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最後のページは<6月9日>です。
「おやじ山の初夏2010」再開しました。長い間サボっていてスイマセンでした。

2010年6月21日(月)曇り
昨夜、山から帰りました

 昨夜、77日ぶりにおやじ山から藤沢の自宅に帰って来た。

 まだまだたくさんの雪が残っている山道を歩いておやじ小屋に向かったのが4月5日、そしてシトシトと降る雨に、小屋の周りで咲いたばかりのエゾアジサイやオオバギボウシ、コシジシモツケソウ、それにノハナショウブなどが濡れしょぼっておやじ山の梅雨入りを知らせたのが一昨日の6月19日である。


 昨夜は久々に自宅の畳の上で寝たが、何やらふわふわと身体の据わりが頼りなくて良く眠れなかった。
 そして今日一日はおやじ山で過ごしたもろもろの道具整理とどっさり溜まった郵便物(請求書、請求書!・・・また請求書!! くそったれめ〜! おやじ小屋の仙人も下界に下りた途端この品の無さである)やパソコンメールをチェックする予定である。

 そして明日からはおやじ山で過ごした日々のくらしや自然の移ろいを少しずつこの日記にアップします。どうかよろしくお付き合い下さいますように・・・

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おやじ山の初夏 2010
(「5月日記 おやじ山の春2010」から続く)
2010年6月1日(火)晴れ
おやじ山の初夏2010(四十雀の巣立ち)
 朝起きるとカラッと爽やかな青空である。昔なら今日が衣替え。袷(あわせ)を脱いで単(ひとえ)になるところだが、ここのところ夏日になったかと思うといきなり震えるほどの寒さがぶり返したりと、全く昔からのしきたりすら真に受けられないもどかしさである。

 しかし俺はしきたり通り律儀に下着を替え(こういうのは衣替えとは・・・?)、寝袋や毛布をテントから引っ張り出してロープに干した。

 そして今朝は車で栖吉の村を抜けて鋸山の登山口まで散歩したが(ここでの夜明けの風景がすっかり気に入ってしまった)、この村の人達は余程花好きと見えて、各家の庭や野菜畑の一角に様々な草花を植えている。アヤメやキショウブが見事な花を咲かせて、純白のマーガレットがそよ風に揺れていた。

 散歩からの帰り道、「ふるさと体験農業センター」の前を通ると早出勤の若い職員が花畑にホースで水を撒いている。そこで車を停めて、以前から気になっていたことを尋ねてみた。それはここから直ぐの場所に小さな浅い池があり、そこに水草が浮いているのだが、古い立看板の文字は既に消えて判読できず、ひょっとしたらヒツジグサかアサザではないかと思ったからである。もしそうなら誠に珍しい希少種である。
 若い職員は水やりを続けながらも、「はい、あれは中ノ島名産のダルマレンコンです」 「・・・!」 「大分前に農家から寄贈されて看板も立てたのですが、ちょっと見えにくくなって・・・」と申し訳なさそうに答えてくれた。

 午前中、おやじ小屋に出勤してから3つ目のビオトープ池を掘った。池掘りも3つ目となると要領も分かってセッセセッセと捗るようになる。。ひょっとして数年後にはこの池からヒツジグサかアサザが生えてくれないかと邪まな気持ちが出たせいかも知れない。

 ちょうど正午になって、小屋に戻って泥だらけの手や顔を洗っていると、トンと物音がして四十雀のヒナが空から降ってきた。そしてデッキの上でヨロヨロパタパタして、「あれ〜!」と思って見ると、目の上の羽毛がまるでお爺さんの長い眉のようで、何とも可愛い顔付きである。
 そしてまたトンと音がして、今度は物置の屋根に2羽目が落ちてきてヨロヨロパタパタもがいている。小屋脇のコナラに掛けた巣箱に目をやると、3羽目と4羽目のヒナが親鳥に追いたてられて何とも危なかしく巣箱の窓から谷の方に飛んで(というよりは落ちて)行った。
 衣替えの日の、四十雀のヒナの嬉しい旅立ちで、この子らの幸福を祈らざるを得なかった。
2010年6月2日(水)晴れ
おやじ山の初夏2010(山滴る季節)

