山のパンセ(その99)

 「一杯のかけそば」ー抄録ー
                         
 以下の童話は、平成が始まった年の平成元年5月18日号の「週刊文春」に掲載されたものである。わずか5ページの小話だが、実話ということもあって当時の話題をさらった。平成最後の大晦日を迎えるにあたって、何故か捨てずに保存していた当時の「週刊文春」を再び開いて涙した次第である。
 
 そば屋にとっていちばんのかき入れどきは大晦日である。北海亭もこの日ばかりは朝からてんてこまいの忙しさだった。いつもは夜の12時すぎまでにぎやかな表通りだが、10時をまわると北海亭の客足もぱったりと止まる。
 最後の客が店を出たところで、そろそろ表の暖簾を下げようかと話をしていたとき、入口の戸がガラガラガラと力なく開いて、二人の子どもを連れた女性が入ってきた。6歳と10歳くらいの男の子は真新しい揃いのトレーニングウェア姿で、女性は季節はずれのチェックの半コートを着ていた。「いらっしゃいませ!」と迎える女将に、その女性はおずおずと言った。「あのー・・・かけそば・・・一人前なのですが・・・よろしいでしょうか」後ろでは、二人の子どもたちが心配顔で見上げている。「えっ・・・えぇどうぞ。どうぞこちらへ」暖房に近い二番テーブルへ案内しながら、カウンターの奥に向かって、「かけ一丁!」と声をかける。それを受けた主人は、チラリと三人連れに目をやりながら、「あいよっ!かけ一丁!」とこたえ、玉そば1個と、さらに半個を加えてゆでる。客と妻に悟られぬサービスで、大盛りの分量のそばがゆであがる。
 テーブルに出された一杯のかけそばを囲んで、顔を寄せ合って食べている三人の話し声が、カウンターの中までかすかに届く。「おいしいね」と兄。「お母さんもお食べよ」と一本のそばをつまんで母親の口に持っていく弟。やがて食べ終え、150円の代金を支払い、「ごちそうさまでした」と頭を下げて出ていく母子三人に、「ありがとうございました!どうかよいお年を!」と声を合わせる主人と女将。

 そして1年がすぎ、再び12月31日がやってきた。前年以上の猫の手も借りたいような一日が終わり、10時をすぎたところで、店を閉めようとしたとき、ガラガラガラと戸が開いて、二人の男の子を連れた女性が入ってきた。女将は女性の着ているチェックの半コートを見て、一年前の大晦日、最後の客を思い出した。「あのー・・・かけそば・・・一人前なのですが・・・よろしいでしょうか」「どうぞどうぞ。こちらへ」女将は、昨年と同じ二番テーブルへ案内しながら、「かけ一丁!」と大きな声をかける。「あいよっ!かけ一丁」と主人はこたえながら、消したばかりのコンロに火を入れる。「ねえお前さん、サービスということで三人前、出してあげようよ」そっと耳打ちする女将に、「だめだ、そんな事したら、かえって気をつかうべ」と言いながら玉そば一つ半をゆであげる夫。一杯のそばを囲んだ母子三人の会話が、カウンターの中と外の二人に聞こえる。「・・・おいしいね・・・」「今年も北海亭のおそば食べれたね」「来年も食べれるといいね・・・」食べ終えて、150円を支払い、出て行く三人の後ろ姿に、「ありがとうございました!どうかよいお年を!」と送り出した。

