森のパンセ   山からのこだま便  その125(2022・8・2)
サダコとダニエルの物語


 2013年、日本人親子が日米開戦の真珠湾攻撃で沈んだ米戦艦の乗組員らを追悼するアメリカの国立施設に1羽の折り鶴を贈り、展示された。親子は佐々木雅弘さんと祐滋さんで、雅弘さんの妹は、2歳の時広島で被爆し、鶴を折り続けながら12歳で亡くなった佐々木禎子(サダコ)さんである。寄贈されたのはその1羽だった。
 この寄贈については被爆地と米側双方に懸念する声もあったが、元米紙記者のクリフトン・トルーマン・ダニエルさんの橋渡しで実現した。ダニエルさんの祖父はハリー・トルーマン。1945年8月、広島、長崎ヘの原爆投下を承認した当時の米国大統領である

 「祖父が決断した原爆投下によって、米軍の日本本土上陸作戦は回避され、多くの人命が救われた」。ダニエルさんは長く、米国で主流だった考えを信じてきた。しかし1999年、1冊の本を読み、考えが変わり始めた。その主人公が、「サダコ」だった。佐々木さん親子に会い、広島・長崎で被爆者から話を聞いて、原爆の悲劇を米国で伝えることが、自らの責務だと思うようになった。

 2015年5月、米ニューヨーク。セントラルパークに面したホールで、核不拡散条約(NPT)再検討会議に会わせて企画されたコンサートで、バイオリンの演奏会が開かれた。演奏者は大阪フィルハーモニー交響楽団首席コンサートマスターだった田野倉雅秋。バイオリンは、1945年、広島にいたロシア人一家とともに被爆したもので、その後広島女学院に寄贈され、2012年に修復が完了したものだった。
 響き渡った音色に、舞台の袖でじっと耳を傾けていた男がした。この演奏会で司会を務めていたクリフトン・トルーマン・ダニエルさんである。曲目はビターリの「シャコンヌ」。様々な曲調が展開されるが、土台のコード進行は変らない。「人はいろいろなことをやってしまうが、忘れると、過ちを繰り返してしまう」。そんな思いを込めた田野倉の演奏に、拍手が鳴りやまなかった。

 ダニエルさんと佐々木さん親子はその後も親交を深め、昨2021年初めに、NPO「オリヅル基金」を米国に設立した。両国の教育者や子どもたちが真珠湾と被爆地を訪れ、双方の歴史に触れる活動のための資金づくりに奔走している。

 今年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻。「核兵器は二度と使われてはならない」というタブーが破られるのでは、という懸念が強まっている。
 ダニエルさん言う。「こういう時だからこそ、過去を知り、再び核兵器が使われないために、ともに働くことはできるはずだ。ハリー・トルーマンの孫が被爆者らとともに活動してきたように」。

(2021年12月8日付朝日新聞社説「サダコの鶴が架ける橋」、2022年8月2日付朝日新聞「サダコの物語知り 聞く音は」の2つの記事内容から執筆しました)