森のパンセ   山からのこだま便  その134(2023・12・7)
おやじ山の秋2023

 今年の秋のおやじ山入は912日、長岡に待望の雨が降り始めたからである。この夏の長岡はまさに異常気象だった。藤沢の自宅でじりじりする思いで郷里の天気予報をチェックしていたが、721日から8月いっぱい、更に95日までの約一月半の間、カラカラ天気と30度を超える記録的な暑さの連続だった。(*気象庁のデータを見ると、この47日間の降水量合計がわずか14.5mm35℃超の猛暑日が31日間もあった) 長岡でようやくまとまった雨を見たのは96日で、「そんでは、そろそろおやじ山に行くか」と、及び腰を上げた次第である。それにしても我がふるさとの長岡が、全国一の最高気温で名を馳せるとは思ってもみなかった。
 長岡では9月中25度を超える夏日がだらだらと続き、おやじ山で朝晩の気温が10度台まで下がったのが10月に入ってからだった。

<おやじ山の秋の恵み>
 これまでの日照りと猛暑で、「今年の山のキノコは絶望的だなあ」と半ば諦めていたが、102日に高級食菌キンロクことニンギョウタケが出た。昨年より25日遅い発生である。そして104日には、通常はシーズントップに出るアミタケが発生し、気温が13度まで下がった翌5日は床伏せしたホダ木に待望の舞茸が発生した。たまたまこの日、ホダ木を購入した加茂の山崎さんから「そろそろ舞茸が出るからしっかりと見回るように」とご注意の電話があって、確認したのである。さらに翌6日、何と!天然舞茸が、風の小屋のすぐ裏のミズナラの倒木に2年ぶりに発生した。これは本当に踊りたいほど嬉しい出来事だった。カラカラ天気が長く続いてほとんど諦めていた秋ミョウガも、例年より半月ほど遅い10月初旬に収穫できた。
 そして1013日には、新潟からK兄も駆けつけて、「おやじ山舞茸収穫祭」を開催した。集まった7人の仲間達と、この日参加できなかった仲間の分も含め、それぞれが持ち帰るに充分な量が収穫できた。お昼は、NさんやK子さんの手作り料理を囲んでの楽しい時間を過ごした。


 10月下旬から朝晩の気温が10度以下まで下がり、広葉樹の森で大量のナメコが発生した。そして111日には、「おやじ山ナメコ収穫祭」と称して参加者6人で収穫し、参加できなかった長岡在住の仲間達にもお配りした。さらに113日には、いつもおやじ山を応援して下さる神奈川、東京の仲間の皆さんに秋色の葉っぱにナメコを包んで「おやじ山の秋の風景」としてお送りした。


 
<朋有り、遠方より来たる>
 この秋も、古くからの友人がおやじ山を訪れてくれた。
 夏日が一段落した10月12日には、不自由な身体をおして信州信濃大町からOさんが来てくれた。Oさんはこの山をこよなく愛し、2004年の新潟県中越地震後にはいち早く駆けつけてくれて、崩れた山径や被災したおやじ小屋の修復に汗を流してくれた。昨年同様妹さんの運転で長岡入りし、昨年は見晴らし広場で車を降りて、ゆっくり杖をつきながら歩いて風の小屋まで到達できたが、今年は残念、見晴らし広場の展望台に上って越後平野と長岡の街並みを眺めただけで、信州に引き返した。それでも「おやじ山の空気を吸えて嬉しかった、ありがとう!」のOさんからのメールに胸が熱くなった。
 毎年決まって春と秋の年2回おやじ山を訪ねてくれる神奈川の森林インストラクター仲間が11月17日、18日と来てくれた。Sさん、Tさん、Kさんの3人組である。Sさんも2年程前から手足が不自由になり、それでも「おやじ山の空気を吸いたい」と訪ねてくれたのである。この3人が毎年おやじ山に来るようになって既に15年以上の歳月が経った。東京と横浜で生まれ育ったSさんは「おやじ山は俺の第二のふるさとだ」といつも口にしていた。
 当日は生憎の雨模様で、Tさん、Kさんはカミさんとともに風の小屋で寝食を共にできたが、Sさんはやはり車での見晴らし広場までで、その先の歩行はできず、停めた車の中で過ごさざるを得なかった。その日はSさんと二人で街に下りて市内のホテルに泊まったが、それでもSさんは、おやじ山の空気を吸えただろうか。第二のふるさとの匂いを嗅げただろうか。

 そしてこの秋は、珍しい新しいお客様が山に来てくれた。11月8日、魚沼市上折立にある「いろりじねん」のご夫婦がシンガポール国籍のRさんご夫婦を伴っての来訪だった。「いろりじねん」は大湯温泉の入口近くに店を構える山野草料理の専門食堂で、素材の味や色彩を存分に活かした芸術品とも言える抜群の料理とご夫婦の人柄に魅せられて長く通っていた。食堂の部屋からは田圃と越後駒ヶ岳の雄姿が望まれ、ホッと寛げる空間が大好きだった。そのご主人と奥様の来訪は本当にありがたく、お店の大切な外国のお客様をお連れするという嬉しい光栄にも預かった。 当日はRさん夫婦初体験のホダ木に生えたシイタケやナメコの採取をしたり、いろりじねんのご主人が丹精込めて料理した素晴らしいご馳走を囲んで談笑したりと、決して忘れることが出来ない時間を過ごした。Rさん夫婦がおやじ山の風景を「素晴らしい」「美しい」と何度言ってくれたことか。嬉しかった。
 さらに神奈川から森林インストラクターのNさんが、そして東京からは森林調査の相棒Kさんが山に来て、この冬の雪害の処理や薪割りをやってくれた。
 まさに「有朋自遠方来 不亦楽乎」である。

<秋の黄葉>
 やはり気球温暖化のせいか、今年は10月20日の午後からの雨でようやく山が色づき秋の季節が始まった感じだった。その後一ヶ月で季節は猛スピードで進み、下山の頃にはおやじ山は既に秋の終わりを迎えていた。
 11月下旬ともなれば、普段の年では山の木々の葉は枯れ落ちて雪の季節を迎える準備をしているのだが、今年は晩秋期まで葉が付いたままだった。夏日が長く続いたために葉の離層が発達しなかったのだろう。そのせいか、紅葉はほとんど見られなかったものの、見事な「黄葉」が出現した。ミズナラ、アズキナシ、ハウチワカエデ、さらにヤマモミジも、紅ではなくてレモンイエローに染まり、オオバクロモジの艶やかな黄色、ブナの金茶、コシアブラの透明なクリーム色と、長く山に暮らしていて、あらためて「黄葉の美しさ」に感心させられた。


<山を下りる>

 1123日(勤労感謝の日)にカミさんと一緒におやじ山を下りた。そして磐越道、東北道と車を飛ばしカミさんの郷里仙台で一泊し、翌24日に23の用件を済ませて、この日の夜遅く藤沢の自宅に無事辿り着いた。

 下山日を含めた前3日間は幸いにも長岡は絶好の秋晴れで、仲間の皆さんの協力を得ながら、一日目はおやじ山に隣接する長岡市協定林地の最後の山施業(総仕上げ作業)、二日目は水道設備の撤収など山仕舞い、三日目の下山当日は、山暮らしのガラクタ類の片付けなどを済ませ、晴れて今年のおやじ山暮らしにピリオドを打つ事ができたと思っている。仲間の皆さんに心から感謝する次第である。