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最後のページは<4月30日>です。

2010年4月4日(日)曇り
山行きの日

 4月に入って最初の日曜日、折りしもここ藤沢の桜は今日が満開である。近くの大庭城址公園では、今頃はさぞかし賑やかな花見の宴が繰り広げられていることだろう。

 4月1日には伊豆のKさんのお蔭で名所伊豆高原の満開の桜並木を見せていただいた。翌2日にはいつもの高校時代の同級生6人が都心に集って、T君の案内で浜離宮の夜桜見物をした。(ちょっと寒かったけど、その後花冷えの身体を築地市場の熱燗で温めたりして・・・)そして昨日は、久々に孫の承太郎を家に呼んで近くの満開の桜の公園で二人で隠れんぼをして遊んだ。

 そして今日は、これから所帯道具一式を車に運び込んでおやじ山に出発する。おやじ山はまだ冬の眠りからは覚めていないだろうが、雪解けとともにどんどんと目覚めて山笑う季節となることだろう。

 これからしばらくの間、「日記」を休みます。またおやじ山から帰ってお目にかかりたいと思います。
 


 おやじ山の春 2010
2010年4月5日(月)
おやじ山の春2010(プロローグ---春雪を踏みしめて)

 昨夜は午後8時過ぎに自宅を出発して、途中関越道谷川PAで仮眠をとった。そして明け方にはおやじ山の麓の長岡東山ファミリーランドキャンプ場の駐車場に着いて、いよいよ山入りである。

 先ずは75リットルの大型リュックサックにテントと一升瓶だけ詰めておやじ小屋に向かった。気を落ち着かせてゆっくりと歩き始めたが、やっぱりわくわくと胸が高鳴ってきて思わず急くような歩き方になってしまう。

 おやじ小屋への山道はまだ白い雪に覆われていて、所々の吹き溜まり箇所は1mほども残雪がある。それでも雪解け直後の大地からは蕾を僅かに開いたショウジョウバカマが2,3輪目に留まり、マルバマンサクと春一番を競うように咲くオクチョウジザクラもチラホラとほころび始めている。下手くそな鶯の鳴き声に思わず笑ってしまうが、まだおやじ山の春が遠いことを物語っている。

 小屋に着いた。やっぱり「帰ってきたなあ〜」という何とも懐かしい感情が一気に込み上げて来て、嬉し涙が出てしまった。

 小屋の前のデッキにテントを張り終え、再び麓の駐車場に引き返して街に下りた。モチ、缶ビール、炭などの当面の買物を済ませ、これらを背負って小屋に戻った。なにぶん水物がやたら多く、重い荷物を背負っての雪道の1往復半はとことん身体に堪えた。

 夕食前に小屋の雪囲いを解いた。早速中に入って囲炉裏に火を焚き、少し落ち着いたところでおやじ池を覗いて見る。池の水は手が切れるような冷たさである。今年もクロサンショウウオが一杯卵を産んでくれていた。

(大いなる歓喜と肉体疲労と寝不足の中での泥酔でこの後の記憶は全くありませんです。はい・・・・)
 

2010年4月6日(火)曇り
おやじ山の春2010(フクロウの巣箱)
 テントの中で眠っていたら、突然真上で「バタバタバタ!」と大きな羽音がして、飛び起きた。深夜の1時過ぎである。小屋脇のおやじ池の獲物を狙ったらしく羽音が池から杉林の方に遠ざかって、しばらくして「・・・ホッホッ、ゴロスケホッホ」とフクロウの鳴き声である。

 2月にNさんとおやじ小屋の雪掘りに来た時にはフクロウの巣箱にムササビが居たが、ようやく本命のフクロウが棲み付いてくれたのだろうか?
 懐中電灯を持ってテントを這い出て、巣箱の掛かっている大きなホオノキの下から照らしてみる。ゴソゴソと何かが居る!嬉しい!フクロウの家族か?巣箱から顔を出して欲しいとしばらく懐中電灯を向け続けたが、しかし寒い。(下着姿のまま出てきた)ブルブルと大きく一震えして、ついでにオシッコをしてテントに引揚げてしまった。

 明るくなって杉の木に掛けた別の小さな巣箱を見ると、ヤマガラがコツコツと窓を突いて出入りの間尺を合わせている。何とも可愛いものである。

 今日は下の谷川沿いを歩いて「春の水音」を聴いたり、昨年植えたブナの幼苗の雪起こし、それから小屋の掃除やトイレ修理などであっと言う間に時間が過ぎてしまった。






2010年4月7日(水)雨
おやじ山の春2010(早春花)

 キャンプ場の駐車場まで下りて、車に積んだままになっていたホワイトガソリンや衣類を荷揚げする。

 山道では咲き始めたばかりのショウジョウバカマやマルバマンサク、オクチョウジザクラ
が冷たい雨に濡れていた。
 マンサクは花が枝一杯につくというので「豊年満作」の意味だとも言うが、決して毎年満作にはならない。昨年は見事に満作の年だったが今年は全くの不作で、縮れたような貧弱な花弁が雨に打たれて震えているようだった。


