(その10)
どんぐり山が消える
おやじ山に限らずここ雪国越後の里山の構成樹木は、コナラを中心とした落葉広葉樹である。コナラの他ミズナラやヤマザクラ、ホオノキ、カエデ、ミズキ、ウワミズザクラなどの木々が四季の山を彩り、実に味わい深い風景を形作っている。しかしここ数年、この里山の風景に異変が起きている。コナラが急激な勢いで枯れているのである。私が子どもの頃には決して無かった現象で、僅か10年?位前から気になり出した。ちょうどこの頃には全国的に猛威を奮ったアカマツの松枯れ病(マツノザイセンチュウによるアカマツの枯死病)がほぼ終息した時期で、これからの里山の再生に希望が見えてきた頃である。
現象はコナラの太い木から起こった。最初は木の上の方で枝が1本白く枯れる。それが年毎に見る見る白骨化した枝が増え、やがて立ち枯れたり倒れたりする。事態の深刻さに気付く前までは(まあ、気付いてからもだけれど・・・)、秋のキノコのシーズンにこういう大木を見つけると「シメシメ・・・」と確認に行く。すると太い幹の周りにナラタケやナラタケモドキ、晩秋になるとクリタケやエノキタケ、ヒラタケ、それに普通はブナの倒木に付くナメコなども生えていて、森の恵みに浮き立つのである。
この異常さに気付いた頃には大径の老木に限らず直径20cm程の壮年木にも被害が及んでいた。こんな木は感染後の倒壊も早く「やられた!」と気付いた翌年には既に立ち枯れたり倒木となってナラタケの餌食になっていたりする。
一昨年(2004年)は新潟県中越地震(2004年10月23日)のあった年だが、その1ヵ月程前には何日間かおやじ山で過ごした。この年は何年ぶりかのキノコの大豊作の年で、越後では誰もが「うまいうまい」と安心して食べていたスギヒラタケの中毒死が報じられる程の生り様だった。おやじ山にもどっさりナラタケやスギヒラタケが生えた。そして振り返ってみると、この年の春のコナラの新芽には夥しいほどの毛虫がついていたことである。コナラの木がダブルパンチで痛めつけられ瀕死の状態になっていたということである。
昨年(2005年)秋にはブナ実年(7〜8年周期で大量にブナの実がなる年。動物が食べ切れない程実を生らせて子孫を残すブナの生存戦略だと言われている)とナラ実年(ドングリの実が大量に生る年)が一度に来た。おやじ山のコナラやミズナラの木にどっさりドングリが結実し、おやじ小屋への山道などは一面ドングリが敷き詰められてピチピチと踏みしだきながら歩く程だった。そして今年(2006年)の春、このドングリから芽が出て見事なドングリ畑がいたる所に見られた。
しかし自然の掟とは厳しいものである。おやじ小屋で夏を過ごしながら知ったことは、びっしりと生えていた春のコナラの稚樹は、とりわけ親樹の下では育たない、ということである。全ての植物の種子は「散布」されることによって自らの生存率を高めている。風の力や鳥や動物達の手助けによって親から離れることによって、親の周りに高密度で生息しているその植物特有の食害者や病害微生物の害から逃れることができるのである。春、一見親樹に庇護されるように生えていたこれらの稚樹は殆ど死滅し、幾分離れた所や無残にも春に赤枯れたコナラの親木の下にはしっかりとした稚樹の生存が確認された。果たしてこれらのコナラの稚樹は生き延びて行くことが出来るのだろうか?そして枯れていく親樹に変わって越後の美しい里山を再び取り戻してくれるのだろうか?
<(注)「ナラ枯れ病」の犯人は「カシノナガキクイムシ(カシナガ)」という体長4ミリほどの甲虫である。ナラ・カシの木に穴をうがって入り、産卵。この時運ばれる一種の菌類(ナラ菌)が樹木を枯らすと言われている。林野庁によると2004年度末までに本州の日本海側を主に19府県で被害が出、その被害面積は1,114haと過去5年で3倍に広がったという。以前は散発的な発生ですぐ終息していたが、十数年前からは一度発生した所で翌年以降も起き、さらに周囲にも広がるようになった。新潟県では1998年ころから日本海側の山地で急速に被害が拡大した>
カシナガ被害の原因は、結局はヒトなのではないか、と思っている。人が昔から利用してきた里山が放置され手入れがされなくなったからである。かつて里山は燃料としての薪や炭を作るためコナラやミズナラの木を定期的に伐って利用してきた。それが1960年代のいわゆる燃料革命で石油中心の生活様式に変わり、里山が従来の価値を失い利用されなくなってしまった。その山のナラが伐られずに老木となり、カシナガが好む樹齢50年以上の木に達しているからである。被害の拡大を防ぐには、現状では枯れた木を切り倒し内部のカシナガを殺すしかない、と言う。そして「ナラ枯れ病」の更なる発生を防ぐには里山を利用してきた価値に気付き、新たな価値を見い出すことである。それは決して過去に犯した愚である経済的側面からだけの評価、ではない筈である。
<<2006年9月16日 記す>>