山のパンセ(その35)

おやじ小屋の焚き火

私は焚き火が大好きです。酒と旅の歌人といわれる若山牧水や、ドイツの作家ヘルマン・ヘッセも焚き木が大好きだった、と何かで読んだことがあります。おやじ山に遊びに来る私の友人達も、今年5歳になった私の孫も、おやじ小屋にやって来ると先ず小屋の周りのスギの枯れ葉を集めて囲炉裏で焚き火を始めます。5歳の幼児に火の面白さを教えるのはどうかとも思いますが、せっかく山に来てある種の野性を取り戻すのを止めるのは可哀想だと、好きなようにやらせています。

山で焚き火をすることの意味は二つある、と思っています。

 一つは、不用な物を燃やして灰にして片づけながら、同時に豪快な焚き火を楽しむことです。
 主に昼の焚き火で、杉の枯葉や朽ちてしまったキノコのホダ木などを集めてどんどん燃やし、春なら採ったばかりのウドをそのまま投げ込んで焼きウドにして頬張ったり、秋のキノコシーズンなら鍋を掛けてきのこ汁を作って皆でわいわい食べたりして楽しむ、というものです。最近はダッチオーブン料理がはやりのようで、鉄鍋の中に食材を入れて熾きの上に乗っけておけば、料理下手でもそこそこ美味い料理が出来てしまいます。

 そしてもう一つは、静かな焚き火で、日が暮れてから囲炉裏で燃やすような焚き火です。

 1日の仕事や山遊びが終わった後に、おやじ小屋で火を焚くのはこんな静かな焚き火で、酒などが脇にあれば申し分ない訳です。バイタやワッツァバに火が回った後は、薪を寝かせてあまり炎を大きくせず、じっと火を見つめながら沈思黙考というか・・・何かにそっと近づいていくために無心に炎を見つめているような、何故かそんな神聖な気持ちになります。

そもそも「ヒト」が「人間」になったのは火を手に入れたからだと思っています。フランスで見つかった最古の炉床は30万年から40万年前のもので、180万年前にアフリカから各地に出て行った「ホモ・エルガスタ」の子孫が使ったのだろう、とされています。
 脳科学者の茂木健一郎はこう言っています。

「敵から逃れ、暖をとり、調理をし、火を囲むことは、祖先にとって長い間続けてきた大事な時間だった。だから焚き火は、ヒトとして眠っている情動や記憶の回路を引き出す働きがあるのではないか」

おやじ小屋の焚き火で、何かにそっと近づいていく、と書きましたが、この脳科学者の言葉が、その何か、の一つの回答だと思っています。

今や人類が遥か昔から続けて来た火を使う行為は電気やガスにとって代わりましたが、それで代替が利かないヒトとしての大切な根源的なものが、焚き火にはあると思っています。

おやじ小屋での焚き火が、そんなことを俺に気付かせてくれました。   平成21年12月29日 記