森のパンセ   山からのこだま便  その131(2023・3・12)
人類はどこで間違えたのか山極寿一の言葉

 2023年3月9日付けの朝日新聞「科学季評」に、霊長類学者で京都大学前学長の山極寿一氏の論考が載っていた。以下はその論旨である。

 
人類はどこで間違えたのか 共感力と技術 賢い使い方を

 まず、「人類は進化の勝者」という考え方が間違っている。そもそも人類に最も近縁なアフリカの類人猿は、2千万年前から勢力を伸ばし始めたサルたちに押されて、種の数を減らしてきた劣勢の種だった。サルに比べて消化能力も繁殖能力も劣っていたからだ。乾燥地や平原に進出したサル類とは対照的に類人猿は熱帯雨林とその周辺にしか生息していない。
 地球が寒冷化し始めた700万年前、人類の祖先は直立二足歩行を駆使して、熱帯雨林から徐々に草原へと進出を果たした。それは強かったからではなく、弱かったから縮小する森林にすみ続けることができなかったからだ。速力でも敏捷性でも劣る二足歩行は、自由になった手で食物を運び、安全な場所で仲間との共食を導いて人類の生存を助けた。
 人類が狩猟を始めたのは50万年前であり、それまでは肉食動物に「狩られる」存在だった。それで互いの身を守るために助け合い、集団の規模を少しずつ拡大して肉食動物の脅威を防ぐことが人類の社会力を育てたのである。それは互いの社会関係を熟知し、気持ちを理解し合う共感力によって鍛えられた。また共食や共同の子育ては共感力の強化に役立ち、歌や踊りなどの音楽的コミュニケーションはその触媒となった。つまり、人類の進化の大半を「弱みを強みに変える」ことによって発展してきたのだ。

 7万~10万年前、その共感力に満ちた社会に言葉が登場した。言葉によって世界を切り分け、物語にして出来事を因果関係によって解釈し始めた。人間は物語の主人公になり、環境を対象化して世界を支配するようになった。
 1万2千年前に農耕・牧畜という食料生産が始まったのも、人間を主役にして環境を作り替える考えが主流になったからだろう。やがて余剰の食糧を生み出し、人口を増大させる道を開いた。
 しかし、定住と所有という農耕・牧畜社会の原則は個人や集団の間に多くの争いを引き起こし、やがて支配層や君主を生み出し大規模な戦争につなげる温床となった。集団間の争いで死亡する人の割合は3千~5千年前に最大となり、下克上の世の中を生き延びるためにキリスト教や仏教などの世界宗教が生まれたのである。
 この時期に人間は、現世の苦しみはあの世で救済されるという考えを抱くようになった。これは人類が長い進化の過程で発達させてきた共感力を敵意を利用し拡大させる道を開いた。もともと共感力は150人程度の集団で働く顔見知りの意識だが、顔も知らない人々が自己犠牲をいとわずに助け合うために、支配層は言葉を弄し、武力を強化し、社会の外に共通の敵を作って団結する仕組みを作ったのだ。これは今でも戦争の基本的な考え方として力を発揮している。

 産業革命はそれまで家畜の力に頼ってきた人間の暮らしを、人工の動力によって拡大することに成功した。農村で季節の変化に従って生きてきた人々は都市に集められ、自然界にない製品を作り出せるようになり、支配層だけでなく一般の人々も過剰に物を欲するようになった。それが無限の経済成長を信じる思想を育て、海外へ進出して領土を広げ、自国にない産物を略奪する行為を正当化した。

 人類が成功者として歩んできたという思想の裏に、実は間違えた道筋をたどった歴史が隠されている。地球環境が限界に達した今、人間の足跡を検証し、正しい道へと社会を向かわせなければならない。そろそろ過去の間違いを認め、共感力と科学技術を賢く使う方策を立てるべきではないか。個人の欲求や能力を高めることよりも、ともに生きることに重きを置く。管理された時間から心身を解放し、自然の時間に沿った暮らしをデザインする。所有を減らし、シェアとコモンズ(共有財産)を増やして共助の社会を目指すことが肝要だ。それは長い進化の歴史を通じて人類が追い求めてきた平等社会の原則だ。
 間違いを認めず、いたずらに武力を強化して、再び戦争の道を歩むことだけは決してあってはならない。

 以上である。
 20世紀に続き21世紀に入っても世界は混迷を極め、その中にあって我が国の政治も危うい方向に舵を切ろうとしている。山極氏のこの論考は、人類の進化の歴史を検証することによってヒトが行ってきた増長と驕りを戒め、未来に向けてどう歩んで行ったらよいのかを示唆してくれている。今は亡き知の巨人、経済学者の宇沢弘文氏を思い出させる慈愛と熱意のこもった文章に触れることができた。