 夜6時半、フクロウが鳴き始めた。ゴロスケホッホの声を聴きながら寝袋に入る。

2010年4月8日(木)晴れ
おやじ山の春2010(ミロのビーナス)
 晴れた!早速コナラと松の木の間にロープを張って寝袋とエアマットを干す。

 しかし昨夜は6時半に寝たせいで真夜中に目が覚めてしまった。頻りにフクロウが鳴いて、テントの周りで「ミャーミャー」と鳴く獣の声もうるさかった。奥越後松代に住む高橋八十八氏の文章に、確かタヌキがこんな鳴き声を出すと書いてあった。

 朝のNHKラジオ「今日は何の日」で<1964年(昭和39年)の今日、上野西洋美術館にミロのビーナスが来て、一目見ようと数百万人が殺到した。折りしもこの日は1820年、キュクラデス諸島のメロス島でギリシャ人の農夫がミロのビーナスを掘り出した日でもある>と報じている。
 46年前が一気に甦った!
 高校を卒業したばかりのまだ坊主頭の少年が田舎から大東京に出て来て、長い長い行列に並んでこのミロのビーナスを見た。そして無菌の少年はこの輝くばかりの白い大理石の裸体にクラクラと眩暈して美術館をよろけ出て、それからの垢にまみれたシュトルム・ウント・ドランクの時代へと踏み出したのである。

 午前中は山道の雪で折れた枝の整理、午後からは杉林に入ってチェーンソーを使って倒木の片付け、午後5時に作業を止めて小屋に入った。

 そうそう、昼のNHKラジオで全国各地をラジオカーで巡回してご当地自慢をする番組を聴いていた。今日は鳥取の堺港からの中継で、ここはゲゲゲのキタロウを描いた水木しげるの出身地だという。街に水木しげるロードというのがあって水木漫画に出てくる妖怪たちの像がズラ〜と建っているらしい。
 NHKアナウンサーの中継放送である。
「・・・たくさんの妖怪の像がまるでこちらに語りかけてくる感じがします。思わずその妖怪たちに向って「何か、用かい?」と訊かずにはおられません」
 NHKも一昔前とは変わったものである。
2010年4月9日(金)晴れ、日中の気温16℃
おやじ山の春2010(証誠寺の狸ばやし)

 朝のラジオが「今日は4月9日、4(し)9(きゅう)で子宮がんを防ぐ日です」と告げている。こんな語呂合わせが蔓延ると世も末である。いっそ「4(四)9(苦)八苦の日で俺を含め貧しい人々に手を差し伸べましょう」ぐらいの度量ある日にしてもらいたいものである。

 昨夜も静まり返った山の中で、フクロウの鳴き声と獣の跋扈でテントの周りは賑やかだった。獣は多分タヌキだと思うが、シャア、シャアと声をたてて小屋の近くで騒ぎたてていた。
 紀州の林業家、宇江敏勝氏の著書に<クロモジが咲くと狸が呆(ほう)けて出てくる、といわれている。つまりクロモジが黄色い小さな花をつける早春が、彼らの恋の季節なのだ>と書いてあったが、雪が多かった今年のおやじ山もあと少しでクロモジの花が咲く季節である。そしてこれから2ヶ月もすると、4〜10頭ぐらい仔を産むのだという。するとおやじ山は、タヌキだらけになるのではなかろうか?

 それから昨夜は、プン・・・プン・・・プン・・・という響くような物音も聞こえていたが、これも宇江氏の本の中ではタヌキが落葉の中からミミズや木の実などの餌を探し出しているときの息づかいで、ごく近くだと、フォン・・・フォン・・・フォン・・・というふうに聞こえるらしい。そしてこんな音を聞いた「証誠寺(しょうじょうじ)の狸ばやし」の作詞家が、タヌキが満月の夜に浮かれて出っ張った腹を「ポンポコポン!」と叩いて踊っているのだと解釈したのだろう、と書いている。

 日中の気温は16℃まで上がった。それで倒木の後片付けは止して、俺も今日の陽気に浮かれて春探しである。
 南の山桜の斜面にはスミレの中の一番手アオイスミレが咲き、顔をもたげたばかりの柔らかそうなフキノトウを見つけ、早春の名花キクザキイチゲとカタクリも咲き出していた。
 何とエノキタケも見つけた。野生のエノキタケは晩秋から今頃までのきのこで、積雪の中でも発生する。栽培品のエノキタケとは姿形は全く異なるが味は超一級品である。





2010年4月10日(土)曇り〜晴れ、日中の気温17℃
おやじ山の春2010(ドラム缶の朝風呂)
 6時前に起きて池の水で顔を洗う。池の中にはクロサンショウウオが集まっていてギョウザ形の白い産みたての卵塊が2つ3つある。4月5日に入山してから2度目の産卵である。

