その142(2025・2・27)
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大城立裕著「カクテル・パーティー」と「戯曲 カクテル・パーティー」
~自らの存在を問う3冊の本「その二冊目」~
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大城立裕(おおしろ・たつひろ)、1925年沖縄県中城(なかぐすく)村に生まれる。当時上海にあった東亜同文書院大学で学び、戦後高校教師などを経て琉球政府、(本土復帰後)沖縄県庁に勤務。沖縄県立博物館長などを歴任する一方で、作家として沖縄にこだわった作品を発表する。本書「カクテル・パーティー」は1967年に発表し、沖縄出身の作家として初めて芥川賞を受賞した。
「カクテル・パーティー」は、米軍統治下の沖縄を舞台にし、米軍属に暴行を受けた娘を持つ主人公が、不利だと分かっている裁判に事件を訴えることを決意するまでを描いた物語である。そのテーマ性と、沖縄の近現代史が重層的に織り込まれた物語は、1995年の米兵3人による少女暴行事件(*この事件を契機に「反基地」を求める住民運動のうねりが一気に高まった)をはじめとした数々の基地被害をほうふつさせるだけではなく、依然基地の重圧が押しつけられている沖縄をめぐる複雑な政治状況をも浮かび上がらせる。
物語は、米軍基地内のハウジングエリアにあるミスター・ミラー(後で諜報機関の人間だと分かる)の自宅に招かれた主人公(沖縄人)の私と、日本の新聞社の沖縄特派員の小川、中国人弁護士の孫が集う和気藹々のカクテル・パーティ-の時間に、「私」の高校生の娘が自宅から連れ出されて米兵に強姦されたことから始まる。しかもそれをまず訴え出たのは、何と強姦した米兵で、娘に崖から突き落とされてけがをしたと言うのである。「私」は娘の事件を告訴しようとするが、米軍占領下の沖縄では米兵を裁判に出廷させることが出来ない。ミスター・ミラーに仲介を頼んで断られ、中国人弁護士の孫を頼って相談すると、彼の妻が戦争中に日本兵に暴行されたことを知り動揺する。主人公の私には、日中戦争の最中、中国で農家の夫婦から食料を奪い取った苦い経験があったからだ。読み進むうちに物語の前段で展開した一見華やいで見えるパーティ-の「仮面の世界」(国際親善という)の「虚妄」があぶりだされてくる。
最終的に「私」が(予め敗訴が予想される)事件の告訴に踏み切った理由は、本書では「これだ」というはっきりとした理由は書かれていない。しかしその大きな要因に、米軍占領下では圧倒的に沖縄人が差別されている法律がまかり通っている不条理への怒りである。「布令一四四号」に『占領者であるアメリカ人婦女への暴行に対しては死刑を含む極刑に処す』という条文がある一方で、アメリカ人が暴行事件を起こしてもほとんどが無罪となる現実がある。
本書の姉妹編ともいうべき「戯曲 カクテル・パーティー」の舞台設定は、アメリカワシントンD.Cのスミソニアン博物館の原爆展論争(日本への原爆投下の正当性を主張する退役軍人たちの展示反対運動で展示は中止された)が起こった1995年夏の時点から始まっている。
そしてこの戯曲で、「私」が苦悩の末、娘の事件を告訴した理由を、日米開戦のきっかけとなった日本軍による「真珠湾攻撃」と、アメリカによるヒロシマ・ナガサキの「原爆投下」を比較して、この書の中でこう語らせている。
『・・・どちらも被害者であると同時に、加害者だということを自覚することからしか、新しい世紀ははじまらない。おたがいに自分を罰することによって、相手にも徹底的に不寛容になって裁く資格を得るのだ。自分をも苦しめることになるけれども、そうすることが、人間としての道なのだ」と。』
(本書巻末の本浜秀彦氏の「解説」から多くを抜粋させていただきました)
ここまで書いてきて、「はっ!」と思い出した。以下は過去に「森のパンセーその103 福島は語る」で書いた拙文の一部である。あえてここに再掲します。
福島県三春町に住む武藤類子さん。「福島原発告訴団」の団長をつとめる。以下は武藤さんが話した内容の一部である。
『わたしは沖縄靖国訴訟原告団の団長をつとめる彫刻家の金城実さんの話が聞きたくて、読谷村のアトリエに伺いました。沖縄には長い苦難の歴史と、それに対する確固たる抵抗の歴史があって、それは私たち福島の行動からしたら成熟度が違います。たくさんのお話がありましたが、金城さんが言ったこの言葉を聞けただけで、「ああ良かった」と、大いに勇気づけられたのです。
「国を相手にケンカしたって勝てるわけがない。でも俺はやるんだ。やらずにはいられない。それが尊厳だ」と。闘うのは「尊厳」を守るためだと言ったんです。』
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