山のパンセ(その55)

両親の居ます山

「−仙人のつぶやき−2012年11月25日日記」からの転載です。

 11月23日勤労感謝の日はおやじの命日である。おやじが亡くなった平成2年のこの日は、冷たいミゾレ混じりの雨が降った。今年で23回忌になるが、不思議なことにそれから毎年の命日には、郷里では冬の到来を告げる冷たい雨になる。

 再びおやじ山に足を踏み入れたおやじの命日の一昨日と、そして昨日も、やはりジンクス通りの時雨れが続き、ようやく今日になって青空が出た。今朝も実家近くにある両親の菩提寺「托念寺」に寄って手を合わせてから、おやじ山に入った。
 この2日間、時雨の雨に打たれて寒々と煙っていた山菜斜面の紅葉も、今朝は小春日の日射しを受けて目を覚ましたかのような彩を見せている。天気予報は明日から再び雨。おやじ山でのもみじ狩りも、多分、今日あたりが今年の最後になりそうである。
 
 山の一年を振り返れば、<春山の笑い><夏山の滴り><秋山の粧い>そして<冬山の眠り>と季節を巡る一生があるように、おやじ山の短い秋の季節の間にも、やはり風景の移ろいに合わせたドラマがあるように思える。
 今年は夏の暑さがいつまでも続いて、秋の季節になっても蒼々としていたおやじ山の景色が、10月中旬からの気温の低下で一気に錦に粧い始め、それぞれの葉を紅や鮮光黄に染め上げたかと思うと、今や渋茶色の寂しい晩年の紅葉となった。
 来る年も来る年もおやじ山の秋をずっと見続けていたせいだろうか、盛期の燃えるような紅葉や鮮やかに色付く黄葉には何やら切羽詰った哀れさを感じるようになった。まるで絵の具のチューブから搾り出した赤や黄の原色をそのままキャンバスに叩きつけるゴッホの油絵に似て、息を呑む程の度外れた色彩風景が、短い生を惜しむ激しい情念と、もう直に深い雪に埋れてしまう怨念をも内包しているようで、溜め息とともに一抹の無常観を覚えるのである。

 今日の午前中は、おやじ池の縁で育てたナメコのホダ木から、今年最後の山の恵みを頂戴した。おやじの墓参りも心置きなく済ませたし、おやじ小屋の雪囲いも以前の作業で終らせてあった。もうこれで今年の俺の山仕事は終わりである。

 小屋の前のデッキに腰を下ろして、向かいの山菜斜面の風景にいつまでも見入っていた。早春の日射しにキラキラと輝いていた残雪の風景、夢中で歩き回ってゼンマイやワラビを摘んだ新緑の春、そして真っ黒に日焼けして働いていたおやじを必ず思い出させてくれる寡黙な夏、それらの風景がじっと座りながら秋の日射しに目をしばたたかせる度に、髣髴と瞼に浮かんで来るのである。

 「ああ、俺は何と幸せなんだろう!」と、おやじ山に来るたびに思う。ここにこうして座っていると、おやじとお袋に決まって会うことができる。ここには紛れも無く懐かしいおやじやお袋がいて、いつでも俺を見守ってくれている。心底俺にはそう思えるのである。

 「一年間、ありがとうございましたあ〜!」
 デッキから腰を上げて、いつものようにおやじ小屋に向って大声で別れの挨拶をした。今年一年のおやじ山のフィナーレだった。
(2012年11月30日母の命日 記)