山のパンセ(その51)

北の森の沈黙

2011年12月、ここ数年来続けている森林調査の仕事で、宮城県の山々を回った。
今回は、いわゆる仙南地区と言われる県南部の山形県境近くの森林で、蔵王連峰の白石川流域、二口渓谷や北太郎渓谷をかかえる名取川源流部、そして大倉川流域などが主な調査ポイントだった。
 そんな数々の森を歩き回りながら、今年3月11日に発生した東日本大震災の大津波の生々し爪跡も一日の仕事帰りに見ることができた。宮城の森を育む鷹揚とした大自然と大惨事の爪跡を同時に目の当たりにして、その物理的落差の大きさに唖然とするばかりだったが、同時に、福島第一原発がもたらしたであろう今だ目に見えぬ破壊の意味を深く考えざるを得なかった。そのことを以下に書いてみようと思う。

 森林調査は二人一組で行う仕事で、先ずはランダムに選定された山中の植林小班をGPSと地図とで探し出すことから始まる。4WDのRV車を駆って林道を行きつけるところまで走り、そこからは徒歩で山中に分け入る。当該林分まで道がついていることなど殆ど無いので、藪をこぎ、谷川を遡行し、尾根を越えてと、GPSを頼りにひたすら調査地を目指して突き進むのである。場合によっては2時間も3時間も探り歩いた末に、切り立った崖や凄い滝壷にはまって諦めざるを得ないこともある。
 ポイントに辿り着いたら小班を歩き回って施業の有無(間伐や枝打ちなど)を仔細に調べ、施業年次を推定する他、様々な林内環境を調査しながら写真撮影をする、といったおおよその内容である。


 そして今回も、かの人間機関車ザトペック(ちょっと古いけど)のように山中に突進していくKさんの後を必死に追いながら、はっと息を呑むほどの美しい森や風景に出会うことができた。
 笹谷から入った北太郎渓谷では、今年大量結実となったブナの美林が7年に一度の大役を終えて穏やかな表情で佇んでいたし、地震で大きく地割れした釜房ダム近くの林道脇では、冬枯れの梢に茶色の果実を一杯につけたケヤマハンノキの見事な群落があった。そして定義から入った大倉川の上流では、雪で白く覆われた渓にヤチダモの河畔林がまるで美しい墨絵のように広がっていた。
 丸森町の手倉山での調査地点では、神々しいほどの青葉南モミの巨木原生林に出会った。試しに調査で使う直径巻尺と超音波で樹高を測定するバーテックスを取り出して1本のモミを測ってみると、何と胸高直径が128cm、樹高は38mもあった。



  調査を開始した5日目の夜から雪になった。宮城の山では至る所に「クマに注意」の看板が立ててあったが、幸か不幸か出会った動物はリスとサルだけだった。しかし雪がついたお蔭で、真新しいクマの足跡に遭遇したり山中を跋扈するカモシカやタヌキの足跡にも出会えて嬉しくなってしまった。



 そして、丸森町での調査の帰り、そろそろ陽の落ちかけた国道6号線を右折して海沿いの県道38号線に車を乗り入れた。テレビでは観ていた3・11の大震災の爪跡の何と言う凄まじさ!今だ復興はもとより復旧にも程遠い惨状を目の当たりにして、思わず涙が込み上げてきた。かつては村や町や田圃だったであろう地面はだだっ広い荒野と化して、その地平の果てには瓦礫が山となって積まれている。原野の中にポツン、ポツンと恨めしく残っている家は、戸口も窓も無惨に破壊されて、家の奥の柱までも剥き出しで曝されていた。


 一日の昼に、美しくも神々しくさえあった宮城の森に入り沈黙しつつも揺ぎないその存在感に圧倒され、そして夕べに大地震と大津波の徹底した破壊の爪跡を見た。その物理的落差の大きさに驚愕し、同時に森やそこに生きる生き物たちの偉大さを改めて認識させられたのである。気の遠くなるような年月を黙したまま全てを受け入れ、確かな存在感で堂々と根を張り続けている森があり、生き物達がいることの意味を、深く深く考えさせられてしまった。
 そして、3・11の大地震と同時発生した福島第一原発の事故を、世間は人間だけに焦点を当てて大騒ぎしているが、そんな身勝手なわがままが我々に許されてよいものだろうか、とも思った。この地球上の人々が森や動物たちにどんなにか恩恵を蒙ってきたかを忘れて、4基の原発が撒き散らした放射能の影響評価を人類だけに当てはめようとする卑怯と傲慢さを、我々ははっきりと知るべきではないのか。

 この地球上に樹木が出現したのが3億5千万年前。そして気の遠くなるような歳月と無垢な大気、清浄な雨水によってかけがえのない今の森がある。それに比べて人類の出現はたかが3〜400万年前に過ぎず、この地球上で現在発見されている120万種以上の生物種の中のたった一種でしかない。いや、地球上で780万種(*1)と予測される動物種のたかが一種で、万物の霊長と豪語する人類の総量(バイオマス)は、全動物の二十分の一(*2)ほどのオーダーでしかない。
 その新参者でマイナーなヒトという生物種が、己の身勝手で放射能を撒き散らし、人類の祖先より数百倍ものオーダーで生きてきた大自然の先輩達を蹂躙して、許されるはずがないではないか。
 
 調査最終日の12月13日、初日の調査で断念したポイントを福島県側から攻めようと、摺上川上流の「茂庭っ湖」に流れ込む渓に入った。結局は再挑戦も叶わなかったが、全ての仕事が終わってダム湖畔にある「摺上川ダムインフォメーションセンター」に入って見学させてもらった。そこに掲げられてあった1枚のセピア色の写真が忘れられない。
 それは昭和24年1月4日から翌年3月31日までの2年間、「鐘の鳴る丘」に続いて319回放送されたNHKの連続ラジオ・ドラマ「さくらんぼ大将」のモデルとなった「茂庭小学校梨平分校」の生徒達の写真である。戦後の苦しみの中にあって、今の世とは格段にひもじく貧しかったであろうが、何と生き生きと逞しい子ども達の姿であろうか。そして、それからわずか半世紀の間に、我々が貪欲に求め続けて来た経済成長と便利さとを引き換えに、この分校の子ども達に見た笑顔と逞しさを失ってしまった。



 この山旅で一冊の本をカバンに入れて来た。信州伊那谷に独居して詩作に耽っている加島祥造の著書である。その一編にこんな詩があった。

  求めない---
  すると
  前よりもひとや自然が美しく見えはじめる
    
     ほんとうだよ、試してごらん
     求めないものの美しさが見えてくるんだ!


 まだまだ俺にはほど遠いが、心の眼でしっかりと森が見られるようになれたら、どんなにか森と仲良しになれるだろうか、と思っている。

(2011年12月16日 記)

(*1)ハワイ大学とカナダのダルハウジー大学の共同研究チームの発表。「地球上の全真核生物数は870万種と予測。内、動物780万種、植物30万種、菌類や原生生物60万種」
(*2)人間の総量(バイオマス) 2.0×10の18乗〔J〕 、 動物の総量 3.7×10の19乗〔J〕 よって人間の総量は全動物の20分の1位のオーダーである。