森のパンセ   山からのこだま便  その133(2023・11・28)
二人の作家の「ヒロシマノート」

以下の文は2023年9月2日「日記 」の転載です。(一部文章を修正しています)
 作家の高橋源一郎が朝日新聞に寄稿した「ヒロシマ・ノート」を読んだ。(2023年8月30日付朝日新聞オピニオン&フォーラム。本題は<なぜ「ヒロシマ」 向かい合う先に>)

 今から60年前の夏(1963年8月5日)、作家の故大江健三郎が、分裂危機直前の原水爆禁止世界大会開催の広島を最初に訪れ、その後3年間にわたって多くの被爆者や被爆二世、原爆治療に携わる医師等に取材して被爆の実相を「ヒロシマ・ノート」として著わした。高橋氏が今回、その足跡を辿って寄せた一文である。

 高橋氏は寄稿文の最後の方で、「当事者」になれないもどかしさと、それからの未来への希望を次のように書いていた。
 『原爆投下から78年。遠くない将来、被爆者はいなくなるだろう。被爆二世もいつかまた。「当事者」は姿を消してゆき、ことばや記憶の中だけの存在となる。どんな「当事者」もたどる運命だ。わたしたちは、いやわたしは「ヒロシマ」の「当事者」でも「あの戦争」の「当事者」でもない。・・・(以下後述)』

 昨日、大江健三郎著「ヒロシマ・ノート」(岩波新書 第1刷1965年6月、第98刷2023年4月)を取り寄せ、朝は寝室の片隅に置いた机に向かい、陽が上ってからは蒸し風呂になった家を飛び出し、エアコンを効かせた車の中で夕方まで、一気に199ページを読み了えた。
 
 大江健三郎もまた、この著書のなかで、『僕が広島で見た(ついに旅行者の眼でかいま見たにすぎなかったにしても)人間的悲惨は・・・』と吐露し、『われわれがこの世界の終焉の光景への正当な想像力をもつ時《被爆者の同志》たることは、すでに任意の選択ではない。われわれには《被爆者の同志》であるよりほかに、正気の人間としての生き様がない。』と書いた。

 日本には今、「ヒロシマ」や「ナガサキ」だけではなく、「オキナワ」があり、そして「フクシマ」がある。政治家が、そして「非当事者」であるわれわれが、いくら「被災者(現地の人)に寄り添って」と語ろうと、「当事者」を越えることはできない。ではどうしたらよいのだろうか。高橋氏は先の文章に続けてこう書いている。
 『・・・けれども、大きく変わっていく世界の中で、何かもっと別の、大切な何かの「当事者」なのかもしれない。それを見つけたとき、わたしたちは、「ヒロシマ」にも向かい合うことができるかもしれない。』と。

 添付の新聞切抜きは、森林調査で何回も広島県を訪れ、その体験をもとに書いた2021年3月26日付朝日新聞「声」掲載の投稿文である。