(その15)
懐かしの「黄土(おうど)」
2006年から7年にかけての冬は記録的な少雪だった。雪が少ないと山菜の出も質も悪い。次兄の説によると、大雪が土中の窒素分を増やして山菜に栄養を与えること(高山植物が瓦礫の上でも育つのはこの大雪のせいだとも言う)、そして大雪によって植物の休眠が充分取れて雪が融けた後には立派な山菜に生長するのだと言う。
今年は2度目のおやじ山であるが、今回は山に入って既に20日以上が過ぎていた。カミさんと一緒に生活(?)していたキャンプ場には今年も多くの友人達が訪ねて来てくれて、おやじ小屋の周りで山菜採りを楽しんでくれた。雪解け後一番にフキノトウやコゴミが出てそれからゼンマイとウド、ウルイ、木の芽、山アスパラ(シオデ)、シドケ、フキと続き、タニウツギが咲く頃になってワラビが盛期を迎える。そして今年もそろそろ山菜のシーズンが終わりに近づいていた。
この日(2007年5月18日)、朝6時過ぎにテント場を発って「黄土」(おうど)に向かった。山も山菜の終期を迎えていくらか静かになっているはずである。「黄土」に入るのは今年は初めてだが、毎年「黄土」には必ず行っていた。盛期になるといつもどっさりとワラビが採れる場所だが、それ以上にこの場所は私にとってとても大切な場所なのである。それは、ここに来ると懐かしいおやじとお袋に会える気がするからである。私にとってそんな場所はこの「黄土」以外には無い。実家に立ち寄ろうと、両親の眠る墓の前に立とうと、この「黄土」で感じるおやじとお袋への想いの近親感には遠く及ばない。
ガキの頃、いつも山菜シーズンになると両親に連れられて黄土沢を詰めてここまで登り(今思うと、よくぞこんな険しい沢を小さい子ども時分に登ったものだと感心してしまう)、この「黄土」でリュック一杯のワラビを採った後、斜面に並んで座って眼下に広がる長岡の町を眺めながらおにぎりを頬張ったものである。
もうワラビの旬は過ぎたと思っていたが、「黄土」には質の良い太いワラビが残っていた。おやじやお袋が、私がここに来るまで残しておいてくれたのだと思った。例によってカミさんは親の仇とばかりにワラビを採り集めていたが、私は途中で止めていつもの斜面に腰を下ろした。そして遠くに広がる町の風景を、遠い子どもの頃に見た風景と重ね見ながら「黄土」にこだまするウグイスの声を聞いていた。涙が少し出て、緑の風景がぼんやりと滲んだ。
(2007年6月8日 追記)