 ドラム缶風呂を焚いて朝風呂に入ることにした。
 小屋の周りの杉の枯葉を集めて焚き付けにしたが、もうもうと煙突から煙が吹き出て、まずい事にフクロウとヤマガラの巣箱の方に流れるのである。巣箱から野鳥たちが逃げてしまわないかとヒヤヒヤしながら何度も目をやる。

 ちょうど良い湯加減になって(このドラム缶風呂は構想何年の苦心作で、西洋バスのように横長で接火面積が広く比較的早く沸く)「どれどれ・・・」と服を脱いだが、せっかくなので写真を撮ることにした。
 素っ裸でデジカメを取りに行って先ずはパチリとドラム缶風呂の写真。それから記念にと、自動シャッターで自分の入浴シーンを撮ることにした。
 少し離れた位置から狙いを定めてデジカメのタイマーをセットする。(これを素っ裸でやってたんだから、地元の人が「ハイ、オハヨ〜サン!」などと山に入って来たら互いに仰天したに違いない)
  シャッターを押す。ドラム缶風呂に小走る。台に登ってドラム缶の縁をまたいで湯船に沈む。ゆったりした表情で向かいの山を見る。ここで「パチリ!」、という想定だった。
 ところがモニターを確認すると、湯船に沈む直前の、あわや恥ずかしい所が丸写しになったかも知れない実に危ない写真である。・・・まあ、これでいいかあ〜

 それにしても実にいい気分だった。雪がキラキラと残る向かいの山を眺めながらゆっくり湯船に浸かっていると、ウトウトとまた眠りそうである。もう今日一日は何もする気が無くなってしまった。

 それでも午前中は、雪で崩れ落ちた風呂上の東屋の片付け。
 昼の散歩の途中、ショウジョウバカマにとまっているクジャクチョウを見た。初蝶でクジャクチョウを見たのは今まで無かったことで実に貴重な体験だが、高原の蝶がおやじ山にもいたこたが嬉しかった。

 ポカポカ陽気の午後は、フキノトウを摘んで夕食のおかずである。
2010年4月11日(日)雨、日中の気温12℃
おやじ山の春2010(新潟市、桜の開花宣言?)
 昨夜からポツポツと雨が降り始め、今日一日中降り続くとの予報である。こんな雨なのにラジオが新潟市の桜の開花宣言をしている。

 午前中、溜まった洗濯物を持って山を降り、宮内のコインランドリーに行く。
 途中地元では「お山」と呼んで親しまれている悠久山の桜並木を見たら、開花には程遠い固い蕾である。今年の山の様子では春の季節が10日〜13日は遅れている感じである。

 下山すると電波が通じて携帯電話が使えるようになるので、先ずは毎年おやじ山に来てくれる伊豆のKさんに「今年は春が遅れているので予定日の山菜採りを延期したら?」と電話をする。それから藤沢の自宅に電話を入れ、届いた郵便物の幾通かを読んでもらったり、明後日13日に長岡に来られる神奈川の森林インストラクターNさんと連絡をとったりした。

 ホームセンターで炭6キロ、スーパーで日本酒と缶ビールを買い込み、これらと洗い終わった洗濯物をリュックに詰め込んで山に帰る。重かった! 山道の雪が早く解けてくれないかなあ〜
2010年4月12日(月)雨
おやじ山の春2010(フクロウとムササビの争奪戦?)
 昨日からの雨が降り続いている。
 そして昨夜は、一晩中テントの中で降りしきる雨の音をじっと聴いていた様な感じである。

 夜中にフクロウの「ホッホ、ホホホホ・・・」の威嚇するような鳴き声と獣のしわがれた「ギャーギャー」の応酬があって、「はて、何だろう?」と想像を膨らませた。音は間違いなくホオノキに掛けた巣箱の方からで、フクロウとムササビが巣箱の取り合いをしているのだ、と推測したのだが・・・

 さて、今年のおやじ山の今の様子は、
 山道から見える山の稜線に早くもこんもりと美しい浅緑の塊が見える。いの一番に新葉を繁らせたブナの成木である。マルバマンサクとオクチョウジザクラは満開。ショウジョウバカマは8分咲き、カタクリは3分咲き、というところである。
 そして眩いばかりの純白の花を咲かすタムシバとオオカメノキはようやく蕾がほころんできた。
 遅い春も徐々に目覚め始めている。
2010年4月13日(火)朝晴れ後雨
おやじ山の春2010(Nさんたちの来訪)

 晴れた!さすがNさんパワーである。今日から3日間、神奈川から森林インストラクターのNさんが植物大好き仲間のお二人をお連れしておやじ山に来る事になっている。

 しかしこれからの天気は日本列島に寒波襲来で、山地や日本海側には雪の予報も出ている。
 昨年は4月6日には初ギフチョウが何頭も飛んで、4月10日がカタクリとキクザキイチゲの満開日だった。それで今年は今日の日を設定させてもらったのだが、生憎の寒波襲来も重なっていささか見通しが甘かったようである。

