山のパンセ(その64)
 故郷は緑なりき

 7月7日に新幹線で長岡入りして、この日は市内のホテルに泊まり、翌8日から14日までおやじ山で過ごした。
 今回の目的は「猿倉緑の森の会」代表のNさんを通じて、Nさんの地元、長岡市立太田中学校の総合学習授業で講話をして欲しいという依頼があり、それで出掛けて行ったのである。しかし8日の午前中だけ生徒たちに話をして直ぐトンボ返りではもったいないと、役目が終わった後はおやじ小屋で寝泊まりすることにした。

 そしてこの日から過ごした7日間は大型台風8号の影響で物凄い雷雨(8日の夜中から9日朝にかけての大雷鳴は、まさに耳をつんざく轟き様で、戦車砲飛び交う戦場の只中に居るようだった)に見舞われたりと天気には恵まれなかったが、おやじ山で舞うホタルに久々に出会えた。
 おやじ小屋泊り初日の8日午後8時過ぎ、少し小雨がパラつき始めた時刻だった。谷川から1頭のホタルが山の斜面を漂いながら上って来た。そしてそのまま小屋の屋根を一越えしてすぐ脇のおやじ池の上でしばし浮遊してから、今度はまるで急流を流れ下るように闇の中を谷川の方に落ちて行った。このホタル一頭が放つ光の、何という強さだろうか!パ~ッパ~ッと狂おしく明滅しながら走る鮮光黄(せんこうき)の曲線が、そのまま漆黒の闇を切り裂くようにも思えるのだった。数年前に出会ったこの谷川での驚くべき数のホタルの乱舞を密かに期待していたが、この1頭のホタルに出会えただけで満足だった。

 さらに台風8号が九州に上陸したという10日の午後7時半過ぎ、今度はおやじ池から流れ出る「中の小川」でホタルが2頭出た。初日同様強い光の2頭が闇の底で浮遊していたが、1頭がス~と流れるように薪小屋を越えて、俺の方に飛んで来たのである。そしてあろうことか、俺の足元で纏わり付くようにしばらく漂ってから、また小川の闇の中に戻って行った。「あれ~」と思わず小さく叫んで、このホタルには意志があると思った。間違いなくおやじ小屋に居る俺に会いに来てくれたのだと確信した。「ありがと~!ありがと~!」と胸が一杯になってしまった。

 おやじ山自慢のヤマユリが咲き始めたのは台風一過の12日だった。この日は30度近い夏日になって、ライトグリーンだったユリの蕾が一気に白さを増して、パチンと弾けるように大輪のヤマユリが花開いた。あと一週間もしたら、まさにおやじ山は妖しい濃厚なユリの香りでいっぱいになる筈である。

 そして今回も地元のSさんからは青天井のご親切を受けた。一日、山を下ってSさん宅で夕食を御呼ばれし昔懐かしいクジラ汁や丸ナスの蒸し料理などをご馳走になった。「やっぱし夏野菜のゆうごう(夕顔)やら丸ナスが出てくると、長岡ん者は塩クジラ買うてきてクジラ汁で食わんと納まらんがいねえ」とSさんは言った。

 一晩泊めてもらった翌朝の散歩では、Sさん家からほど近い8月2日、3日開催の「長岡大花火」の打ち上げ会場の信濃川河川敷に案内していただいた。仕掛花火「ナイアガラの滝」の長生橋の袂まで歩いて行ったが、つくづくその橋梁の美しいフォルムを見上げながら、長岡市民が誇る名橋だと改めて感じた。

 思い起こせば遙か昔、俺がまだ青かった昭和36年、この信濃川の土手や実家の直ぐ裏を走る信越本線を舞台にした「故郷は緑なりき」(村山新治監督)という青春映画が長岡で上映された。母ちゃんに内緒でこっそり映画館に忍び込み、主人公志野雪子演じる佐久間良子の余りの可憐さ美しさに、抵抗力0の当時の少年S君がどんなにか身悶えしたことか!

 しかし、それから53年が経った今回の山入りでも、おやじ山に向かう途中の田園風景は思わず涙ぐむほどの郷愁と懐かしさで俺を迎えてくれた。夏空の下で青々と早苗がそよぎ、農家の庭先には立葵や百日草がひっそりと咲いていた。やはり今も「故郷は緑なりき」だったのである。

 
青田道少年の日へ真直ぐと  (松本 精)



(2014年7月17日 記 
「2014年7月16日日記<おやじ山の夏2014(故郷は緑なりき)>」より一部修正して転載)