 不思議なもので、山が一気に静かになった。
 昨日の四十雀のヒナの巣立ちを境に、おやじ山の賑やだった野鳥の囀りがピタリと鳴りを潜めて、時折「ぽっぽっ・・・ぽっぽっ・・・」と低くこだまするツツドリの声が一層山の静寂をさそうのである。
 まさに<淡治にして笑うが如き>春山から<夏山蒼翠にして滴るが如き>おやじ山への変転である。

 ツツドリはカッコウの仲間で空筒を打つように鳴くので「筒鳥」だが、今朝おやじ小屋への「出勤」途中、初めてツツドリのつがいを目にした。山では様々な鳥達の鳴き声を耳にするが、なかなか姿は見えないものである。

 そして今日は、南の斜面で2年前の冬倒れた一抱えもある山桜をチェーンソーで伐りに行ったが、起き上がった根の一部がまだ地面に着いて水を吸っているようで、枝からは青い葉が出て可哀想でとても伐れずに帰って来た。
 

2010年6月3日(木)晴れ
おやじ山の初夏2010(倉手山登山)

 新潟の次兄と一緒に山形県小国町の倉手山(952.5m)に登った。

 朝5時半に車でキャンプ場を出発し、6時半には次兄の家に着き、待ち構えていた次兄の車に乗り換えて日本海東北自動車道から関川村、小国町と走ってわらび園が広がる県道をひた走ると「国民宿舎 飯豊梅花皮荘(いいでかいらぎそう)」からほど近い倉手山の登山口に辿り着く。

 「ここの山は標高は大したことないけど、頂上からは飯豊連峰が一望できて、こって凄いがらてえ」と山岳ガイドをやっている次兄は太鼓判を押した。
 その通りだった! イワウチワの登山道からムラサキヤシオや石楠花、タムシバの花が咲く尾根に出ると雪の被った飯豊連峰の端が見え始め、残雪を踏んで頂上に着くと、息を呑む程の凄い眺めである。

 眼前には2,105mの飯豊本山、その右手に御西岳(2,012m)、大日岳(2,128m)、烏帽子岳(2,017m)、梅花皮岳(2,000m)が連なり、そして右端は大原山(1,567m)、鉾立峰(1,573m)、?差岳(1,634m)とまさに大パノラマである。

 頂上で昼食のおにぎりを頬張りながらゆっくりこの景色を堪能し、下山してからは国民宿舎 飯豊梅花皮荘の温泉で汗を流した。
 そして夕方6時にはキャンプ場に戻ったが、全く素晴らしい一日だった。

(「森のパンセ」にスライドショーをアップしました)<その41-飯豊山遠望>





2010年6月4日(金)曇り
おやじ山の初夏2010(杜鵑)
(しばらく日記の続きをサボってました。巷ではもう立秋を過ぎているというのに、おやじ山はまだ芒種の季節です)

 ホトトギスが昼夜かまわず「トッキョキョカキョク(特許許可局)!トッキョキョカキョク!」とやかましく鳴くので、おかしくて仕方がない。ウグイスもまだ頻りに鳴いていて、「ホオ〜〜〜」と息を溜めて「!マチュピチュ!!」と世界遺産の空中都市の名前を吐き出す。こちらはホトトギスに比べてかなり品がある。

 ホトトギスの和名はたくさんあって、渡来時期がちょうど端午の節句の時期で、「アシタセックダ!アシタセックダ!」とうるさく叫び鳴くので「節句鳥」と言ったり、鳴き声のけたたましさから喉から血を吐くイメージがあり、「不如帰」「子規」と言ったりするが、普通は「杜鵑」(とけん)である。カッコウ目カッコウ科の渡り鳥で実にうるさく鳴くが、今日の夕方、約1ヶ月ぶりにおやじ山に渡ってくるうちのカミさんも同種の鳴き方から、カッコウ目カッコウ科の分類に入る。

