その101(2019・2・24) |
ノーマ・フィールドの言葉 ノーマ・フィールドという人をご存じでしょうか?1947年東京生まれの米国人で、プリンストン大学で日本文学を専攻して博士号を取得し、現在はシカゴ大学名誉教授です。昨年(2018年)12月に、彼女が2015年に北海道で講演した内容を収めた本が岩波書店から出版されたと知り(岩波ブックレット)、早速アマゾンで取り寄せて読んだ次第である。 その講演の最後の部分を以下に紹介します。 「・・・今日、皆さんにご紹介したいのは、ブラジル出身の神学者レオナルド・ボブという人です。哲学者でも作家でもある彼は、「貧困の反対」の定義を次のように言っています。「貧困の反対は富ではなく、正義だ」。実在する富を公平に再配分すれば事足りる、と考える人は多いかもしれません。しかし、それだけでは貧困の克服を意味しません。それには本質的な価値観の転換とそれに基づいた基盤が必要ではないか、とボブの言葉は問うているのです。憲法9条を重んじる私たちにとっても示唆的ではないでしょうか。「戦争の反対は平和ではなく、正義である」と言い換えたらどうでしょう。国が参戦していなければ平和、というのではなく、もっと積極的な平和を実現したいではないですか。9条を語るとき、憲法第三章に明記されている信教や学問の自由、「侵すことのできない永久」の人権、夫婦の同等や「健康で文化的な最低限の生活」などの権利といかに地続きであるか、いや、そうあるべきか、を意識する訓練をも意味しています。」 「福島原発災害にはじまり、安保関連法案に直面して、人々はひさびさに数多く公の場に姿を現すようになりました。しかし持続させるのはなかなか困難です。現実を変えるのはやはり無理ではないか、と落胆してしまいます。震災の前年に亡くなった井上ひさしさんの最後の作品、小林多喜二を主人公に仕立てた『組曲虐殺』の中で、多喜二の台詞として「絶望するには、いい人が多すぎる。希望を持つには、悪いやつが多すぎる」とあります。そして「なにか綱のようなものを担いで、絶望から希望へと橋渡しをする人がいないだろうか」と続きます。この綱には行動と思想と感性が縒(よ)られていなければなりません。(そして彼女はこう補足しています。レオナルド・ボフの言葉「貧困の反対は富ではなく、正義だ」とする発想を紹介したが、この思考パターンを活用すれば「絶望」の反対は希望ではなく、むしろ「抵抗」ではないだろうか。福島の原発災害に関していえば、2018年の夏に起きた原子力規制庁がリアルタイムで空間線量を測るモニタリングポストの大幅撤去を発表したことに対して、今まで声を上げてこなかった若い母親が起ち上がり、損害賠償裁判、刑事裁判に関わっている人たちも人生をひっくり返されてしまった「ふつう」の人たちなのだ。すなわち、最低限「何もなかった」ことにされまいという闘いではないか。だからこそ、正義を求めているのではないか。) 諦めるには本当にいい人が多すぎます。これから生まれてくる子どももいます。希望を支えるものを共に育んでいきましょう。ご静聴ありがとうございました。」 以上である。 |