先月20日におやじ山から帰って来たばかりだというのに、またおやじ小屋に戻ってきた。
何もカミさんから家を追ン出された訳ではないけど、地元のSさんから届いた山の便りを読んでいるうちに、無性におやじ山に行ってみたくなった。
Sさんからの手紙には、6月にSさんのボランティア的ご好意でおやじ山の谷川の奥からおやじ小屋の途中まで導水工事(後日「6月日記」に詳しくアップします)をしたが、今後完成させるための追加設備の写真(Sさんが全て用意して下さった)、それに以前Sさんを案内してお見せしたイチヤクソウが数日前に開花したようで、それを撮影した見事な写真が添えられてあった。(長岡の人たちって、何て親切なんだろう!)
勿論こんなSさんからの手紙に触発されたせいもあるが、今回の山行きには偶然とは思えない何かを感じてしまう。それは長年の山暮らしの中で、早春から春の山菜時期と、来る盛夏との端境期の今の季節、果たしておやじ山で過ごしたことがあっただろうか?と気付いたからである。
きっと山にいるおやじが、「今の時期の山に来てみなさい。そしたら・・・」と誘ってくれたのではないか、と思えてならないのである。
昼はSさんが用意してくれたホース類を山に荷揚げし、Sさんと二人して汗だくになって延長ホースを繋いだ。しかし今回の工事では残念ながら谷川の水を小屋脇まで引き揚げることはできなかった。最後の段階でいろいろな問題が発生し、やはり結論は取水口の位置をさらに谷川の上流に移動する必要があった。水道管から迸り出る谷川の冷水で缶ビールを冷やしたり、冷やしトマトを頬張る夢はしばらくお預けである。
しかしSさんが帰り、夜になって驚くべきことが起きた。まるで夢のような出来事だった。
夜の8時半を過ぎた頃である。夕食を済ませ、それまで点けていたラジオのスイッチも切ったが、何となくこのまま寝てしまうのも惜しくてチビチビとウイスキーを啜っていた。
鳥や山の獣たちや、おやじ池のカエルの鳴き声さえ全く聞こえて来ない不思議なほど静寂なおやじ小屋の夜だった。更に、昼のうんざりする程の蒸し暑さは和らいだものの風はそよとの気配さえなく、囲炉裏にはまだ火種が残っていて、全くパンツ1枚のだらしなさである。
開けっ放しの窓の外を「ス〜」と一条の光が横に流れた。
「あれっ・・・」と闇の中に目を凝らしながら、最初は獣の目が光ったのかと思った。するとまた「ス〜」と、今度は少し闇の奥で黄色い光が斜めに落ちて行く。
慌てて脱ぎ捨ててあったズボンに足を通して外に飛び出た。そして山桜の斜面の際に立って谷川に目を落として、思わず息を呑んだ。
無数といっていい蛍が柔らかな光の尾を引きながら飛び交っているではないか! 谷底に広がる漆黒の闇の中で、その乱舞する光彩の何という強さと確かさだろう!そして次から次と何頭かの蛍が谷から斜面を流れるように舞い上って来ては、おやじ小屋の周りをフワフワと漂い、そして小屋脇に聳え立つ100年杉の漆黒のシルエットに光の線画を描きながら天空の闇の中へと吸い込まれていくのである。
小屋に戻り、今度はヘッドランプを点けて足元を照らしながら谷に下った。
「わあ〜」と思わず声が漏れた。小屋の直下から谷川の上流に向けて乱舞する光の帯である。その帯からは、ポ〜、ポ〜と頻りに一際高い蛍火が柔らかく弾き出されてフワフワとおやじ山の闇に漂っている。
初めて見たおやじ山の蛍。まるで夢の世界だった。 「おやじ〜!誘ってくれてありがとう!」
ゆるやかに着てひとと逢う 蛍の夜 (桂信子)
という艶のある名句があるが、さしづめ今夜の俺の迷句は、
ゆるやかに(だらしなく?)着て小屋迷い出る 蛍の夜 (百人)
<森のパンセ−その38 「夢の世界 おやじ山・蛍の夜」>に一部書き直してアップしました。
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