 折りしも今おやじ山ではトケンラン(杜鵑蘭)(*絶滅危惧T類)が見頃である。葉にポチポチと黒い斑点があるのでホトトギスに見立てての命名であるが、こちらは鳴き叫ぶこともなく、杉林の暗がりで慎ましやかに咲いている。

 今日の山仕事は杉林の1段目と2段目の草刈りをし、2段目では雪で倒れた杉の片付けもした。実に蒸し暑くて仕事は往生したが、新しく掘ったビオトープ池には綺麗な湧き水が涼しそうに入って、これからの遷移が楽しみである。

 午後2時に下山し、3時半に長岡駅でカミさんを出迎える。

 杜鵑を迎えてのテント場の夕食は、珍しや!刺身2品付きの豪華版だった。

2010年6月7日(月)晴れ
おやじ山の初夏2010(躍動の季節)
 4時半過ぎに起きてキャンプ場の炊事場に下りて行くと、カマド脇の地面がエゴの花びらで真っ白である。ここのエゴの木は毎年花付きが良くて、見上げるとこんな早朝から花アブがせっせと蜜集めに大忙しである。その翅音の振動のせいか、風も無いのにポトリ、ポトリとエゴの白い花が地面に落ちている。
 カミさんはまだ起きて来ないので、仕方なしにミズとニンジンを刻んで味噌汁を作った。何しろカミさんはここに来た翌日から杜鵑の叫び声で猛然とおやじ山に突進して、もうすっかり時期遅れの山菜を親の仇のように探し出して、それでもそこそこ収穫して来るから大した執念である。

 6時に下の道路でバイクに乗った山菜名人のAさんに会った。山菜時期も終わって、今日はこれから蕗を採りに山に入るのだと言う。道路の真ん中で20分ほど立ち話をしたが、Aさんはなかなかの料理通で(山菜採りやきのこ名人にはそんな人が多い)、フキの葉(茎ではない)のキャラブキ煮ジャコ入れ料理や山ミョウガの新芽の味噌漬けの作り方など、「こってゴッツョオになるがってえ」と詳しく伝授してくれた。

 午前8時前に一人でおやじ小屋に出勤し、山道の途中に倒れているコシアブラの大木をチェーンソーで玉伐りしてネコ(一輪車)で小屋まで何往復かして運んだ。山道には満開のヤマボウシの花が、今や絢爛と咲き誇っている。
 おやじ小屋の周りではトケンランが咲き、おやじ池にはクロサンショウウオの幼生が元気に泳ぎ回っている。そして今日はモリアオガエルの3回目の卵塊を目にした。
 まさにおやじ山の初夏、命あるものの躍動の季節である。

 昼近くなってカミさんがやって来たが、今日は山菜採りは止めて昼食を済ますと折畳み椅子に座ったままぐっすり寝込んでいる。そして俺が午後から汗だくでブナの苗木の植替えを済ませて、午後4時になって、「帰るぞ〜!」と耳元で大声を出すまで起きなかった。周りで皆が躍動しているというのに、一人だけ躍動を止してウトウトと沈んでいるとは・・・何とまあ、(言わない)・・・・

 午後4時過ぎに下山。ホトトギス頻りに鳴く。ほらね・・・
2010年6月8日(火)曇り
おやじ山の初夏2010(越路吹雪の訪問)
 今日はおやじ小屋に越路吹雪女史が来てくれた。宝塚歌劇団出身のシャンソン歌手で愛称コーちゃんの名で親しまれてきた、あの有名な舞台女優である。
 本物の越路吹雪は30年前に56歳で亡くなったが、今日長岡きのこ同好会のSさん夫婦が同じ会員のAさんをおやじ小屋に誘ってくれて、そのAさんの風貌、仕草、喋り方、とにかく雰囲気全部が越路吹雪にそっくりなのである。(しかし越路吹雪という名前も、うちの実家の隣町は長岡市「越路」町で、ここは冬になれば「吹雪」がピューピュー吹き荒れて、何か縁があるのだろうか?)

