山のパンセ(その54)

新雪の朝

「−仙人のつぶやき−2012年3月26日日記」からの転載ですが、若干の加筆と当日撮影したスライドショーを入れました。

 何という荘厳な夜明けだろうか!朝6時に寝袋を這い出て外に出てみると、昨夜からの新雪が20cmほども積もっていた。まだ朝日は昇らないが、真っ白な処女雪で着飾った山桜の斜面の木々の奥に、今日一日の晴天を予感させるオレンジ色を微かに滲ませた灰青色の薄明の空が見える。

 小屋の脇では黒く聳え立つ百年杉が群緑色の枝々に純白の綿帽子の塊を載せ、オニグルミの大木は、その太い幹から梢の先まで、地肌の墨色とそこに付着した新雪の白色とでくっきりとストライプを描いて、見事な雪化粧をほどこしている。ピンと張った夜明けの冷気はピタリと息を止めて、おやじ山の風景は微動だにせず、巨大キャンバスに描かれた一枚の絵画となった。荘厳な夜明けの風景が、時間を止めている。

 一瞬、静寂が破れて時間が動いた。百年杉の遥かな頂点から、新雪が途中枝の綿帽子を道連れにして、まるで紙吹雪が舞うようにキラキラと落ちてくる。おやじ山の雪の妖精たちが見せる華麗なホップステップである。

 そして黄土沢の突端から赤々とした朝日が昇り始めると、鈍い銀色に眠っていた山菜山の斜面が金色の光をを吸い込んで生き生きと輝き出す。
 そして山桜の斜面の木々たちも、処女雪で着飾った雪衣を朝日のスポットを浴びて脱ぎ始め、眩い金色の砂嵐となって黄土沢に舞い落ちていく。









 絶好の晴天になった。朝飯の支度も止めてブナ平の尾根から三ノ峠のホオノキ平までスノーシューを履いて散歩に出かけることにした。
 ホオノキ平直下の取っ付きの広場で一息入れる。眼下に新雪で雪化粧した長岡の街並みと、遠く地平線の彼方には弥彦山が白く煙って見えた。

 腰を上げて広場の先端まで行き、尾根の直下を抉る谷を覗き込んでみる。まだ深い雪が谷を覆い、緩く窪んだ谷の両側の斜面はまるですべすべに磨かれた大理石の肌である。その緩く起伏するつややかな雪原の何と艶かしい輝きだろうか。

 「おっ!」と目を凝らすと、その雪原を見事な金色の毛皮を纏ったテンが、新雪よりも更に白いノウサギを追いかけていた。その米粒ほどに見える二匹の小動物の駆けっこの何と遅く見えることか。遠く離れたこの高台から観戦していると、じれったいほどの悠長さである。ノウサギはどんどん雪原を駆け上がって、テンは途中で諦めたのか木の根元の穴に消えてしまった。

 おやじ小屋に戻って、眩しい陽ざしに目をしばたたきながら、コナラと百年杉の間に吊ったロープに、寝袋とシュラフカバー、それにエアマットも投げ掛ける。ようやく叶った嬉しい天日干しである。それからすっかり遅くなった朝飯の支度にとりかかった。

 雪から掘り出した水場に下りて酒樽に溜めた清水で米をとぎ、今や食料倉庫に使っている「かまくら」の前にしゃがみ込んで味噌汁の具を刻む。そして何よりも今朝一番のご馳走は、散歩途中で採ったでヒラタケである。
 里の人たちは、こんな雪山の中の暮らしをさぞかし不便と思うかもしれないが、水場には雪をシャベルで掘り抜いた雪棚がしつらえてあるし、今朝の新雪は大地の至る所が清潔なまな板がわりになる。こんな些細なことが、俺の雪山暮らしを楽しませてくれているのである。

(2012年6月27日 記)