(その67) |
第65回全国植樹祭式典に参加して |
6月1日(日)、新潟県 ハイブ長岡会場の招待者の集合場所は、四郎丸町の長岡地域振興局だった。招待者はここで本人確認のチェックを受け、さらに手首にはタグバンドを巻かれて、帽子とIDカードを受け取って指定されたバスに乗り込む。車内では係員から各人の手荷物の制限や、式典中の細々とした注意を聞かされた。 バスが会場に着き、建屋前の広場では、オレンジ色の帽子とオレンジベストを着た大勢のスタッフ、更に実に多くの警察官に出迎えられた。そして係員から手荷物検査を受け、金属探知機のゲートを無事通過した時には、さすがにドッと汗が吹き出してしまった。 ハイブ長岡の館内では、正面舞台に向かってズラリと椅子が並べられて、我々青色の帽子のグループの他に、緑、黒、赤色の帽子毎にそれぞれのブロックに区分けされて着席する。地元選出の国会議員が我々のブロックまで来て、自分の被っている帽子を指して「我しゃあ運動会の紅組に入れられたこってえ」とおどけて見せたが、何も会場に来てまで参列者を色別する主催者のセンスには首を傾げざるを得ない。 9時30分、いよいよ式典が始まった。式典は、1部のプロローグ(全国植樹祭記念切手贈呈、泉田新潟県知事より東日本大震災復興支援の緑化樹木「にいがた千年松」を岩手、宮城、福島3県へ贈呈、新潟県警察音楽隊による招待者歓迎演奏「新潟の四季」など)、2部の式典・お手播き、そしてエピローグ(植樹祭応援隊の活動、未来へつなぐ森づくりフラッグリレー、歌手沢田知可子さんの「心から心へ~ありがとうコンサート」など)の3部構成となっている。 午前10時、参列者が振る日の丸の小旗に迎えられ、泉田知事と主催者、国土緑化推進機構理事長・伊吹衆議院議長に先導されて、天皇、皇后両陛下が会場正面の御座所にお着きになった。伊吹大会会長の開会の言葉に続き全員起立、回れ右して国歌斉唱(大相撲やサッカー中継では何度も耳にしていたが、実際歌ったのは果たして何十年ぶりだろう?懐かしかった・・・)、緑化功労などの表彰式、「森のチカラ・つくる未来~越後杉の贈り物~」と題したスポーツダンスと続いて、いよいよ天皇、皇后両陛下のお手播きの行事に移った。 御座所を離れ越後杉で作ったお手播き箱の前に立たれた両陛下は、介添えの役の「緑の少年団」が手に持つ箱の中から、天皇陛下はアカマツとスギの種を、皇后陛下はケヤキとタムシバの種を手に取って、実に丁寧に手播き箱に播かれた。この春、おやじ山では例年になくタムシバの花が見事に咲いた。そのおやじ山の早春花木の象徴とも言えるタムシバがお手播き種に選ばれたとは、何とも誇らしい気持ちである。 両陛下がご退席になり、3部のエピローグが始まった。そして震災からの復興が縁で長岡とゆかりができた沢田知可子さんの素晴らしい歌声がハイブ長岡の会場に響き渡った。久々に聴いた「会いたい」の熱唱では、不覚にも落涙してしまった。 11時20分、式典が終わった。そして会場で配られた立派な「全国植樹祭オリジナル弁当」を食べながら、会場内の大型スクリーンに映し出されている川口きずな館前広場「お手植え会場」の中継を見た。天皇陛下はブナ、イタヤカエデ(アカイタヤ)、ホオノキ、皇后陛下はユキツバキ、ヤマボウシ、ウワミズザクラの苗を植えられた。これらの樹木はおやじ山にも普通に生えている雪国独特の日本海要素と呼ばれる植物だが、新潟県開催の全国植樹祭のお手植え木としてこれらの樹種を選んだとはさすがである。 午後2時過ぎからは、バスで陽光台に移動し、招待者記念植樹をした。俺が選んだ木はサクラ(ウワミズザクラかカスミザクラ?)の苗だったが、苗木の中で一番萎れていた1本を選んだ。しっかり根付いてほしいと手で丁寧に土をかけて、それから靴を脱いで裸足になり何度も踏付けた。革靴で植樹の盛土を踏んでは申し訳ない気持ちになったからだ。これらの苗木はスクールステイで 炎天下の一日、最後にびっしょり汗をかいたが、爽やかな気持ちで帰りのバスに乗り込んだ。 |