 4時過ぎに起きて下の谷川沿いを登り、雪崩れた雪の前でNさんたちへのおみやげ用のコゴミを採った。それからチェーソーを持って山道に倒れているコシアブラの太い幹やマンサクの木々を片付ける。山道の吹き溜まりにはまだ沢山の雪が残っているが、いくらかは道が開けた感じにはなった。
 それから、今日Nさんたちを案内するカタクリとキクザキイチゲの群落地を再度確認する。時折ぱ〜と日射しがあって、花弁がしっかり開いてくれそうだと期待に胸が膨らんだ。


 午後1時半、キャンプ場の駐車場に車が着いてニコニコとNさんたちが降りて来た。お友達のお二人は、ご主人が私と同じ長岡高校の先輩だというTさん、もう一人のKさんは、驚くなかれ牧野長岡藩主と縁戚関係にあるという!いずれも長岡には縁深いお二人で、恐れ多くもぐっと親しみが沸いてしまった。

 おやじ小屋の周りのミズバショウやキクザキイチゲ、カタクリ、ショウジョウバカマ、マルバマンサク、Nさんの好きなユキツバキの花と案内しているうちにとうとう雨になった。おやじ小屋に逃げ込んでお茶を沸かして身体を温めてから、雨雲で暗くなった山道を急ぎ足で下った。

 夕食は4人で今夜泊まるホテル近くの「たなか」で摂った。伊豆のKさんの馴染みのお店で、そのお蔭で皆さんには大好評で喜んでいただいた。
 今日一日、生憎の天候だったが楽しい一夜だった。

2010年4月14日(水)曇り時々雪
おやじ山の春2010(雪国植物園)
 今日は、新潟で山岳ガイドや市内の名所案内をやっている次兄の案内で、Nさんたちと花の名山「角田山」に行く予定だった。

 朝7時、次兄から「角田山は雪で真っ白だ。日本海も大荒れで山に行ったら風で吹き飛ばされるね」と恐ろしい電話が入って中止を決めた。
 それで急遽、長岡市宮本町にある「雪国植物園」に行く事にした。

 雪国植物園は長岡高校の大先輩大原久治氏の呼びかけで、昭和62年に150名のボランティア会員を募り、当時長岡市が工業団地を造るために所有していた広大な里山を十数年前に植物園に仕立て上げた自然公園である。
 そのボランティア団体は今、(社)平成令終会と名を改めているが、「令終会」なるものには次のような謂れがある。

 時は大正5年、奇しくも翌大正6年は牧野家による長岡開府300年に当たる年だったが、この元祖「令終会」が設立された。令終とは「人生の終わりを全うする」との意で、この会には60歳を超えた有志たちが参集した。その設立趣意書は、
<人生の終わりを全うせしむるに自己の財産を善用し、末を誤ることなかれ>
と高々と宣言し、<次なる世代のために自然豊かな公園を我々市民の力で建設しようではないか>と訴えている。 こうしてできたのが、今長岡市民から「お山」と呼ばれて親しまれている「悠久山公園」である。
 その昔、俺がまだガキの頃、とても貧しくて遠くに旅行することなど叶わなかったが、お花見の季節になると両親は俺達兄弟の手を引き暖房用の七輪を下げてこの「お山」まで夜桜見物に連れて行ってくれた。当時は灯りなど殆どなくて夜目にも桜の花など見えなかったが、それでも賑やかな桜山の中で家族で小さな七輪を囲んでスルメや餅などを炙って食べるのは何と楽しかったことか!

 午前10時に雪国植物園に着いた。大原園長のお話しを聞き、やはり長岡高校の先輩だというボランティアガイドの近藤さんに案内されて園内を回った。途中冷たい風が吹きアラレが降ったりしたが、親切な近藤さんの説明とNさん達の熱心さで心が温まった。

 午後2時に植物園を出て朝日酒造の直営店「そば処越州」で遅い昼食を摂った。そして午後4時には皆さんを今日の宿「悠久山湯元館」にお送りしてからおやじ小屋に戻った。
2010年4月15日(木)曇り、朝の気温4℃
おやじ山の春2010(Nさん達からのおみやげ)
 朝起きてテントを出ると一面真っ白な雪である。ブルブルと小屋に入って火を焚く。

 7時半にキャンプ場の駐車場まで下りて次兄に電話を入れると、「角田山は真っ白でとても登れない」との返事である。それから大湯温泉にある素晴らしい山野草料理店「いろり じねん」に電話を入れる。ここも営業開始は4月17日からで今は閉店中だという。
 取敢えず湯元館に車を走らせ、ロビーでNさん達と相談した結果、今日は「県立歴史博物館」に行く事にした。

 開館時間の9時半と殆ど同時に入館して、先ずは縄文館から観る。ここの展示は素晴らしく、まるで本物そっくりの山菜や植物のイミテーションが植えられている越後の里山が再現されている。植物好きのNさん達は興味津々で、期せずして俄か植物観察会である。
 それから「丹下左膳」などの古き良き時代の映画ブロマイドを見て喜んだり、一昔前の雪国の生活を模した大きな展示場に入って歓声を上げたりと、あっという間の時間を過ごした。

