山のパンセ(その85)

 忘れ得ぬ夏-その2<ああ! 湯檜曽川>

 以下の文は、「仙人のつぶやき-おやじ山の夏2016」で綴った「8月16日日記」からの転載である。この夏は、かつて経験したことがない程の炎天続きのおやじ山だったが、珍しくお盆と終戦の日を含めておやじ小屋で過ごし、いよいよ山を下りて帰路についた日の記録である。

 4時起床。まだ薄暗い外に出ると、星が瞬いていた。下山の日である。お湯を沸かしこの小屋で飲む最後のお茶を啜りながら、朝一の日課の日記をつける。池に落ちる谷川の引水の音だけが小屋に届いていた。
 ドアに鍵を掛け、それから「ありがとう、ございましたあ~!」と大声でおやじ小屋に向かって挨拶して、山を下った。
 日赤町のSさん宅にお別れのご挨拶に伺うと、アツアツのユーゴ(夕顔)のクジラ汁やら村上の塩鮭など、食べ切れない程のご馳走が並んだ朝の食卓が待っていた。そして腹一杯食べた朝食の他にどっさりとお土産を頂戴して、ご夫婦に見送られてSさん家を発った。

 帰りは関越道には入らず、国道17号線をのんびり帰ることにした。車を走らせながら魚野川に立つ釣り人を眺め、国道をそれて車を停め、夏の越後三山を写真に収めたりした。
 越後湯沢を抜け芝原峠の坂道に差し掛かって、突然湯檜曽に立ち寄ることを思いついた。当初予定していた道中の「峠の湯」をパスし、三国トンネルを走り抜け、猿ヶ京温泉も素通りして、赤谷湖から左に折れて270号線に入った。そして水上温泉を通り過ぎて湯檜曽駅の前で車を停めた。

 昭和24年の夏、この駅の長い階段を、臨時雇員の貧しい鉄道員の夫婦に手を引かれて3人の男の子が下りた。小児麻痺の足を引きずった小学6年の兄と小3の次兄、そして父の故郷青島村から宮内町に越して地元の保育園に通い始めた4歳のガキ(自分)の3人兄弟である。
 鉄道員の家族だったが、それまで汽車に乗って旅行したことなど一度もなかった。極貧生活の中で日々の暮らしに精一杯で、とても家族揃って汽車旅行などできる余裕はなかったのだろう。ずっと後になって聞かされたおやじの回想では、当初の計画は、国鉄の家族パスでタダで行ける新潟鉄道管理局管内の一番遠い駅「水上」で下車する積りだったという。子ども達にも「汽車に乗って温泉に行く」と告げて手を叩いて喜ばれたのだという。ところが乗車途中でお袋と相談し「水上は立派な旅館しかなく、買ってやれない子ども達には目に毒な土産物屋も建ち並んでいて、まずい」と判断して、急遽手前の湯檜曽で汽車を下りたのだと言った。

 それから家族は湯檜曽の温泉街を通り過ぎ、旅館に入れると思った兄達を両親がなだめながら湯檜曽川の河原に下りた。そこで持参のおにぎりを頬張り、家族全員が素っ裸(お袋も!)になって湯檜曽川の浅瀬で水浴びを楽しんだ。子ども達も家族揃っての水浴びを「温泉だあ!温泉だあ!」と盛んにはしゃいだという。そしてまた兄弟3人は、両親に手を引かれて湯檜曽の駅に戻り、この一家で最初で最後になった家族旅行を終えたのである。

 行き帰りの車中の記憶は残っていないが、この湯檜曽川で遊んだ記憶は、今でもハッキリと脳裏に焼き付いている。お袋が裸で浅瀬で佇んでいる67年前の情景も、俺はまざまざと思い出すことができる。

 再び湯檜曽駅から車を走らせ、湯檜曽川に架かる橋を渡ると旅館街に入る。ここを右に折れて河原に下りられそうな場所を探した。ブルで更地にしたような広場に軽自動車が停めてあり、河原を覗くと人影がある。自分もここに車を置いて河原に下りて行った。

 この河原からは、湯檜曽駅から間もなく渡った橋が近くに見え、その奥に上越線の鉄橋が見えた。多分この場所なら、駅からは11歳の小児麻痺の子どもでも連れて来られる距離である。そして川の下流を振り向きじっと風景を確認し、再び上流を見て、橋や鉄橋や、その奥の山の風景に目を凝らした。次第に胸が高鳴って来るのが分かった。紛れもなく67年前、貧しい鉄道員の家族が、この河原で夏の一日を過ごしたのだと確信した。

 河原には、若い夫婦と2、3歳の小さい子どもが遊んでいた。「どこから来たの?」と声を掛けると、「地元です」との返事。「いいねえ、ここでお子さんを水浴びさせて」と言うと、「ええ」と若い夫婦はニコニコと答えた。「おじさん、60年以上も前に、多分、ここに来たことがあるんだ」と、やっぱりこの人たちに知らせたくなって言葉が出た。「え!それで、前と変わってますか?」とびっくりされたが、「分からない。当時はまだこの子より少し大きかったぐらいだからね」とだけ答えた。

 今朝Sさんから頂いたおにぎりとおかずの入った弁当を車に取りに行って、河原に戻った。そして河原で遊ぶ若い夫婦と子どもの3人家族を少し離れた水辺で眺めながら、おにぎりを頬張った。ポタポタと涙がこぼれて、少し塩味がついたおにぎりになった。

 午後9時過ぎ、藤沢の自宅に着く。今年のおやじ山の夏が終わった。

(2016年9月15日 記)