森のパンセ   山からのこだま便  その121(2022・1・27)
欲望の臨界点


(序) 
 新型コロナの1日の感染者数が全国で7万人を超え(2022年1月26日午後8時現在。2日連続過去最多を更新)、今日(27日)からは全国の7割超の都道府県に「まん延防止等特別措置」が適用されるという。中国武漢での最初の発症報告が2019年12月初旬。日本では翌2020年1月15日に最初の感染者が出て、以降瞬く間に世界的規模のパンデミックになった。
 記憶を辿るまでもなく、僅か10年ほど前の2011年3月11日には、福島第一原発事故が発生し、更に遡れば、地球温暖化も僅か40年程前に顕在化した地球規模の危機である。(1970年代に地球温暖化についての科学的解明が進んだことから、1985年にフィラハ会議(オーストリアのフィラハで開催された地球温暖化についての初めての世界会議)の開催、1988年にIPCC(気候変動に関す政府間パネル)が設立された)
 そして、新型コロナ、福島第一原発事故、そして地球温暖化と、この3つの災厄の根を辿れば、同じ元に行き着く。
 ベストセラーとなった斉藤幸平の著書「人新生の資本論」によって「人新生(ひとしんせい)Anthropocene」という言葉を知ったが(ノーベル化学賞受賞者パウル・クルッツェンが唱えた。「人類の経済活動が地球に与えたインパクトが巨大なため、地質学的に見て、人間たちの活動の痕跡が地球の表面を覆い尽くした年代という意味」)、我々が本来踏み込んではいけない自然の隅々まで立ち入ったことで、自然からのしっぺ返しを受けているということを、肝に銘ずるべきなのである。

 新型コロナ、福島第一原発事故、そして地球温暖化と、まさかこれらが、俺が今まで生きて来た後半生にドカンとやって来るとは思わなかった。
それならどうしたらよいのだろうか?以下は京都大学名誉教授佐伯啓思氏の論考である。

 
朝日新聞オピニオン&フォーラム(2021年12月18日)「資本主義」の臨界点(要旨抜粋) 京都大学名誉教授 佐伯啓思(さえきけいし)
 
(資本主義とはいったいなにか)
 「資本」つまり「キャピタル」とは、「頭金」(先導するもの)である。未知の領域を切り開き新たな世界を生み出す先導者であり、そのために投下されるのが「頭金」としての「資本」である。従って「資本主義」とは、何らかの経済活動への資本の投下を通じて自らを増殖させる運動ということになる。
 そして資本が利潤をあげるためには、資本はいったん商品となり、その商品が売れなければならない。だから資本主義が成り立つためには、常に新商品が提供され、新たな市場ができ、新たな需要が生み出されなければならない。人々が、たえず新奇なものへと欲望を膨らませなければならない。端的にいえば、経済活動の「フロンティア」の拡大が必要となるのであり、この時に経済成長がもたらされる。つまり資本主義は経済活動の新たな「フロンティア」の開拓なのである。

(資本主義の歴史と新たなフロンティアの限界)
 資本主義がヨーロッパで急激に活性化した発端は、15世紀の新大陸の発見とアジアを包摂する新たな地球的規模での空間的フロンティアの拡張で、ヨーロッパに巨大な富をもたらした。 この富によって19世紀に開花するイギリスの産業革命は、技術のフロンティアを開拓し、20世紀になるとアメリカにおいてあらゆる商品の大量生産方式へとゆきついた。この大量生産を支えたものは、大衆の旺盛な消費であった。つまり、外に向けた空間的フロンティアの開拓の次に、20世紀の大衆の欲望フロンティアの時代がやってきた。
 ところが、高度な工業化による大量生産・大量消費による経済成長は、先進国では1970年代に頂点に達する。
 そこでその後に出現した「成長戦略」が、80年代のグローバル化、金融経済への移行、90年代の情報化(IT革命)であった。先進国は、グローバル化で発展途上国に新たな市場を求め、新たな金融商品や金融取引に利潤機会を求め、ITという新技術にフロンティアを求めた。
 その結果はどうなったか。それらは先進国に富も利益ももたらさなくなりつつある。グローバル化は中国を急成長させたが、米欧日などの先進国は、成長の鈍化、格差の拡大、中間層の没落などに悩まされる。金融経済への移行は、金融市場の不安定化と資産の格差を生み出し、情報革命は一握りの情報関連企業に巨額の利益を集中させた。

(資本主義は間違っているのか?問題はどこにあるのだろうか)
 近代社会とは、人間が、己の活動や欲望について無限の拡張を求める社会であった。科学や技術によって自然を支配し、それを自らの自由や欲望の拡張に向けて改変する時代であった。そこに無限の進歩があるとみなし、資本主義は近代人のこの進歩への渇望にうまく適合したのである。
 そして今日われわれは、人間の外部に横たわる自然を改変するだけではこと足りず、AIや遺伝子工学、生命科学、脳科学等により、われわれ自身を改変しようとしている。これらの新しいテクノロジーによって一層の自由や富を手にいれようとしている。

(※欲望の臨界点)
俺がつけたタイトルです。
 近代の欲望は、まだ「有限性」の中にあって少しずつフロンティアを拡張するものであった。だが最近の技術は、それさえも超え出てしまったのではなかろうか。
 人間の「有限性」を突破しかねない今日の技術のフロンティアにあって、先進国は経済成長の限界に突き当たっている。われわれはようやく「資本の無限の拡張」に疑いの目をむけつつある。とすれば、われわれに突きつけられた問題は、資本主義の限界というよりは、昨日よりも今日の方が豊かであり、明日はさらに豊かでなければならないという、富と自由の無限の拡張を求め続けた近代人の果てしない欲望の方にあるのだろう。