山のパンセ(その37)

雨の小屋の杜子春


<「2010年4月17日日記」より転載>

 関東甲信地方は41年ぶりの遅い雪が降っているという。おやじ山も冷たい雨である。

 今日は殆ど小屋の中でラジオを聴いて過ごした。その中で過去に放送した「とっておきラジオ」という番組があり、元NHKアナウンサー青木裕子氏が「ラジオ文芸館」で朗読した芥川龍之介作「杜子春(とししゅん)」が放送された。以下はその内容である。

<杜子春>
 唐の都洛陽の西の門の下で杜子春(とししゅん)という一人の若者が峨眉山(がびさん)に棲む鉄冠子(てっかんし)という仙人に会うところから物語は始まる。

 杜子春は元は金持の息子だったが財産を費い尽くして憐れな身分になっていた。そんな杜子春を鉄冠子は洛陽の都でも唯一人の大金持ちにしてやるのだが、杜子春は贅沢な暮らしを始めてたちまち寝るところもないような生活に戻ってしまう。そして金持の時には遊びに来たり挨拶をしていた友人たちは、杜子春が貧乏になった途端、手の平を返したように寄り付かなくなってしまった。

 <そこで彼は或日の夕方、もう一度あの洛陽の西の門の下へ行つて、ぼんやり空を眺めながら、途方に暮れて立つてゐました。するとやはり昔のやうに、片目すがめの老人が、どこからか姿を現して、「お前は何を考へてゐるのだ。」と、声をかけるではありませんか>と朗読は続く。

 そして杜子春は二度も鉄冠子から大金持にして貰うのである。
 それからの杜子春は又一度目と同じよう、夥しい黄金も三年ばかり経つうちにはすっかり無くなってしまった。

 三度目に杜子春が洛陽の西の門の下でぼんやり佇んでいると三たび鉄冠子が現れます。そして杜子春に黄金の在りかを教えようとすると、言葉を遮って杜子春がこう言うのです。

「いや、お金はもう入らないのです」そして、「何、贅沢に飽きたのぢやありません。人間といふものに愛想がつきたのです」と。そして更に杜子春は鉄冠子に向って「私はあなたの弟子になつて、仙術の修業をしたいと思ふのです」と頼むのである。

 鉄冠子は、「いかにもおれは峨眉山がびさんんでゐる、鉄冠子てつくわんしといふ仙人だ。始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好ささうだつたから、二度まで大金持にしてやつたのだが、それ程仙人になりたければ、おれの弟子にとり立ててやらう。」と、快く願をれて、杜子春を峨眉山に連れて行き、岩の上に座らせるとこう告げるのである。

多分おれがゐなくなると、いろいろな魔性ましやうが現れて、お前をたぶらかさうとするだらうが、たとひどんなことが起らうとも、決して声を出すのではないぞ。もし一言でも口を利いたら、お前は到底仙人にはなれないものだと覚悟をしろ。好いか。天地が裂けても、黙つてゐるのだぞ>と。
 
 その言葉通り、杜子春の前にはいろいろな魔性が現れて彼を痛めつけるのである。杜子春は鉄冠子の言い付け通り一言も口を利かずじっと耐えた。そして最後に現れたのが閻魔大王である。
「この男の父母ちちははは、畜生道に落ちてゐる筈だから、早速ここへ引き立てて来い。」と、一匹の鬼に云ひつける。それからの朗読は次のように続く。

その獣を見た杜子春は、驚いたの驚かないのではありません。なぜかといへばそれは二匹とも、形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから>
<閻魔大王は森羅殿も崩れる程、凄じい声で喚きました。
「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまへ。」
 鬼どもは一斉に「はつ」と答へながら、鉄の
むちをとつて立ち上ると、四方八方から二匹の馬を、未練未釈みれんみしやくなく打ちのめしました。鞭はりうりうと風を切つて、所嫌はず雨のやうに、馬の皮肉を打ち破るのです。馬は、――畜生になつた父母は、苦しさうに身をもだえて、眼には血の涙を浮べた儘、見てもゐられない程いななき立てました。
 杜子春は必死になつて、鉄冠子の言葉を思ひ出しながら、
かたく眼をつぶつてゐました。するとその時彼の耳には、ほとんど声とはいへない位、かすかな声が伝はつて来ました。
「心配をおしでない。私たちはどうなつても、お前さへ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と
おつしやつても、言ひたくないことは黙つて御出おいで。」
 それは確に懐しい、母親の声に違ひありません。杜子春は思はず、眼をあきました。さうして馬の一匹が、力なく地上に倒れた儘、悲しさうに彼の顔へ、ぢつと眼をやつてゐるのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思ひやつて、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む
気色けしきさへも見せないのです。大金持になれば御世辞を言ひ、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何といふ有難い志でせう。何といふ健気な決心でせう。杜子春は老人の戒めも忘れて、まろぶやうにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、「おっ母さん!」と一声を叫びました……

 青木裕子アナウンサーの朗読はまだ続いていたが、俺は滂沱と頬を伝う涙を拭いもせずに、ポタポタとおやじ小屋の土間に落ちるにまかせていた。

 こんな朗読を雨のおやじ小屋で聴くと、心にぐっと沁みてしまうのである。  (2010年6月29日 記)