山のパンセ(その70)

 
「戦」の「後」であり続けるために

 このタイトルは、今年(2015年)の元旦の朝刊に載った、岩波書店の1ページ全面広告の「見出し」である。「森のパンセ-その70-」を書くにあたって、これ以上のタイトルが見つからず、勝手に盗用させていただいた。新聞広告はこの「見出し」文字の下に岩波書店の7行の文章があり、その下の紙面左右に、ノーベル文学賞作家大江健三郎(紙面では「小説家」とだけあった)と、米国の歴史学者で、著書「敗北を抱きしめて」がピュリツァー賞を受賞するとともに日本でベストセラーになった、ジョン・w・ダワーの二人のメッセージが載っていた。

 以下、「渡辺一夫の声が聞こえる」と題した大江健三郎の文章である。(抜粋)

 『(大学の恩師、渡辺一夫の著書≪狂氣についてなど≫を引いて)≪「狂氣」なしで偉大な事業はなしとげられない、と申す人々も居られます。それは<うそ>であります。「狂氣」によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲を伴います。≫
 「狂気」は避けねばならないし、他人を「狂気」に導いてもならない。冷静がその行動の準則とならねばならない。
 ≪そして、冷静と非行動と同一ではありませぬ。最も人間的な行動の原因となるものです。但し、錯誤せぬとは限りません。しかし、常に「病患」を己の自然の姿と考えて、進むでありましょう。
 私はこの声を新世代に贈ります。』

 紙面左は、「平和と正義という目標を見失うことなく」と題されたジョン・w・ダワーのメッセージである。(抜粋)

 『繁栄をきわめ活気にあふれた今日、1945年のこの国の荒廃ぶりを思い描ける日本人がいるでしょうか。広島と長崎への原爆投下の前に、すでに64の都市が空襲で破壊されていました。陸海兵士210万人が死に・・・民間人の死者数も百万近くに及んだはずです。
 うちひしがれた日本は、このような凄まじい状況のなかで再出発の難業に立向かい、新憲法に具体化された「平和とデモクラシー」の理想に、社会のあらゆる層の人びとが奮いたったのでした。政治やイデオロギーの衝突は戦後日本にいつもありました。しかし、じつに多くの日本人が豊かで平和を愛する社会を懸命に創りあげた。その草の根の回復力、規律、反戦の理想は、どれほど賞賛してもしつくせるものではありません。
 この危うい時代に新年を迎えるにあたって、真摯で責任ある批判的学問の伝統が、平和と正義という目標を見失うことなく、理想主義の必要性と実際性への信念を失うことなく、世界中で栄えていきますようにと、心から願います。

 今、安倍政権は、「朝日新聞」と岩波書店の雑誌「世界」を、メディアにおける最大の攻撃目標としている。そして悲しいかな、これに乗ずるかのように、「正論」「週刊文春」「週刊新潮」などの月刊誌や週刊誌、さらには「産経」をはじめとする日刊各紙が、「国賊」「売国奴」と大人げない「朝日パッシング」を展開している。
 本来、メディアとは、国家権力に対して厳しく対峙し、メディア間の見解の相違があろうと互いにたたき合うことではなく、権力に対して鋭く批判していくことにその使命があるはずである。現政権と歩調を合わせるメディアの姿勢は、まさに「戦」の「前」に回帰した「狂氣」であり、「真摯で責任ある批判」とは程遠いものである。

 
 冒頭に書いた<「戦」の「後」であり続けるために>の「見出し」の下の岩波書店の7行の文章とは、次の言葉である。
  
 「戦後」という言葉は,不思議な言葉です.
第二次大戦後も,世界で戦火の絶えたことはないからです.
しかし,私たちにとって,「戦後」は他の何ものにも代えがたい言葉です.
民主主義と自由,平和と豊かさに結びついているからです.
「戦争」への深い反省をもとに,「戦後」は始まり,70年という年月が過ぎました.
「戦後」をつくるために,多くの人たちが懸命に努力し,世代をつなぎました.
私たちもまた,「戦後」の精神を,次の世代につないでいきたいと思います.

                       
岩波書店