山のパンセ(その28)

真に守るべきものと祖国

<日記−仙人のつぶやき−2008年11月30日>からの転載です

 11月もあと1日、明日から師走だと思うと、「今年はあっと言う間だったなあ〜」と何となく天を仰ぎ見る気持ちになってしまう。そして、「さてこの1年は?」と早くも大晦日の予行演習のようなつもりで後を振り返ってみると・・・4日前(26日)に起きたインド、ムンバイでの同時テロがあり、中国のチベット抑圧がありと、今年も世界の各地で抑圧と殺戮の悲惨な出来事が絶えなかった。
 今世界は民族や宗教の違い、肌の色、そして言語や文化を異にして、そのために憎しみ合い対立と抗争を繰り返して止まないが、考えて欲しい、現在地球上に住んでいる全ての民族、全ての国の人々の祖先は、16万年前のアフリカに住んでいたたった一人の母親ですよ!誰もが皆同じ血筋の兄弟姉妹なんですよ! と柄にもなく大上段に力みたくなってしまう。(母系でのみ伝達されるミトコンドリアDNAの解析によって、現在地球上に存在する全ての人種、全ての民族が16万年前アフリカにいた単一の女性の系譜へと集約されることが科学的に証明されている。この人類のたった一人の母親を「ミトコンドリア・イブ」とも言う)そして人類はいつまでこのような兄弟姉妹間の抗争をし続けるのだろうと考えると、何やらその先に見えてくるものは地球そのものの破滅という巨大な墓穴がちらついて、思わず怖気が振るうのである。
 今年「NAKBA」という映画が全国各地で自主上映された。フォトジャーナリストの広河隆一氏が40年間パレスチナ難民キャンプで撮り続けた写真と映像からできたドキュメンタリー映画である。「NAKBA」とは「大惨事」という意味で、1948年にパレスチナの地にイスラエルが建国され、そこに住んでいた多くのパレスチナ人が土地を奪われて難民となり、その難民キャンプ地で起こった虐殺や歴史証言の記録である。イスラエルは虐殺の事実をひた隠してきた。そしてその支援国も「証拠が無いので虐殺の事実は無かった」と主張し続けてきた。広河氏の40年に及ぶパレスチナでのジャーナリストとしての一途な活動が悲惨な真実を暴き出したのである。
 先日あるラジオ番組で広河氏が喋っていた事が耳にとまった。おおよそ次のような内容だったと記憶している。「今、日本のジャーナリズムがおかしな方向に向っているように思います。我々ジャーナリストが真に守るべきものは何なのか?<人か?><会社か?><国か?> もし「国」ということなら、例えば、Aの国からBの国にミサイルが撃たれた、という報道になりますが、ジャーナリストが人を守るという立場に立てば、その撃ち放されたミサイルがそこで何をしたか、という報道になるのです」
 今の日本国をこれからどのような姿形に持って行こうかと声高に叫んでいる政治家と官僚、そしてジャーナリストや一部知識人を含め、何やら気負いすぎているのではないか、と危惧している。民衆の素朴な感情や長い歴史の中で受け継がれてきた穏やかで愚直な信念を「無知や時代遅れ」と唾棄している風にも思える。作家の伊集院静がある雑誌でピカソの名作「ゲルニカ」に関連してこんなことを書いていた。「この作品が注目されたもう一つの理由は惨劇の舞台がゲルニカであったことである。ゲルニカはバスク人の聖域の町で・・・古代から侵入者があったり、さまざまな問題が生じると、人々は山々から狼煙を上げホルンを鳴らし、集まった。その集合場所が1本の”ゲルニカの木”の下であった。この木の周囲に代表者が集い、合議ですべてのものを決定した。(植え継がれてきたこの木を作家が訪ねるのだが)案内してくれた老人が若木を見上げて言った。「この木は自由の象徴です」彼の言葉と表情からはこの土地に住む誇りが伝わってきた。木を見つめているうちに、祖国というのはこのように気負わず、それでいて品格に満ちたものではなかろうかと思った」
(祖国を棄てた親愛なる友N氏の無事を祈念して  2008年11月30日  記)