタシが最初に使わせていただきます」「エッ・・・・!」

 事業をやるには、どんな場合であっても挫折もあり、多かれ少なかれ紆余曲折もある。しかし幸いにして、おやじ山版「風の電話」構想はよろよろと立ち上がり、今、おやじ山に集う素晴らしい仲間たちの献身的な協力で、「風の小屋」(第二おやじ小屋)建築で引き継がれ、着々と完成に近づきつつある。そして風の小屋が、大きな包容力と寛容の空気に包まれ、訪れた誰もが心の平安を覚える場所になればと願っている。今は亡き懐かしいおやじのように・・・


(本稿は2020年1月31日日記からの転載です)