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2012年8月9日(木)晴れ
夏の雲
 夏大好き人間である。特にこの8月の、お盆前までの暑い最中の時期が大好きである。雪国で育ったので、冬の寒さに怖気づいて、その反動で夏が好きになった訳でもない。何故だろうかと考えてみたが、一重に郷愁だと気付いた。

 この年になっても8月は、まだ母ちゃんが元気に内職のミシンを踏んでいたガキの頃や、父ちゃんが真っ黒になって陽炎の立つ線路でツルハシを振るっていた小学時代や、何やら切ない想いで田舎道を自転車でこいだ中・高校時代などを、当時の夏の風景とともに思い出すのである。
 その真夏の暑さと静けさゆえに、8月という月が、肌身で体感した遠い昔の風景や様々な想いを、体の心底からひとつ一つ炙り出してくれるのではないかと思う。
  写真家の瀬戸豊彦氏は「よい風景には必ず、よい雲がある」と語ったそうだが、炎天の夏空にくっきりと沸き立つ白雲を見ると、それだけで遠い昔の郷愁が呼び覚まされて心が波立ってくる。

 長崎原爆の日の今日、田上長崎市長が「これほどむごく人の命を奪った核兵器がなぜいまだに禁止されていないのでしょうか」と訴える<平和宣言>に聞き入り、家族5人を原爆で失くした82歳になる中島正徳さんの「戦争がなければ、核兵器がなければ・・・」と声を絞って読み上げた<平和への誓い>に耳を傾け、そしてテレビの前に立って一緒に黙祷してから、昼の散歩に出た。

 場所は、車で15分足らずの茅ヶ崎里山公園である。
 炎天下の平日とあって殆ど人気はなかった。谷戸に下る園内の雑木林で「カナカナカナ・・・」とヒグラシが鈴を振るように鳴き、丘に立って望む丹沢山塊の大山や、谷戸の奥遠くに低く広がるビル群の上に、夏の白い雲が浮かんでいた。お袋が死に、おやじも天国に旅立って随分長い年月が経つが、夏のこの時期になるとやはり望雲の情いまだ冷めやらずである。
 まもなく、お盆である。

 
2012年8月15日(水)薄曇り
終戦の日と67年の生
 67回目の終戦の日を迎えた。昭和20年8月生まれの自分にとっては、まさに戦後の歴史とともに67年間を生きてきたことになる。そしてとりわけ8月のこの時期になると、若い時には殆ど意識してこなかったある種の思いを強く抱くようになった。

 それは67年間日本という国に生きて、一度も戦争を経験しなかったという有難さである。長い歴史の中で、人類は否というほど戦火の悲惨さを味わってきたにも拘わらず、今だ世界各地で戦争が絶えないこの地球上にあって、67年もの間戦争の無かった日本の国土は、やはり特異な存在だといえる。

 政治的にはいろいろな論があり、評価があると思うが、これはひとえに沖縄戦や本土空襲、そしてヒロシマ、ナガサキの原爆投下に代表される日本の悲惨な戦争体験を、実際に経験した人達が子や孫へ、そして更に多くの人々へと語り継いできてくれたからではないか、と思っている。戦争を人類の恥辱として、悔恨と慙愧を込めて、戦争こそは二度と起こしてはならないという体験者としての決意と祈りが、戦後日本の歴史風土の底流としてあったからだと思う。
 そして今にして思えば、ずっと昔、まだお袋が生きていた時に繰り返し聞かされた、「空襲で逃げ回っていた時に耳にした焼夷弾の風切音」の恐怖や、東京大空襲で5人姉妹の長女だったお袋が一番可愛がっていたという妹千代子さんを亡くした無念さなど、どんな反戦の言葉より説得力があった。
 
 正午前から始まった日本武道館での全国戦没者追悼式で、日本の総理大臣は「過去の悲惨な戦争体験を風化させず・・・」と語った。しかし現実の政治をみると、その悲惨な体験を語り継いできた生き証人が亡くなり、広島、長崎の被爆体験者がこの世を去った時、どれだけ今の政治家が悉く想像力を働かして先人から学びとれるのか、また学びとろうと努力するのか、大いなる疑念を抱かざるを得ない。

 何年か前に、朝日歌壇のページで目にしてノートに書き留めて置いた短歌を、再び開いて読んでみる。

    六二三 八六八九八一五 五三に繋げ 我ら今生く (西野防人)
2012年8月20日(月)晴れ
茅ヶ崎里山公園にて
 今日も一日暑かった。例年なら盆が過ぎれば秋風も立って、何やらもの哀しい気分にもなるのだが、今年はいつまでも「アチッ、アチッ、アチッ」と、心身ともに穏やかならざる日々が続いている。
 我が家では冷房温度も28℃に設定して省エネに努めているが、それでもカミさんが汗拭き拭き外から帰ってくると、目を剥いてパチンとスイッチを切ってしまう。今年度から町内の自治会役員を任されていて「私が外で汗水たらして奮闘しているのに、何と軟弱な!」、という訳である。カミさんのもとには、やれ花火の音がうるさい、やれ近所で飼っているペットの鳴き声で眠れない、やれ指定日通りにゴミを出さない、などとあれこれの苦情が持ち込まれ、さらに連日の猛暑で本人もすっかりおかしくなって、罪のないこっちまで八つ当たりされてしまうのである。

