寺井拓也様
拝啓 暑い日が続いていますが、ご家族の皆様ともども、お変わりないでしょうか。
こちらも「海の日」以来の猛暑日が続いていますが、元気にやっております。
先月21日に、85日間の郷里での山暮らしから藤沢の自宅に帰りましたが、その後、留守中に溜まったあれやこれやの雑事や、長岡に滞在中の約束事に忙殺されて、せっかくの貴君からお贈りいただいた書物に目を通せずじまいでした。
やや落ち着いた数日前から、貴書「原発を拒み続けた和歌山の記録」を読み始め、今日はしばしば散歩に出掛ける近所の墓地公園の木陰で、最後のページまで読了しました。そして本を閉じて、しばらくは夏の風に揺れる橡の木陰のベンチで爽やかな感動に浸っていました。
昨年の3・11の東日本大震災と福島第一原発の空前の放射能事故、そしてその後の電力業界と政府の専門家チームがグルになった隠蔽や欺瞞が次々と明るみに出ながら、今なお多くの国民の声に耳を貸さない政府の対応と、まさにこの時宜を得た貴書の出版に心からお祝いと敬意を表します。
貴君は「あとがき」の冒頭で、『「和歌山県に原発計画があったんですか?」。多くの人から聞く言葉だ。』と書いていますが、恥ずかしながら小生もその一人でした。
そして『かつて和歌山県には4町5ヶ所に原発計画があった。昭和40年代、関西電力は主要電源を火力から原発にシフトしようとしていた。その結果、紀伊半島が狙われ、関西電力の原発立地をめぐって20年を超える激しい攻防が和歌山で繰り広げられることになった。現在、和歌山県内には原発は一基もない。三重県を含めて紀伊半島に原発は全くない。原発ゼロの「秘境」である。』と君は素晴らしい事実を教えてくれました。
まさに昭和42年から平成2年まで24年間に及ぶ「日高町」の反原発闘争、昭和51年から平成17年までの24年にわたる「日置川町」(平成18年に合併して現白浜町)の闘い、さらに昭和43年から平成2年までの23年間の「古座町」の原発反対の闘い、そして「那智勝浦町」の昭和44年から13年間に及ぶ原発立地反対闘争と、君はよくもこれだけの汗と涙と苦悩の詳細な歴史を、多分、君自身のねばり強い反原発の不屈の闘いと厖大な資料の山から詳らかにし、まとめ上げたものだと、全く感服いたしました。
貴君はまた、『和歌山における20年の闘いが問いかけるものは何か。闘いで一貫して掲げられた言葉は「いのちの大切さ」・・・いのちの源である海、山、川を守ろう。それを子や孫に残そう。』とも書きました。全く同感です。人智の驕りが作り出した、たかが数十年前の原発と、数億年のオーダーで脈々と営まれてきた大自然とは、未来永劫共存などできっこないのです。
「海の日」の今月16日、東京代々木公園で開催された「さようなら原発 10万人集会」に参加してきました。ひょっとして和歌山から君も上京していて、会場で会えるかも知れないと期待したのですが、17万人もの参加者の中から君を探し出すのはどだい無理でしたね。
そしてこの会場でも、既に40年も前に和歌山の人たちが「いのちの大切さ」をかけて反原発を叫んだと同じことが、壇上から叫ばれていました。現在と未来に継ぐ「いのち」こそ、経済発展や利便性や物質的な豊かさや、さらには原発技術による国家の軍事外交的効果などという愚論などより、遥かに優先度が高いのだと改めて感じた次第です。
素晴らしい著書をこの時期に世に出してくれた貴君の努力と情熱に、心から敬意と賛辞を送ります。梅雨も明けこれからが猛暑の本番です。どうか御身お大切にお過ごし下さい。
敬具
平成24年7月19日 関 孝雄
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