山のパンセ(その23)
チベット紀行祈りの民の肖像

 (「日記-仙人のつぶやき-」2007年8月9日<チベット旅行>からの抜粋)
 北京のホテル「中旅大夏」で同室のKさんに「おやすみなさい」を言ってベッドに横になったが、実にいろいろな事が頭をよぎって眠ることが出来なかった。 そっとトイレに起きて、再びベッドに横になった。今度はオッコル村で会ったチョルテンさんの母上の穏やかな笑顔やその一族の子らのきらきらと輝く目や、門の前で祭りの行列を迎えて立つ慈愛に満ちた老婆の佇まいや、さらにはラサのバルコルでマニ車を回しながらコルラ(時計回りに歩く)する哲学者のような顔つきの老人や、五体投地を繰り返す巡礼者の姿がまぶたに浮かびあがる。そしてその人たちが今まで生きてきた過去とこれから生きていく未来とに思いが馳せて、そこにしっかりと一本の道が引かれているのではないかと気づかされるのである。私がチベットに来て見たものは何だったかを反すうしてみると、風景?観光地?それらは確かに目を見張るものがあったが、人間の顔の素晴らしさだった。とりわけチベットの老人のその深いしわの刻まれた顔には長い長い年月、いや人類の歴史を歩んできたと思われる崇高な何かがあった。
 エジプト、メソポタミア、インダス、黄河の四大文明を作り出した源流はここユーラシア大陸のヘソであるチベット高原にあり、近代以前の文明を引っぱって来たのもこの地域に住む遊牧騎馬民族達であった。ユーラシア大陸の地図を見れば、現代文明の牽引車だと豪語するヨーロッパや日本は四大文明圏の西と東の端に位置する「ど田舎」にあり、近代以前にはこの地から一方的に多大な恩恵を受けて来たのである。そして今、この成り上がりの「文明人」達は自らが作り出したモノによって縛られ苦しめられ心身が疲弊し切っている。
 昨日ガイドの龍さんは、チベット人は今の自分を「仮の姿」と考えていると言ったが、その顔の深いしわのひだには厳として人間として生きてきた存在感があり、祈ることによって本来の人類として転生しつつ生き継いでいく何やら崇高なものを見た思いがした。


(参考文献:森安孝夫著「シルクロードと唐帝国」講談社)
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