山のパンセ(その98)

 おやじの言葉が今聞こえる
                         
 中井正一が索(もと)めたのは、人びとの沈黙にはたらきかける言葉ではない。
 人びとの沈黙を受けとめる言葉だ。

 
 ハッと胸をつかれてしまった。新聞に連載されている鷲田清一の「折々のことば」で紹介された詩人長田弘が、美学者の中井正一を評したことばである。(2018年11月14日朝日新聞朝刊)

 この秋(2018年秋)のおやじ山暮らしは、実に73日間に及んだ。その間2度も台風に見舞われ、天候不順の日が多かった。雨の日には仕方なくおやじ小屋でじっとしている他はなく、キャンバスベッドの上で囲炉裏に焚いた火を見つめたり、窓の外の雨に煙る山菜山の風景をぼんやり眺めたりしていた。

 そんなある一日、言葉について深く考えたことがあった。そのきっかけは、おやじを思い出したからである。
 俺のおやじは、概して寡黙な男だった。そして俺が不満だったのは、俺が人生の岐路に立って思い悩み、その悩みをおやじに聞いてもらいたくて、おやじに訴え、おやじの言葉を求めた時、黙って聞いていたおやじは、いつも、いつも、「お前の好きなようにやったらいい」とだけしか答えてくれなかった。お袋は俺が18の時に亡くなり、真に相談できる相手はおやじだけだったのに、おやじから返ってくる言葉は、「お前の好きなようにやったらいい」だった。その優しさが、俺は気にくわなかった。激しく俺を怒鳴り、叱りつけて、俺が立ち上がって歩き出す人生の方向をおやじから示して欲しかったのだ。
 この思いは、俺の人生の中でずっとずっと長く続いた。そして俺が息子を持ち、また会社勤めをしながら、時には激しく息子を叱責し、会社の同僚や部下との激しい言葉のやり取りもした。それは、おやじとは真逆の態度で、俺としては正当性があると思っていた。

 しかし、雨のおやじ山で思ったことは、「言わないことの凄さ」「寡黙なことの重さ」である。万感の思いがありながら、それを胸に秘めて口に出さない強靭な忍耐力への賞嘆である。これこそが、俺のおやじが、父親として我が息子を信頼していると伝える教育のスタンスだったのかも知れない。

 この齢になって、ようやくおやじの胸の中の声が少し聞こえてくるようになった。しかしもっと早く、おやじが生きていた時に、おやじの沈黙にしっかり耳を傾けて、その重量を掌(てのひら)で量りながら言葉として受け止めていたらと、今更ながら悔やむのである。
                                                (2018年11月15日 記)