昨日から「三井ガーデンホテル」という所に移った。早速今朝の散歩で、ホテル前の平和大通り(日本の道100選。歩道に埋め込まれた銘板には<平和の道>とあった)を散歩する。広い歩道には原爆で命を失った女学校の生徒達の名が刻まれた慰霊碑や「ラ・パンセ」(瞑想)と書かれた裸婦像などを見て歩く。
そしてこの鎮魂の通りを市電通りまで歩いたが、朝のラッシュで頻繁に市電が行き来し、忙しく職場に急ぐサラリーマンの姿を目にすると、原爆の災厄から見事に復興を遂げたヒロシマに敬意と賞賛の気持ちを禁じ得ないのである。
今日は、宿の出発を1時間遅らせるとKさんから連絡が入って、この旅でカバンに入れて来た憲法学者の樋口陽一氏の著した「いま、憲法は「時代遅れ」か」をベッドの上で開いた。新幹線「のぞみ」の中で読み始め、今まで朝晩のちょっとした時間に読み継いでいたが、昨今の憲法論議を自分なりにどう考えたら良いのか、勉強してみようと思ったからである。
まだ読了してはいないが、今までのメモと要約である。
<憲法を変えるということは?>
「憲法に限らず普通の法律を含めて、ある法規範がつくられたときにどういう事実がそれを支え、意味を与えていたのかというのを、「立法事実」として問題にします。
憲法九条二項を制定時に支えていた事実(太平洋戦争時の集団自決を強いられた体験、大陸に遺棄された孤児たちの問題、沖縄の悲劇、などの被害体験や、アジアの近隣諸国に対する加害体験)がもう必要なくなったのか。現にある法がなぜつくられ、なぜ受け入れられたか。それを支えていた事実は、もはや無用の過去のものになったのか、を問うことなのです。」
<九条をめぐる論議>
(選択肢1)
九条を変えて、本当に「普通の国」になることです。
そのために必要なのは、太平洋戦争(著者は15年戦争と書いている)の被害体験、加害体験の検証と克服、そして九条の制約を外してしまった上で、なおかつ軍事力に対する国民の自己統制をどのようにやっていけるか、の展望です。(軍事力を「公共財」として肯定した時の「文民統制」の必要や、その文脈での「徴兵制」の導入論議など)
そういう多くの点をクリアにして、本当に「普通の国」になる。それは同時に、戦後日本が内外に示してきた基本姿勢を変えるということです。
(選択肢2)
「普通でない」国としての基本姿勢にハラを決めて改めて立ち返る、という道です。
「普通でない」選択の持つ積極的な意義を世界に訴える、という道です。
この道を進もうとすると、「同盟」国との軍事協力ができないために、不利な効果や経済関係が悪くなり、コストを覚悟しなければなりませんが、それを名誉として引き受けることが必要です。
<「この国のかたち」ということの意味>
憲法九条について、どんどん規範性が緩んでいく運用が進んできましたが、第九条に限らず日本国憲法のあゆみを、もっぱら「空洞化」の過程と見るとらえ方があります。
しかし、六十余年の間に人びとの生活の仕方と意義の中で起こってきた変化のうち、かなり以上の事柄が憲法ぬきでは考えられなかったはずです。
日本国憲法は西洋の近代憲法をお手本にしましたが、この憲法の持つ「個人の尊厳と平等を基本にした社会制度」という定義を問題にするときに、お手本の西洋が超越的基準として正義を貫くために「正しい戦」を戦うために、人間を手段として使うことの非人間性を今だ手放すことなく握り続けています。
それに反し、「正しい戦」を否定して、「手本よりまし」なものを「経験主義」の手法でつくり上げたという日本国憲法第九条は、個人の尊厳を守るために、正義のために不正義の相手を憎悪するエネルギーなしに成り立つかどうか。しかし、どんな困難だとしても、だからといって「希望」を捨ててしまった社会は、どうなるのでしょうか。
この仕事で広島に出発する前には、86歳になった沖縄の芥川賞作家、大城立裕氏の「普天間よ」を読んだ。少なくとも沖縄では、今だに戦争が終わっていないことを隠喩した小説である。
そして本土に住む我々も、ここヒロシマを訪れれば、いまだ払拭しきれない戦争が、大きな影を落としていることを実感できる筈である。
今日の調査はKさんが、2度目の挑戦をするという県境を越えての島根県飯南町頓原の琴引山の森である。
中国道を車で飛ばして三次インターで下り、出雲神話街道を北上して島根県入りである。
しかし現地は厳しく、谷川を遡上し急斜面を登り、一旦尾根に出て更に登り、今度はまた斜面を下って凄い薮に入って、終に前途を阻まれ、「やっぱり、戻りましょう・・・」となってしまった。
明日また再挑戦である。
県境近くの三瓶温泉に宿をとろうとしたが、お盆休みの客で満室とのこと。それで流れ流れて日本海側に出て、途中、大田市仁摩の鳴き砂で有名な「琴ケ浜海岸」で夕日のシルエットの四人の若者を羨ましく眺め、浜田市内のビジネスホテルに投宿した。
長いような、短いような一日だった。 |