 越路吹雪さん(ではなくてAさん)とは以前2度ほどお会いしていて、神奈川在住の森林インストラクターの重鎮W女史ともご懇意であったり、きのこ探しに遙々ロシアまで出掛けて行ったことがあるなど、その女傑ぶりにすっかり舌を巻いてしまった。雰囲気もさることながらこんなことも分かって、それで密かにAさんを「長岡の越路吹雪」と呼ぶことにしたのである。

 Sさん夫婦と越路吹雪さん、それにカミさんも一緒に見晴らし広場まで車で登り(越路さんは肺を病んでいた。ほらね、こんな雰囲気も晩年の越路吹雪に似てると思わない?)、おやじ小屋までの山道を吹雪さんがウラジロヨウラクやヤマボウシの花、そして真っ赤に色付いたヤマツツジに目を留めるのを待ちながらゆっくり歩いた。

 小屋に着いてからSさんの奥さんお手製の特上コシヒカリおにぎりを皆でいただきながら、山での生活の話しやいろいろな山菜料理の話題で花が咲いた。
 そして山を下りる時間になって、皆で小屋脇にたくさん生えているサンショウの新葉を摘んだり山ミョウガの新芽を摘み採っておみやげに持ち帰ってもらった。

 午後キャンプ場の駐車場で皆さんを見送ってから高台に折畳み椅子を出し、楽しかった時間を思い浮かべながら昼寝をした。俺もしばしの躍動休止である。
2010年6月9日(水)晴れ
おやじ山の初夏2010(さらば水穴)

 午前4時にカミさんをたたき起こして素早く身支度を整え、車で栖吉の村を走り抜けて山菜の宝庫「水穴」に向った。この場所はカミさん一人ではちょっと行けない厳しい場所で、連日「連れていけ、連れていけ」とうるさくて仕方がない。それで今日の決行となった。
 途中自転車に乗った地元の山菜採りを一人追い越したが、幸いいつもの車停めの場所には先行者の気配はない。もう旬が過ぎたこの時期に山に入るのは、余程の山菜狂い以外に居ないのかも知れない。
 そして車を道脇に停めてから滝壷を高巻きしたりジャブジャブと谷川の中を歩いて、午前5時には水穴の斜面にとりついた。

 水穴の広大なコゴミ畑は、春先の時期からは見違えるほどに大きく生い茂って、全く夏山の風景である。そのコゴミ畑の中を丁寧に掻き分けながら質の良いワラビを摘み取って、水穴の頂上まで登った。ここで汗を拭いて腰を下ろし、持参のおにぎりで朝飯である。ここはいつも一息入れる俺にはとっても懐かしい場所なのである。
 見ると隣のコゴミ畑の斜面で、先ほど追い越した山菜採りの老人がワラビを摘みながら登ってくる。「おはようございま〜す」と大声で挨拶すると、相手も「やあ〜!」とにこにこと顔を上げた。

 今年はここ水穴に5回ほど足を踏み入れただろうか?最初は確か雪解け間際の湿った大地に萌え出たばかりの若々しいコゴミと真っ黄色のフキノトウだけが出ていて、それが今や猛々しく伸びた夏草の斜面である。

 おにぎりを頬張りながら朝日が眩しく輝き出した向かいの山並みに目をやる。そしてまだ谷間に細く雪が残る鋸山を眺め、花立峠を望みながら、ここからのこの風景をしっかり目に焼き付けた。今日が今シーズン最後の水穴になる。

 水穴の斜面を下って谷川の畔に出、大きく育ったフキやミズを採り、カミさんは谷川に入ってセリ摘みに一生懸命である。
 そして午前8時半、二人してリュックを一杯にして今年最後の水穴に別れを告げて山を下りた。

 午後からはおやじ小屋に出勤したが、山道の途中でテンを見た。夜行性のテンを昼間見かけるとは実に珍しい。