 その翌年の大晦日の夜、北海亭の主人と女将は、たがいに口にこそ出さないが、9時半をすぎたころより、そわそわと落ち着かない。10時をまわったところで主人は壁に下げてあるメニューを次々に裏返した。今年の夏に値上げして、「かけそば二百円」と書かれていたメニュー札が百五十円に早変わりしていた。二番テーブルの上には、すでに30分も前から「予約席」の札が女将の手で置かれていた。10時半になって母と子の三人連れが入ってきた。兄は中学生の制服、弟は去年兄が着ていた大きめのジャンパーを着ていた。二人とも見違えるほど成長していたが、母親は色あせたあのチェックの半コート姿のままだった。「いらっしゃいませ!」と笑顔で迎える女将に、母親はおずおずと言う。「あのー・・・かけそば・・・二人前なのですが・・・よろしいでしょうか」「えっ・・・どうぞどうぞ。さぁこちらへ」と二番テーブルへ案内しながら、そこにあった「予約席」の札を何気なく隠し、カウンターに向かって、「かけ二丁!」それを受けて「あいよっ!かけ二丁!」とこたえた主人は、玉そば3個を湯の中に放り込んだ。(※ここで母子三人の会話がいろいろ続くが、兄が弟が先生から預かってきた手紙の話を母親に打ち明ける)「淳の書いた作文が北海道の代表に選ばれて、全国コンクールに出品されることになったので、授業参観日に、その作文を淳に読んでもらうって。先生からの手紙をお母さんに見せれば・・・むりして会社を休むのわかるから、淳、それ隠したんだ。そのことを淳の友だちから聞いたものだから・・・ボクが参観日に行ったんだ」「作文はね・・・お父さんが、交通事故で死んでしまい、たくさんの借金が残ったこと、お母さんが朝早くから夜遅くまで働いていること、ボクが朝刊夕刊の配達に行っていることなど・・・全部読みあげたんだ。そして12月31日の夜、三人でたった一杯のかけそばが、とてもおいしかったこと。・・・三人でたった一杯しか頼まないのに、おそば屋のおじさんとおばさんは、ありがとうございました!どうかよいお年を!って大きな声をかけてくれたこと。その声は・・・負けるなよ!がんばれよ!生きるんだよ!て言っているような気がしたって。それで淳は、大人になったら、お客さんに、がんばってね!って思いをこめて、ありがとうございました!と言える日本一の、おそば屋さんになりますって、大きな声で読み上げたんだよ」カウンターの奥にしゃがみこんだ主人と女将は、一本のタオルの端をたがいに引っぱりあうようにつかんで、こらえきれずあふれでる涙を拭っていた。

 また一年がすぎて・・・。北海亭では、夜の9時すぎから「予約席」の札を二番テーブルの上に置いて待ちに待ったが、あの母子三人は現れなかった。次の年も、さらに次の年も、二番テーブルを空けて待ったが、三人は現れなかった。

 それからさらに、数年の歳月が流れた12月31日の夜のことである。10時半すぎ、オーバーを手に、スーツを着た二人の青年が入ってきた。女将が申しわけなさそうな顔で「あいにく閉店なものですから」と断ろうとしたとき、和服姿の婦人が深々と頭を下げて入ってきて、二人の青年の間に立った。和服の婦人が静かに言った。「あのー・・・かけそば・・・三人前なのですが・・・よろしいでしょうか」それを聞いた女将の顔色が変わる。十数年の歳月を瞬時に押しのけ、あの日の若い母親と幼い二人の姿が、目の前の三人と重なった。カウンターの中から目を見開いている主人と、今、入って来た三人の客を交互に指さしながら、「あの・・・あの・・・おっ、お前さん!」とオロオロしている女将に、青年の一人が言った。「私たちは、14年前の大晦日の夜、母子三人で一人前のかけそばを注文した者です。あのときの、一杯のかけそばに励まされて、三人手を取り合って生き抜くことができました。その後、母の実家があります滋賀県へ越しました。私は今年、医師の国家試験に合格しまして、京都の大学病院に小児科医の卵として勤めておりますが、年明け4月より、札幌の総合病院で勤務することになりました。その病院へのあいさつと、父のお墓への報告を兼ね、おそば屋さんにはなりませんでしたが、京都の銀行に勤める弟と相談しまして、今までの人生の中で、最高のぜいたくを計画しました。・・・それは、大晦日に母と三人で、札幌の北海亭さんを訪ね、三人前のかけそばを頼むことでした」うなずきながら聞いていた女将と主人の目からドッと涙があふれでた。「・・・ようこそ・・・さぁどうぞ・・・お前さん!二番テーブルかけ三丁!」仏頂面を涙でぬらした主人、「あいよっ!かけ三丁!」
 先ほどまでちらついていた雪も止み、新雪に跳ね返った窓明かりが照らしだす「北海亭」と書かれた暖簾を、ほんの一足早く吹く睦月の風が揺らしていた。
                                              (平成30年12月17日記)