森のパンセ   山からのこだま便  その114(2021・2・6)
コロナ禍で考える未来社会

1,ウィルスとは何か
 現在の生物学では、ウィルスは”無生物”と定義されている。「生物の五界」のどこにも属さないのに、自己複製をするウィルスは、生物と無生物の境界に漂う奇妙な存在といえる。ウィルスは細菌の1/10~1/1000程度と微小で、DNAまたはRNAを殻で囲んだだけの高分子粒子で、細胞ですらない。しかしこの”粒子”は生物の細胞の中に侵入し、細胞の司令塔であるDNAを書き換えて粒子の複製を作らせ、増殖、拡散していく。また粒子の複製時に容易に突然変異を起こし、次々と型を変えることが出来る。
 ウィルスは103科455属、約3万種あり、動物、植物、細菌と様々な生物の体内で見つかっている。そのうち哺乳類、鳥類のウィルスは約650種、ヒトに病原性を持っているウィルスは約100種と言われている。

 生命の進化は、生命の設計図=DNAの変異変遷の歴史だといえる。そしてDNA解析により、ヒトも含めた生物のDNAにはある種のウィルスDNA(内在性ウィルス)が組み込まれて機能しており、このウィルスがDNAの防御機能になったり、DNAに新しい機能を獲得させたりしながら、進化に関与していたと考えられている。
 つまり進化において、生物のDNA変異が親から子へ継代し、集団内で定着するには莫大な時間を要するが、ウィルス伝播がその効率化を担い、進化を早めた可能性があると推測されている。その意味でウィルスは、基本的には生物と「共生」関係を結んできたと言える。
 一方で、野生生物の体内で共生していたウィルスは、宿主を変えながら変異を繰り返し、ヒトに感染症をもたらし、有史以来人々を苦しめてきた。
(※生物の五界説:生物界を「植物」「動物」「菌」「原生生物」「モネラ」の5つに分ける考え方。「モネラ」とは細胞核を持たない原核生物全てを含む生物界。)

「ウイルスとは何か」久野眞由美(樹木・環境ネットワーク協会発行・聚レターNo.153)

2,感染症と社会変革の歴史
 ヒトへのウィルス感染症は、農業が始まって定住人口が増えたころ、野生動物の家畜化が進み、人と動物の距離が縮まり一気に増加したという。
 歴史を追ってみると、日本では大化の改新の頃に天然痘が流行し、当時400万人ほどの人口のうち100万人が天然痘で亡くなったと推計され、その結果、仏教の大仏建立などが促されたという。
 また江戸時代の終わりにはコレラが大流行し、100万人都市の江戸で約3万人の死者が出たとされる。尊皇攘夷派はコレラの蔓延は開国が原因だとあおり、明治維新へと繋がったとされる。
 一方ヨーロッパでは、14世紀にペストが大流行し、人口が激減、教会の権威が失墜した。その結果封建制度の崩壊が始まってルネサンスへの道が開かれたのだと。

3,コロナ禍で考える未来社会
 今、コロナ禍の変容の中で、本来の人間社会が形作っていた対面での会話や、集団での交流といったヒト本来の「生」(き)のものが忌避され、テレワーク、オンライン授業、ウェブミーティングといった情報技術(IT)を中心とした社会へと変貌しつつある。しかしこれらはあくまでも社会を形作っていく手段の一つであって、本来はポストコロナで我々はどのような価値観を共有できるか、が大きな課題なのである。
 前述したように、感染症の歴史を振り返れば、ヒトは大きな困難を原動力として社会を変えてきた。今コロナ禍の変容で、今まで辿ってきた価値観を維持するのか、それを断ち切って新たな価値観に基づく社会に変貌を遂げるのか、が問われている。

4,自然との共生

4-1.日本の風土と日本人の自然観
 日本列島の自然の特性は、生物多様性による天然資源の豊かさと、それに相反するように、自然災害が頻発することが、科学的にも、歴史上の事実として認識されている。
 日本列島は黒潮と親潮海流に洗われ、偏西風に運ばれてくるヒマラヤ域からの湿った空気に影響されて温暖多雨に恵まれ、四季がはっきりした気候である。また生き物については、ヒマラヤから中国南西部にかけての暖温帯としては最も多様な生物相が見られる地域とつながっており、豊かな遺伝子資源に恵まれるという好位置にある。即ち歴史的に豊富な植物相が形成され、そこに多様な動物たちも棲みついて、全体として生物多様性は豊かであり続けた。
 一方日本列島は環太平洋火山帯に位置し、ユーラシアプレートと太平洋の海洋プレートが重なり合う構造にあり、地震とそれに伴う津波の被害も頻繁に受けてきた。また偏西風によってもたらされる湿った空気により、多雨にも恵まれるが、時にはそれが豪雨に変貌し、河川の氾濫や地崩れなどの災害となった。さらに日本列島は、南太平洋に発生し、西太平洋を通過する台風の通路にもあたっていて、時に大きな災害を引き起こした。
 日本人の伝統的な自然観は、これら豊かな生物多様性がもたらす恩恵への感謝と、頻発する災害に対する恐怖感、これらが織りなす自然への畏敬の念が日本人の伝統的な自然観を育ててきた。即ち八百万(やおよろず=万物の意)の神に祈りながら、自然を尊び、自分自身も自然の一要素であると認識して自然に馴染ませる生き方をしてきた。