 帰り際、Nさんが頻りに館内に並べられているパンフレットや資料を手に取っている。そして「まだまだ私の知らないことがいっぱいあって、これから勉強しなくちゃあね」と呟くのである。
「・・・!!」
 全く恐れ入ってしまった。失礼ながら、Nさんは多分俺より一回りくらいお歳が上である。この姿勢である。ウダウダ酒など呑んでいないでしっかり見習わなくっちゃあ、と(一瞬)思うのであるが・・・

 Nさん達3人と別れたのは長岡駅近くのスーパーの駐車場である。私がNさん達の車を見送ると言ったのに、3人は私の車を先に見送ると言い張るのである。仕方なく3人とそれぞれ握手を交わして駐車場を後にした。

 午後5時過ぎ、おやじ小屋に戻った。それからNさん達から頂戴した高級おみやげ品を開けて酒を呑んだが、それらは次のようなものだった。
 鎌倉由比ヶ浜、井上蒲鉾店の「梅花はんぺん」、鎌倉腰越、勘浜水産の「湘南名産たたみいわし」、小田原かねきちの「本造りいかの塩辛」、三重県伊勢市真珠漬本舗の「竹の子入り牛肉しぐれ」、まだまだあったけど割愛します。
 今までの小屋生活では、98円の瓶詰「なめ茸」、198円のふじっ子煮「からし昆布」、自家製タクアンなどをポリポリ齧って生きていたが、今夜は一気にセレブの食事になった。
2010年4月16日(金)曇り、気温3℃
おやじ山の春2010(校歌独唱)

 午前3時、テントの脇で「ギャーギャー!」と獣が騒ぎながらフクロウの巣箱の方に走る。今度は巣箱から「コーッ!コーッ!コーッ!」とニワトリが鳴くような威嚇音が聞こえてきて「ゴトゴト、ゴトゴト」と頻りに箱の中が騒いでいる。「それ、また巣箱の争奪戦だ」と見学に行こうとテントのチャックを開けた途端に、ピタリと静まり返ってしまうのである。 
 ここ何日かの恒例行事になってしまった。


 朝の気温は小屋の中で3℃。こんなブルブル気温なのに南側の山桜の斜面でウグイスが「ホォォォ〜〜〜ホケキョ!」と実に上手に鳴く。上達した歌声を自慢したいのかも知れない。

 今日一日、あまりに寒くて仕事ができず、囲炉裏に火を焚いて早々と酒を呑む。身体を温めるために大声で歌を唄うことにしたが、咄嗟に思い浮かんだのが母校の校歌である。(本当はシューベルトかドヴォルザークのような格調高い歌の方が山小屋には似合っていたんだけど・・・)途中で歌詞を忘れて同じフレーズを何度も大声で繰り返していたら、へべれけに酔ってしまった。

 小屋の外は、ポツポツと雨が落ちてきた。

2010年4月17日(土)雨
おやじ山の春2010(仙人泣く)
 関東甲信地方は41年ぶりの遅い雪が降っているという。おやじ山も冷たい雨である。

 今日は殆ど小屋の中でラジオを聴いて過ごした。その中で過去に放送した「とっておきラジオ」という番組があり、元NHKアナウンサー青木裕子氏が「ラジオ文芸館」で朗読した芥川龍之介作「杜子春(とししゅん)」が放送された。以下はその内容である。

<杜子春>
 唐の都洛陽の西の門の下で杜子春(とししゅん)という一人の若者が峨眉山(がびさん)に棲む鉄冠子(てっかんし)という仙人に会うところから物語は始まる。

 杜子春は元は金持の息子だったが財産を費い尽くして憐れな身分になっていた。そんな杜子春を鉄冠子は洛陽の都でも唯一人の大金持ちにしてやるのだが、杜子春は贅沢な暮らしを始めてたちまち寝るところもないような生活に戻ってしまう。そして金持の時には遊びに来たり挨拶をしていた友人たちは、杜子春が貧乏になった途端、手の平を返したように寄り付かなくなってしまった。

 <そこで彼は或日の夕方、もう一度あの洛陽の西の門の下へ行つて、ぼんやり空を眺めながら、途方に暮れて立つてゐました。するとやはり昔のやうに、片目すがめの老人が、どこからか姿を現して、「お前は何を考へてゐるのだ。」と、声をかけるではありませんか>と朗読は続く。

 そして杜子春は二度も鉄冠子から大金持にして貰うのである。
 それからの杜子春は又一度目と同じよう、夥しい黄金も三年ばかり経つうちにはすっかり無くなってしまった。

 三度目に杜子春が洛陽の西の門の下でぼんやり佇んでいると三たび鉄冠子が現れます。そして杜子春に黄金の在りかを教えようとすると、言葉を遮って杜子春がこう言うのです。

「いや、お金はもう入らないのです」そして、「何、贅沢に飽きたのぢやありません。人間といふものに愛想がつきたのです」と。そして更に杜子春は鉄冠子に向って「私はあなたの弟子になつて、仙術の修業をしたいと思ふのです」と頼むのである。

