山のパンセ(その71)

 レオ君への手紙


 レオ君、こんにちは。今日は日本のどのあたりを旅していますか。お父さんお母さん、それに妹のフリンちゃんも一緒に元気に日本での旅を楽しんでいますか。今は夏の季節のオーストラリアから、寒い冬の日本に旅行に来てくれて、ありがとう。

 レオ君はおじさんのこと、誰だか分かるはずないけど、おじさんはレオ君たちのことをしっかり覚えていますよ。
 1月12日、日本では「成人の日」におじさんはレオ君たちに会いました。ほら、広島の平和記念公園の中にある「広島平和記念資料館」の館内でです。おじさんはお仕事で岡山、広島と回っていて、たまたま出張5日目のこの日に、少し時間ができてこの資料館に来ました。そこでレオ君は妹のフリンちゃんと一緒に展示物を見ながら、ご両親の説明を熱心に聞いていましたね。


 そして展示コーナーの部屋を出て、それからレオ君たちはお友達と一緒に、原爆死没者慰霊碑が見える大きなガラス張りのロビーで「ヒロシマの証言」という被爆者たちの証言ビデオを観ていました。
 おじさんもそこで何人かの被爆者の証言ビデオを視聴してから、出口近くのロビーの椅子に座って休みました。おじさんの向かい側には「対話ノート」のテーブルがあって、その上には見学者がそれぞれの感想や思いを書き綴るB5判のノートが置かれていました。見学者たちの多くは(実は私自身も)そのテーブルの前で、少し立ち止まってはノートに目を落としたり、パラパラとページをめくっては立ち去っていました。

 そしてレオ君とフリンちゃんがお父さんと一緒にこの場にやってきました。二人の兄妹がここで立ち止まると、背の高いお父さんの顔を見上げて「書いてもいい?」という顔つきをしました。お父さんが小さく頷き、最初にフリンちゃんがノートに綴り、その後でレオ君がボールペンを手に持って、少し書いては考え、また少し書いては考えて、実に長い時間をかけてノートに向き合っていましたね。お父さんは傍らで、そんなレオ君をじっと待ち続けていましたね。


 レオ君、ごめんね。実はおじさん、レオ君たちが立ち去った後で、こっそり書いたノートを読みました。
フリンちゃんは、「no atomic bombs Flynn  Australia」としっかり書き、そしてレオ君は次のように書いていました。

no Atomic bombs because it's very
 sad and bad for they environment
        Leo 9yrs
        Australia 


 レオ君、ありがとう!おじさん二人のメッセージを読みながら、思わず泣いてしまいました。そしてオーストラリアに帰ってからも決してこの思いを忘れず、お友達にも是非伝えてほしいと、心から願っています。

 おじさんは「対話ノート」には書きませんでしたが、ロビーの椅子に座りながら、様々な思いに浸っていました。実はずっと以前、この資料館ができる前の広島原爆資料館に、おじさんは来たことがあるのです。その時、おどろおどろしい展示物の数々を見てショックを受け、「もう分かった!」という積りになっていました。しかし再び、約半世紀後にこの資料館を訪れて、この場所は繰り返し繰り返し訪れて、思いを新たにする場所だと気づきました。ただ知識として頭で理解するだけではなく、様々な資料と対峙しながら、その嘆きや悲しみ、怒りを被爆者とともに己の胸にしっかりと刻み込んで、祈り、誓う場所だと気付いたのです。

 日本の多くの人たちに、是非ここを訪れて欲しいと思いました。今年の1月12日は日本の祝日にもかかわらず、見学者は日本人より外国人の方が多いようでした。そして残念ながら、レオ君の家族のように、両親から展示物の説明を受けているような日本の子どもたちには、一人も会うことができませんでした。
 だからこそ、レオ君にお礼を言いたくて、この手紙を書きました。日本の子どもたちも、レオ君のようにしっかり見て、考える子どもに育ってほしいと、心から願っています。
 

(2015年1月16日   記)