山のパンセ(その60)

息子に繋ぐもの

「日記−仙人のつぶやき−」2013年5月6日日記を一部書き直して転載しました。

 2013年のゴールデンウィークはまさに千客万来だった。4月30日に森林インストラクター神奈川会の会長Uさんがおやじ山に来て、翌5月1日にはUさんの同僚のT先生が合流した。そして5月3日には息子と孫の承太郎がカミさんと一緒におやじ山入りして、翌4日には娘が友人のSさんTさんと一緒にキャンプ場に到着。引き続いて辻堂のSさん夫婦が愛犬のブラッキー、テリーの兄弟犬と共にテント場に着いた。
 4日の午前中には早速地元のSさん夫婦が差し入れの日本酒を提げてキャンプ場にやってきて、さらに心尽くしの手料理をどっさり置いていった。いつもいつも心に沁みて思うのだが、越後人の、とりわけ地元長岡の人達の青天井のご親切には涙が出るほど感謝感激している。
 
 本当に楽しかった時間も束の間、5日の昼にはキャンプ場下の駐車場でSさん夫婦と二匹の愛犬に手を振って別れ、程なく娘ら3人が乗った車をも見送った。
 そして5月6日の11時50分、長岡駅の新幹線ホームで息子と孫の二人を見送った。列車に乗り込んでも直ぐ席には着かず、発車までデッキに立ち続けている二人に、「またいつでもおやじ山に来なさい。元気でやるんだよ」とニコニコと声を掛けたが、やっぱり寂しさが込み上げてきて仕方がなかった。

 5月5日の子どもの日には、朝早く息子を起こして初めて山菜宝庫の「水穴」に連れて行った。おやじ小屋から北尾根に取り付き、三ノ峠山の頂上を越えて萱峠登山道を進み、途中の藪尾根を掻き分けながら入る難所である。日頃都会での仕事に追われ、山歩きなどしたこと無かった息子にとっては、苦しい山行だったに違いない。
 広大な斜面には質の良いコゴミが一面に生えて、息子は夢中になって山菜取りに興じていた。そして一段落してから水穴の斜面に二人で座り、並んで真正面に見える鋸山を望みながら俺のおやじとお袋の思い出話を息子に話して聞かせた。
 それは遠い遠い昔、俺がまだガキの頃、おやじとお袋にここまで連れて来られ山菜採りをした懐かしい思い出である。それは貧しかった我家の食料の足しにする山菜採りだったが、本当に楽しかった!そして限りなく嬉しかったのである。
 「タカオ〜!こっちに一杯生えてるよ〜! タカオ〜!大丈夫か〜! タカオ〜・・・タカオ〜・・・」 水穴の斜面にいまだに木霊する両親の声を聞きながら、当時の俺と同じに山菜採りに興じた息子に語りかけたのである。
 息子は鋸山をじっと見つめながら黙って話を聞いていたが、俺が話し終わってから、「ボクもおじいちゃん、おばあちゃんと一緒にここに来たかったなあ」とポツリと呟いた。息子が生まれるずっと前に既にお袋は死に、生前のおやじの元にも、現役時代の仕事の忙しさにかまけて息子を連れて行ってやれなかった。

 午後4時を少し回って、息子からの携帯電話が鳴った。「今、家に着いたよ。山菜採り、凄く楽しかった。お父さんありがとう・・・」
 嬉しかった。


(2013年6月17日 記)