 鉄冠子は、「いかにもおれは峨眉山がびさんんでゐる、鉄冠子てつくわんしといふ仙人だ。始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好ささうだつたから、二度まで大金持にしてやつたのだが、それ程仙人になりたければ、おれの弟子にとり立ててやらう。」と、快く願をれて、杜子春を峨眉山に連れて行き、岩の上に座らせるとこう告げるのである。

「多分おれがゐなくなると、いろいろな魔性ましやうが現れて、お前をたぶらかさうとするだらうが、たとひどんなことが起らうとも、決して声を出すのではないぞ。もし一言でも口を利いたら、お前は到底仙人にはなれないものだと覚悟をしろ。好いか。天地が裂けても、黙つてゐるのだぞ。」と。
 
 その言葉通り、杜子春の前にはいろいろな魔性が現れて彼を痛めつけるのである。杜子春は鉄冠子の言い付け通り一言も口を利かずじっと耐えた。そして最後に現れたのが閻魔大王である。
「この男の父母ちちははは、畜生道に落ちてゐる筈だから、早速ここへ引き立てて来い。」と、一匹の鬼に云ひつける。それからの朗読は次のように続く。

その獣を見た杜子春は、驚いたの驚かないのではありません。なぜかといへばそれは二匹とも、形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから>
<閻魔大王は森羅殿も崩れる程、凄じい声で喚きました。
「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまへ。」
 鬼どもは一斉に「はつ」と答へながら、鉄の
むちをとつて立ち上ると、四方八方から二匹の馬を、未練未釈みれんみしやくなく打ちのめしました。鞭はりうりうと風を切つて、所嫌はず雨のやうに、馬の皮肉を打ち破るのです。馬は、――畜生になつた父母は、苦しさうに身をもだえて、眼には血の涙を浮べた儘、見てもゐられない程いななき立てました。
 杜子春は必死になつて、鉄冠子の言葉を思ひ出しながら、
かたく眼をつぶつてゐました。するとその時彼の耳には、ほとんど声とはいへない位、かすかな声が伝はつて来ました。
「心配をおしでない。私たちはどうなつても、お前さへ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と
おつしやつても、言ひたくないことは黙つて御出おいで。」
 それは確に懐しい、母親の声に違ひありません。杜子春は思はず、眼をあきました。さうして馬の一匹が、力なく地上に倒れた儘、悲しさうに彼の顔へ、ぢつと眼をやつてゐるのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思ひやつて、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む
気色けしきさへも見せないのです。大金持になれば御世辞を言ひ、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何といふ有難い志でせう。何といふ健気な決心でせう。杜子春は老人の戒めも忘れて、まろぶやうにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、「おっ母さん!」と一声を叫びました……

 青木裕子アナウンサーの朗読はまだ続いていたが、俺は滂沱と頬を伝う涙を拭いもせずに、ポタポタとおやじ小屋の土間に落ちるにまかせていた。

 こんな朗読を雨のおやじ小屋で聴くと、心にぐっと沁みてしまうのである。


(同じ内容を「森のパンセーその37」に掲載しました)
2010年4月18日(日)曇り時々晴れ
おやじ山の春2010(千客万来?)
 午前4時前に目が覚めてしまった。雨も上がって、それに今日は休日である。何となくおやじ小屋に人が訪ねて来そうな気がする。
 小屋に入ってランタンを灯し、外が少し明るくなったのでドラム缶風呂を焚いた。

 そしたらまだ6時前なのに、一番手の訪問客は地元の山菜採り名人Aさんだった。すでに向いの山菜山に入ってコゴミとフキノトウを採って尾根から下りて来た。さすがリュックが大きく膨らんでいる。
 お茶を出して一服してもらうと、「いや〜今年はオメさんの言う通りだてえ」とAさんが言う。それは毎年ここで山菜採りを楽しんでいる人たちには気の毒だったが、今年に限り「入山自粛のお願い」の看板を立てさせてもらったからである。小屋向かいの山菜山は昨シーズン中の日照り続きと多くの入山者による山荒れで万止むを得ない処置だった。
 常連のAさんがこう言ってくれたのでいささか胸の痞えが下りた。それからAさんは、「今年から町内会長になったがで、今日は急いで帰って、これから町内の清掃活動の指揮とらんばなんねえがてえ」と笑って言った。それにしてはあれこれ喋って20、30分は居ただろうか?

