山のパンセ(その32)


マルバマンサクの危機
はじめに マルバマンサクは日本海側の多雪地帯の里山を代表する樹木で、まだ山肌に雪の残る春先、いの一番に独特の美しい花を咲かせます。ですから季節一番に「先ず咲く」がなまってマンサクになったとも、枝いっぱいにチリチリの金糸卵のような花びらを付けるので、「豊年満作」の満作からおめでたい名前をとったとも言われています。 更には、アシの名をヨシと呼ぶのと同じく、貧弱な花びらを「しいな」と見て凶作を連想し、その反対語として「満作」の名をつけた、との説もあります。

 マンサクの植生分布はほぼ全国的ですが、おやじ山のマンサクは葉身の上半部が半円形の「丸葉マンサク」で日本海要素の植物と言われています。(主に太平洋側に生えるマンサクの葉の上半部は三角形) そして、この木の枝条がしなやかで粘り強いことから、雪国では輪かんじきを作ったり、飛騨地方では「ネソ」と呼んで合掌造りの軸組みで柱を縛る材料に使ったりするそうです。
 まさにマルバマンサクの木は、雪国の里山にあって村落の人々の暮らしと共にあった植物といえます。

マルバマンサクの異変
 おやじ山で私がマルバマンサクの異変に初めて気付いたのは、昨2008年の5月でした。ゴールデンウィークのとりわけ山の新緑が美しく輝いているなかで、何故かマルバマンサクの葉だけが汚く褐変して枯れているのです。最初は樹冠の一部の葉の葉柄部分が茶色く枯れ出すのですが、数日間でみるみる壊死が広がり、1〜2週間で木全体が茶色い立ち木となってしまいます。しかし昨年は、数年前から発生したナラ枯れ病(カシノナガキクイムシによるコナラやミズナラの立ち枯れ)の方が気になって、マルバマンサクの異変はせいぜい一過性の病気だろうと深刻には思っていませんでした。
          (1)









            






 そして2009年の今年、異変は昨年の比ではない程山全体に広がって、新緑がそよぐ5月の里山の至る所で、茶色く葉枯れたマルバマンサクの無残な姿を目にしたのです。この時期、褐変したマンサクの木々は美しい新緑の山肌の中でひと際目立って、何とも薄汚く惨めな感じがします。

 さらに今年の異変は葉の壊死や立ち枯れだけではありませんでした。少なくともおやじ山においては昨年まで見かけなかったマルバマンサクの虫瘤(虫えい)が、あちこち大量と言ってもいいほど見つかりました。マンサクの虫えいではポピュラーなマンサクメイガフシとは違って、葉っぱの上に現れます。見方によっては真珠やルビー色のぷっくりした可愛いらしい玉がマルバマンサクの葉に付いて、「まあ〜」と思わず目を細めたりしますが、その玉々を爪で毟ってみると、小さなハエと何やら黒く動いている幼虫らしき小動物がいます。玉々が載っている葉の裏側には同位置に穴が空いていて虫の脱出(侵入)口か、やはりアリなどとの共生の仕組みなのでしょうか。(森林インストラクターなのに、どうも観察が雑でスミマセン。来年はもっとしっかり観察します)
 突然襲ってきたこれらの異変は、一体どうしたことなのでしょう?

被害の実態と原因
 2009年6月、おやじ山から藤沢の自宅に帰って、早速インターネットで調べてみました。そして岐阜県森林科学研究所の大橋章博氏ほかのホームページやブログで、マンサクの葉枯れ被害は1998年に愛知県で初めて発見され、今や全国的に広がっていること、そして既に2002年時点で、新潟、山形、福島県などの日本海側や東北地方などでも、被害が出ていること、山に生える自生のマンサクだけでなく園芸品種にも現れて、全滅に近い地域もあること、などが分かったのですが、肝心の原因となると、「不明」ということのようです。
            (2)
 















 大橋氏はPhyllosticta(フィロスティクタ)属の菌(カビ)が高頻度で分離されたことから、本病害の病原菌ではないかと疑いは持つものの再現実験では確証は持てず、さらに研究を続ける、と書いています。

おわりに 今雪国越後の里山を見る限り、マンサクだらけです。早春、雪解けを待ちかねておやじ山に入ると、春一番のマルバマンサクのチリチリの花びらが山肌一面に咲き誇って、まさに「満作山だあ〜」と叫びたくなるほどです。黄色い花弁と春の日差しに輝く白い残雪とのコントラストもウキウキと胸躍らせます。
 しかし初夏から夏にかけての森の整備や除伐で、一番の伐倒木はこのマンサクの木です。今の里山の森にはマンサクが蔓延り過ぎているからです。そのため森が薄暗くなり、他のタムシバやヤマボウシやヤマツツジなどの植生がとても貧相になっています。果たして、昔からそうだったのでしょうか?
 私は違っていたと思うのです。少なくとも私が子どもの頃、昭和30年代頃までは里山はどこも明るく、林床にはヤマツツジが咲き乱れていました。
 里山に生えるマンサクは低木の中の優先種の一つではありますが、それだけに様々の利用があったはずです。冒頭に記した輪かんじきや「ネソ」の他に、手軽な燃料として柴刈りの筆頭のターゲットだったのではないでしょうか。昭和30年代の燃料革命でそれが一変しました。化石燃料が炭や薪や柴の需要を激減させ、里山の木々が見捨てられたのです。
 手入れを止めた山は、今、暗い暗い藪の山となっています。その中で薪炭材として利用されていたコナラやミズナラは老齢化し、それらがカシノナガキクイムシに次々に倒されました。そして今、身近な燃料や生活道具として伐採を繰り返されて来たであろうマンサクが、自らの繁茂で暗く風通しの悪い森を造り、その中で息苦しく喘いでいるのではないでしょうか。
 美しい里山を後世に引き継ぐためには、しっかりとした森の手入れによる不断の努力が欠かせないと思うのです。
(2009年6月25日 記)
            (3)