山のパンセ(その42)

「無言館」再び

 一昨日(2010年11月13日土曜)、約1ヶ月半過ごしたおやじ山でのテントを畳んで帰途についた。

 しかしこのまま一気に藤沢の自宅に帰るのが惜しくて、千曲川沿いの国道を信州に向けて車を走らせ、昨14日(日曜)の午後、4年前(平成18年)の春に訪れた上田盆地を望む「無言館」の丘に来た。以前と同様、打ちっ放しのコンクリート造りの小さな美術館は、それ自体が戦没画学生を祀る墓標でもあるかのように晩秋の薄日を受けてひっそりと雑木林の中に佇んでいた。

 「無言館」は平成9年5月に開館した太平洋戦争で戦死した若い画学生たちの絵を集めた戦没画学生慰霊美術館である。館長は窪島誠一郎氏、今は亡き作家水上勉の実子である。
 4年前には、この前年にNHKのテレビ番組「新日曜美術館」で窪島氏が紹介した中村萬平の「霜子」、井沢洋の「道」(館内表示は「風景」)、太田章の「妹」(館内表示は「和子の像」)に強く惹かれて、この3点の絵だけは実物をしっかり観ておきたいと思って来たが、今回もやはりこの思いは変らなかった。

 小さな木製のドアを開けて薄暗い館内に入ると、左側のコンクリート壁の一番手前に「霜子」の絵がある。裸婦が椅子に腰掛けて右足をクロスに乗せて膝を立て、やや俯き加減で幾分傾げた顔が真っ直ぐ正面を見つめている。これから戦地に赴く描き手の夫の顔を、まるで自身の目の中に焼き付けるかのように直視して離さないその顔と目に湛えられた何と言う光の強さだろう!息を詰める様にキャンバスの前に立ってじっと見入ると、窪島氏が評した「画家とモデルとの間の濃密な関係」が手に取るように分かるのである。
 霜子は作者中村萬平の東京美術学校時代のモデルだった女性で、中村の妻となった。夫が出征してまもなく萬平の一粒種を生んで病死したが、祖国からの手紙で訃報を知った萬平は戦地にのぼる満月をあおいで慟哭したと書かれている。その萬平も出征先の野戦病院で26歳で若き命を終えた。

 中村萬平の「自画像」の隣に井沢洋の「家族」と「道」(館内の表示は「風景」)の絵が掛けられている。貧乏な家で育った井沢は人一倍家族への思いが深く、家族全員揃った肖像画のような絵を描いたが、召集令状を受取り出征直前に実家に帰って描いた絵は、懐かしい故郷の一本の「道」の絵である。栃木の生家の庭には、洋を美術学校に入れるために売った欅の木の切株が今も残っているというが、26歳の若き画家をニューギニアの戦地で喪った井沢家族の悲しみと恨みとが今だ消えずに残っているのかも知れない。
 「家族の絵を描いていた一人の画学生が、出征を前にして最後に向き合ったのは、自分自身だった」と窪島氏はこの絵について語っていた。

 太田章の「妹」(館内の表示は「和子の像」)は奥左手の壁の中程に掲げられてある。白地に藍色の花菖蒲のデザインを染め抜いた浴衣にピンク色の帯を締めて佇む妹「和子」を描いた絵である。
 窪島氏は「出征を前にした画学生たちの絵は、自分にとって一番大切なものを描いているのです」と言ったが、太田にとって4つ違いの18歳の妹こそが、死を覚悟して戦争に行く自分にとって「一番大切なもの」だったのだろう。

 今回新たに気付いたことがある。若き画学生たちが遺した「自画像」の絵である。「無言館」に5点、そして新たにできた別館「傷ついた画布のドーム」に12点もの自画像が掛けられてあった。その1点、1点の画学生たちの顔の何と言うナイーブさだろう! そしてその清々とした眼の奥に宿る何と言う幼い不安や脅えの翳だろう! 果たして戦争という歴史が人の顔をも造り変えてしまうものなのだろうか?
 「傷ついた画布のドーム」に33歳でフィリピン・ルソン島で戦死した五十嵐弘の「自画像」が掛けられてある。そしてその下のプレートには次のように書かれてあった。
 
 弘がルソン島で戦死したという報がとどかぬうちに
 帰りを待ちわびていた妻栄子も病死した。
 臨終の床で「弘さんは死んだようだ」とつぶやいた
 という。栄子が戦地に毎日のように送った葉書を、
 弘は何冊ものノートに貼って保存し、そこに返事
 の言葉を書きつけていた。
 栄子は妹の手でとどけられたそのノートを
 抱きしめて死んだ。

 「無言館」一番奥のコンクリート壁に、1997年5月2日の無言館開館の日に表した窪島誠一郎館主の「あなたを知らない」と題したメーセージ文が掲げられてある。

    あなたを知らない

 遠い見知らぬ異国(くに)で死んだ 画学生よ
 私はあなたを知らない
 知っているのは あなたが遺(のこ)したたった一枚の絵だ

 あなたの絵は 朱い血の色にそまっているが
 それは人の身体を流れる血ではなく
 あなたが別れた祖国の あのふるさとの夕灼(や)け色
 あなたの胸をそめている 父や母の愛の色だ

 どうか恨まないでほしい
 どうか咽(な)かないでほしい
 愚かな私たちが あなたがあれほど私たちに告げたかった言葉に
 今ようやく 五十年も経ってたどりついたことを

 どうか許してほしい
 五十年を生きた私たちのだれもが
 これまで一度として
 あなたの絵のせつない叫びに耳を傾けなかったことを

 遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ
 私はあなたを知らない
 知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ
 その絵に刻まれた かけがえのないあなたの生命の時間だけだ


 午後4時を回って、「無言館」を出た。丘の雑木林の間からは、幾分靄った上田の町並みとその奥に連なる信濃の山々が冬の夕陽に淡いオレンジ色に染まって見えた。
 坂道を下ってもう一度「無言館」の丘を振り返ると、既に峰の向こうに夕陽が落ちて錦繍の山肌が夕闇色に装いを変えていた。



(平成22年11月15日 記)