 朝風呂に入ってから小屋の東壁際に資材置き場用の土台を作っていると、昼近くなって長岡きのこ同好会のSさん夫婦が来た。「一緒に昼ごはん食べようと思って持ってきたこって」と、奥さんは手提げの紙袋の中から、特等米コシヒカリで握ったおにぎり(何と俺の夕食分も!)、鯨の缶詰、自家製漬物、缶ビール、それに夏みかんやお菓子、ポットのお茶と、デッキの上に次から次と並べて大ご馳走である。

 時折ポカポカと春の陽が射して楽しい食事が終わり、ちょうど咲き始めたカタクリの群落地を案内してからSさん夫婦を見晴らし広場の手前まで見送った。そして帰りの山道には花の咲いたイカリソウが一株。今年のイカリソウの初見である。

 小屋の戻ってしばらくすると、今度はOさんがニコニコとやってきた。先ほど信州から着いたばかりだという。そしてこれから長岡に嫁いだ娘さんの家に挨拶に行くと言って、手土産のコゴミを採りに斜面を下って行った。

 今まで誰も訪れて来なかったおやじ山が途端に賑やかになった。いよいよ山笑う季節である。
  
2010年4月19日(月)曇り
おやじ山の春2010(野鳥の巣箱作り)
 夜中中獣の騒ぐ声とフクロウの「ゴロスケ、ホッホ・・・」と大巣箱の「ガタゴト」の物音が続いていた。山の生き物たちの恋の季節もいよいよ活況を呈してきた。

 朝起きて杉の木に掛けた小巣箱を見ると、ヤマガラのつがいが人目も憚らず、実に楽しそうにジャレあっている。思わずこちらの顔も緩んでしまうが、春の歓喜と躍動感がストレートに伝わって来るようである。

 今日はヤマガラに刺激されて、おやじ小屋の修理で余った端材を使って小巣箱を2つ作った。
 午後にはOさんが来て、二人で奥の沢まで山菜の様子を見に行った。

 Oさんと麓の温泉に入って一人で山小屋に帰って来る途中、日が暮れかけた山道で頻りにクロツグミが鳴いていた。それから日中には今年初めてのブト(ブヨの長岡弁)も出て、春本番のスタートである。


2010年4月20日(火)晴れ〜曇りのち小雨
おやじ山の春2010(賑やかな山明け)
 朝5時過ぎのおやじ小屋の温度13℃と一気に暖かくなった。
 午前4時40分、いつも通りにウグイスが大声で囀り出して、谷川からはオオルリ、向かいの山菜山からキビタキとツツドリの鳴き声と、まるで野鳥達ののど自慢大会である。朝のコーヒーを飲みながら、多分この春一番の賑やかな囀りに耳を傾けていた。

 午前中に山を下り、ホームセンターで巣箱に付ける蝶番やホダ木に打込む400個入りのナメコの駒菌などを買い、その他いろいろな用事を済ませて小屋に戻った。

 まだ山道には一部雪が残っているが、入山した時から15日間で山の様子はすっかり変わった。そんな今日の様子を書き残しておきたいと思う。

 今年のギフチョウとアカタテハの初蝶を見た。(それぞれ1頭づつ)
 花びらが貧弱だった今年のマンサクはそろそろ終り、オクチョウジザクラも散り始めた。
 早春に咲く雪国の名花木、タムシバは今が満開、競うように花開くオオカメノキ(別名ムシカリ)は8分咲きである。
 まだ裸の木々の中にあって、ブナの成木が美しく浅緑の葉を繁らせている。
 そしておやじ山自慢のカタクリとキクザキイチゲ、ショウジョウバカマも満開になった。暖冬だった昨年と比べ、10日遅い満開日である。
 雪国だけに咲く日本海要素のスミレ、ナガハシスミレとオオバキスミレはようやく咲き始めである。



 それぞれが慎ましくも、やっぱり賑やかなおやじ山の山明けである。
2010年4月24日(土)朝雨〜夕方晴れ
おやじ山の春2010(ちびっ子山菜採り)
 3日前から冷たい雨が降り続いて、また冬に逆戻りしたようである。今朝4時過ぎにはバラバラとアラレがテントを打って、「ド〜ン!!」と大きな雷鳴が轟き渡った。そして5時半にテントを出て小屋に入り、ランタンに火を灯した。温度計を見ると3℃である。

 昨夜は夜中に目が覚めてしまって、眠れないままにNHKのラジオ深夜便に耳を傾けていた。ラジオから流れて来た音楽は、ジョン・コルトレーンのむせぶようなテナー・サックスの音色(ジャズ史に残る最高傑作と謳われた「至上の愛」だったか?)、それからマウントバーニ・オーケストラの「4月の恋」である。ピリピリとか細く震えるような弦楽器の高音がさざ波のように競り上がって来ては脳天を突き抜け、全く痺れてしまった。

 午前6時半、ようやく薄い朝日が射しはじめランタンの火を消す。
 3日続きの雨で、先日から小屋の中でまた巣箱を作っていた。都合、新しい巣箱が3つも出来てしまったが、小屋脇のコナラやホオノキ、それに池の近くのキリの木に登って掛けると、どこで見ていたのか、すぐさまシジュウカラなどが飛んできて入ってしまうから不思議である。そして小屋の窓からせっせと巣作りに励む野鳥たちを眺めているのも楽しいものである。

