山のパンセ(その20)

おやじ山の秋・2007

<その4−空への想いー>

 山に居て毎日一番多く見ているものは何だろう?と考えてみた。都会の生活やサラリーマンで過ごしていた時に一番多く見ていたものは、先ず人間と人の顔(顔色?)、仕事上の書類? ビルや広告看板などの構造物?・・・まあこんなところが候補だと思う。(ワタシ!ワタシ!私を忘れちゃいませんか?と仮に声が聞こえてきても、それは絶対無い) しかし山に居る時、一番多く見ているものは「空」ではないかと思い至った。別に山仕事やキノコ採りをしながらしょっちゅう観天望気(かんてんぼうき:空を見て天気を予測すること)をしている訳ではないが(勿論そんな時も多いが)、ふっと仕事の手を休めて腰を伸ばした時や考えごとをする時には、先ず空を見上げる。そして深い真っ青な秋空や緩く流れているウロコ雲に目を細めて、思わず時間の経つのをを忘れてしまうのである。空には人の心を和ませたり癒したりする大きな力があるようである。そしてまた、とりわけ秋の空には遠い昔を思い出させる何かがあるようなのである。
 私は越後のこの地で過ごしていたまだガキの頃の、例えば信濃川の長い鉄橋を黒い煙を吐きながら走ってくる蒸気機関車のシルエットや、帯になって飛ぶ赤トンボの群れを空の景色とともにはっきりと覚えている。それは涙がでるほどに懐かしい夕焼けの風景である。人は懐かしい風景を思い浮かべる時、その背後にある空の景色をキャンバスとして心に描くのではないかと思っている。
 この秋(2007年)、キャンプ場の高台やおやじ山で見た空にはとても印象深いものがあった。そしてそこに浮かぶ雲や夕陽や月やたなびく霧が様々な想いを募らせてくれたのである。
 「智恵子抄」の智恵子は<東京には空がない>と言ったが、もしあなたに空がなかったら是非ともこの長岡のキャンプ場にいらっしゃい!
(2007年11月21日 記)
 下のスライドショーは、キャンプ場の高台から見た弥彦や米山の風景と西山に沈む夕陽、そして10月23日から24日の深夜(午前1時)に撮った「十三夜の月」と翌24日と25日におやじ山の上に出た満月です。まるで太陽のような赤い月は10月26日の午前5時20分、トイレに起きたら真っ赤な月が西の空に落ちる直前でした。一瞬寝ぼけて朝日が西から昇ってきたのかと思いました。
スライドショーは繰り返し続きます。飽きたら左フレームの他のメニューをクリックしてください。