 それで、今日も家を逃げ出して読みかけの「どくとるマンボウ青春期」を片手に、いつもの茅ヶ崎里山公園に散歩に出かけた。公園内の芹沢谷戸にある「谷の家」が、目的地である。ここは古民家風に造られた無料休憩所で、大体は人気がなくて読書には好都合の場所である。
 玄関で「こんにちわ〜」と管理人さんに声をかけて土間を上がり、囲炉裏が切ってある板敷きの部屋に入る。と、今日は珍しく縁側で一人の男がゴロンと仰向けに寝ていた。傍らにリュックサックと野球帽とペットボトルが投げ置かれて、ここまでハイキングにやって来た様子である。そっと足を忍ばせて、部屋の隅に積んである座布団を一枚取り、奥の床の間の前に敷いて腰を下ろした。

 雨戸が開け放された縁側の前には、プランターに植えられた稲が既に穂を出し、裏山から部屋の中を吹き抜けて来る涼風に小さく揺れていた。杉皮のチップが敷かれた前庭の奥は、竹薮になっている。その竹薮の暗がりを行きつ戻りつしながらクロアゲハが飛んでいた。誠に静かな、夏の真昼時である。
 縁側に寝転んでいた男のいびき声が聞こえて来た。これも夏の風物詩、爽やかな風に吹かれながらの昼寝もいいもんだと、おっとりと文庫本の栞を抜いてページを開いた。

 突然、「ブウ〜、ビリビリビリ!」と屁の音が響いて、思わず文庫本が手元から落ちそうになった。板敷きの床からも波動が伝わって来るほどのどでかい音である。縁側の男が目を覚まして、起き掛けに放屁したのである。いかに人里離れて開放された場所とはいえ、他所(よそ)様の家、それも玄関には管理人、今まで気付かなかったとはいえ、すぐ近くには静かに読書する我輩がいたのである。少しは恐縮してそそくさと立ち去るかと思ったが、何とこの男、大胆不敵にも今度は庭に出て竹薮の前で悠然と小便をした。
 つい先ほどまでの爽やかな気分もすっかり失せて、こちらが意気消沈して逃げるように玄関から外に出た。カッと照りつけた日差しのせいか、大音響の屁のショックからか、一瞬くらくらと眩暈(めまい)を起こしてしまった。

 芹沢谷戸から芝生公園に戻る途中の雑木林で、今年初めてのツクツクボーシの鳴き声を聞いた。
 それにしても今年はどうした訳か、蝉の鳴き方もおかしかった。
 いつもの年だと、先ず夏のトップバーター、アブラゼミが「ジジジジー」と渋く唄い出してから、すぐ後を追うようにミンミンゼミが「ミ−ンミンミンミ−」と騒がしく真夏を宣言、そして盛夏を過ぎた頃から「オーシツクツク、オーシツクツク」とツクツクボーシが夏のほとぼりを冷まして、秋風がたち始めた頃に「カナカナカナ・・・」とヒグラシがもの哀しく夏の終わりを告げる、という鳴き順なのである。

 ところがこの夏は違った。7月20日頃から例年ならしんがり役のヒグラシが「カナカナカナ」といきなり鳴き出した。順番が逆転したのである。出鼻を挫かれたアブラゼミとミンミンゼミが鳴き出したのは、お盆直前あたりからではなかったかと思う。そして今日耳にしたツクツクボーシも加わって、ようやく定番のオールスターキャストが揃ったことになる。


 公園内に植えられた夾竹桃が、枝いっぱいに花をつけて咲き誇っていた。この花は越後には無かった花で、高校を卒業して東京に出て初めて出会った花木である。ずっと以前読んだ本の中に(確か檀一雄の文章?)、青森県出身の太宰治が、東京の自宅の庭に夾竹桃を植えて、「檀君、夾竹桃だよ夾竹桃!」と九州出身の檀一雄には珍しくもない夾竹桃に太宰が興奮していた、というような内容が書かれてあったと朧げに記憶しているが、まさに俺が上京して初めてこの花を見た時の感動に似ていると思った。


 そして同じ夏の花ムクゲは、己が役わりを果たしてそろそろ終わりである。
2012年8月31日(金)晴れ
山中湖研修会
 8月28、29、30日と山中湖に別荘を持つ森林インストラクター神奈川会のTさん、Nさん企画の自然観察会に参加した。参加者は神奈川会のメンバーである男性6名、女性1名プラスご友人2名の合計9名で、男性諸氏はTさんの別荘に、女性3名はNさんの別荘に泊って、実に密度の濃い3日間の研修だった。

 第1日目はNさんの案内で、Nさんが殆ど毎日ご自宅の裏山のように散歩しているという大平山に登った。残暑は厳しかったが、頂上近くではシシウドの花やススキやワレモコウが富士山をバックに涼風に揺れて、やはり秋の季節を感じさせてくれた。

 2日目は、朝7時にTさんの別荘を出発。富士スバルラインを走って富士山5合目の奥庭駐車場に車を停めて、御中道(おちゅうどう)を歩いて大沢崩れまでのトレッキングだった。
 二日酔気味の身体で、それでもヒメシャジンやメイゲツソウなどの高山植物を目に止めながら御中道を歩き、終に岩石が砂埃を上げながら崩れ落ちるグランドキャニオンにも似た大沢崩れの壮大な風景に出会って、心身ともにシャッキリと立ち直ってしまった。

 3日目は、富士山南麓にある「まなびの森」を見学した。90ヘクタールの国有林のうち30ヘクタールがブナやミズナラ、ケヤキなどの巨木が生える自然林で、この森をゆっくり森林浴を楽しみながら散策した。しかしそれら巨木の堂々たる貫禄、何やら神々しささえ感じられる威厳には圧倒されてしまった。

 この夏を締めくくる3日間の研修の旅。素晴らしい仲間の皆さんと交流ができたことに感謝、感謝である。