 日本列島の地形は山稜を核として、山地が7割、平地が3割と計算される。この列島の構造的な背景と日本人の自然観が、絨毯的な開発を許さず、農耕地は列島のせいぜい20%とし、逆に平地に続く後背地を里山として活用し、そこで狩猟採取の延長のような生業も併存する日本の特有の生き方を生み出し、育ててきた。
 つまり私たちの祖先は、効率だけを目指して開発するようなことはせずに、本来の八百万の神の住処「奥山」と、人が利用させていただく場所「人里」とを区別し、その間に緩衝地帯「里山」を設けて棲み分けを維持していた。
 神の領域である奥山は、野生の生き物たちの生活場所であり、人は人里で効率的に必要な資源を生産し、里山からは補助的な資源を狩猟採取の方法で獲得して生きて来たのである。奥山から里山に出てきた野生動物たちは、昼の間はそこで人が活動する間はひっそりと姿を隠し、人が居なくなるとそこも活動場所として利用し、人と野生動物の棲み分け、即ち「共生」関係を形作ってきた。また人里をつくり、村をつくってきた祖先たちは、奥山の依り代である「鎮守の杜」を招来して、八百万の神の守護と自分たちの守護を氏神として設けて祈ってきた。つまり、人と自然との共生は、人も自然の一要素であるということであり、日本人の生き方そのものだったのである。

「桜が無くなる日」岩槻邦男著(平凡社新書)

4-2.新興感染症と発生要因
 1980年代、WHOによって「天然痘撲滅宣言」が出され、、天然痘をはじめ、ペスト、コレラなど、古代から続いたヒトと感染症の戦いは終わったと考えられてきた。しかし近年になってAIDS、SARS、そして新型コロナウィルスと、新興感染症が再燃してきた。その要因を専門家は以下3つと指摘している。

 ①道路やダム開発、熱帯雨林の縮小など、ウィルス保有の野生動物とヒトとの距離が近づいた。
 ②地球温暖化によるウィルス媒介動物(主に蚊などの節足動物)の生息域の拡大。
 ③グローバル化、都市の巨大化、ヒトの移動の激増化。

「ウイルスとは何か」久野眞由美(樹木・環境ネットワーク協会発行・聚レターNo.153)
 即ち、今世界が悩まされている感染症は、①開発、②地球温暖化、③経済・効率優先の社会、によって引き起こされた結果だと。

4-3.ポストコロナ時代に求められる価値観ー自然との共生ー
 広島平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑には、次の言葉が刻まれている。「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」 そしてこの「主語」は誰か、という論争があって、今は「人類」ということで多くの人に受け入れられているという。
 
しかし日本政府は、唯一の戦争被爆国であり、10年前の福島第一原発の大惨事の後始末も未だ困難を極めているにもかかわらず、先月22日に発効した国連の核兵器禁止条約を拒み、「フクシマはアンダーコントロールされている」との認識で、「主語」を担う意志があるとは到底思えない。
 今、地球上の三大危機をあげるとしたら、「①新型コロナウィルスによるパンデミック」「②地球温暖化」「③核と核兵器による大量破壊」だと思う。

 現在の生物学の常識に従うと、生き物は30数億年前に単一の形で地球上に姿を現し、現在までの30数億年の進化の歴史を経て、数千万あるいは億を超えるとも推定される多くの種に分化して、多様な姿を示すようになった。そして重要なのは、ヒトはこの数千万あるいは億分の1の存在でしかなく、ヒトも含めそれらが相互に直接的、間接的な関係性をもち合って、全体として一つの生命を生きているということである。

 前述の三大危機に共通する要因は明らかである。経済優先、科学技術振興の錦の御旗のもとで、人類が自然に対する謙虚さを忘れ、人と自然が本来あるべき姿ではなくなったことが一番の要因である。
 ならば、4-1で見たように、日本人の伝統的な自然観、即ち、自然を尊び、自分自身も自然の一要素であるという「自然との共生社会」を模索し、実行していくことが必然なのである。
 広島、長崎に投下された2発の原爆による死亡者数の合計は50万1787人(2019年8月時点)。新型コロナウィルス感染での世界の死者は225万人超(AFP3日報道)となった。これらの死者に対して「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と、一人ひとりがこの言葉の「主語」を担って、ポストコロナ時代の価値観を築いていかなければと、心から思うのである。

※【引用・参考文献】
「ウイルスとは何か」久野眞由美(樹木・環境ネットワーク協会発行・聚レターNo.153)
「感染症を生きるには」長崎大学教授山本太郎(朝日新聞・2021年1月15日朝刊)
「桜が無くなる日」岩槻邦男著(平凡社新書)
「飯舘村からの挑戦」田尾陽一著(ちくま新書
「日曜に想う」(朝日新聞・2021年1月31日朝刊)
「人新生の「資本論」」斉藤幸平著(集英社新書)