 昼にはすっかり雨が止んで、地元のOさんがお孫さんたちを連れて山菜採りに来た。下の谷川の畔で輪になってお弁当を広げ、それから歓声を上げながら山菜山の斜面でコゴミを採っている。こんな小さな山菜採りに「今年は入っちゃダメ」などと言えたものではない。
 「いいなあ〜。お茶を出すから帰りに小屋に寄ってねえ〜!」と大声で伝えた。そして子どもたちへのおみやげにホダ木に生えたシイタケを採ってビニール袋に詰めた。

 今日はキクザキイチゲの群落地とヒロハテンナンショウ/エンレイソウの生える場所を黄色のレコードテープで囲んで取敢えずはこの中の倒木と枯れ枝整理をした。
 そして午後6時には、久々にまだ明るい夕方の風景を小屋から眺めながら酒を飲み始めた。
2010年4月25日(日)晴れ
おやじ山の春2010(山菜山の様子見)
 午前1時半、いつものようにホオノキに掛けた大巣箱から「コ〜ッ・コツ・コッ・コッ・コ〜ッ・・・」のフクロウと「ジャーッ・ジャーッ・・・」の獣の応酬が何度かあって、そっとテントのジッパーを開けて覗いてみるが、見えない。

 午前4時、テントが明らみ始めたので起きて外に出る。寒いが快晴の朝である。今日の日曜日は悠久山桜まつりで、ちょうど見頃を迎えたソメイヨシノもさぞ映えることだろう。

 そして5時には朝食を摂って、向かいの山菜斜面に入って山の様子を見てみることにした。すぐ目の前の山なのに、今年初めての入山である。

 やっぱり、懐かしかった。下の谷川を越えて、地下足袋で斜面を掴むように感触を確かめながら山菜山を登り、あちこちに目を凝らした。
 雪の残る谷間の際からはシドケやコゴミが芽吹き、立派なゼンマイが株立ちし、その名にちなんだ通りのトリアシショウマの群落がある。今年一年は入山禁止で山を回復させることにしたが、やっぱりこの決断で良かったと思った。

 斜面のトップまで登って腰を下ろした。遠くに見える長岡の街はようやくオレンジ色の朝日に染まって、まさに春の曙である。眼下におやじ小屋が見え、手前の斜面にはピンクに靄ったヤマザクラの大木が満開の日を待ちかねているようである。こんな穏やかな風景を朝の山懐に抱かれて見ていると、嬉しくて嬉しくて仕方がない。

 それから今日は、今度は谷川を「瞑想の池」まで下ってみた。渓流沿いには雪崩れた雪が分厚く残っていたが、川縁のネコヤナギは大きく膨らんで春本番を告げていた。
2010年4月26日(月)晴れ
おやじ山の春2010(初山菜採り−水穴へ)
 今日は今季初めての本格的な山菜採りで、水穴に入ることにした。

 午前6時におやじ小屋を出て、尾根伝いに三ノ峠山を目指した。そして途中、明日Kさんたちを案内する予定の谷川の源流部に寄ってコゴミの出具合を確認する。「シメシメ」と、例年通りの上質のコゴミが生えていることを確認して、これなら伊豆から遙々山菜採りに来られるKさんたちも満足するだろうと胸を撫で下ろした。(水穴からの帰りに念のためもう一度ここに寄ったが、大丈夫、他の人に採られず無事だった。最近の山菜採りも随分世知辛くなって、確実に収穫しようと思うと山プロの俺でさえおちおち気が休まらないのである。まあ、自分勝手に気を揉んでいるだけかも知れないけど・・・)

 まだ可なり分厚く残る雪渓の上を慎重にトラバースして、水穴に着いた。所々まだ雪の残る広大なコゴミ畑の斜面は、その殆どが前年のホダで茶色く覆われていたが、あちこちに柔らかそうなコゴミが眩い春の日射しにピカピカと輝いて顔を出していた。それから雪解け直後の斜面には真っ黄色のフキノトウが萌え出ている。全く水穴は山菜の宝庫で、ワクワクと胸を躍らせながらの初物の収穫だった。

 山菜リュックを一杯にして午前10時過ぎにおやじ小屋に戻った。
 そして携帯電話の通じる見晴らし広場まで下って、新潟の次兄とカミさんに今日の成果を嬉しく報告した。
2010年4月27日(火)晴れ、午後雨になる
おやじ山の春2010(Kさん夫婦の来訪)
 今日は遙々伊豆から同級生のKさん夫婦が山菜採りに来られる予定で、4時に起きて昨日の場所とは違うもう一箇所の山菜場所を確認に行った。いわゆる本命場所がダメになった場合の「滑り止め」である。(繰り返すようだけど、全くもう、昔はノンビリしてた山も世知辛くなったものである)
 しかし現場に行ってみると滑り止めにもならない早場所で、今だ山菜の気配さえ無かった。こうなったら昨日の本命場所一本狙いと腹を括って小屋に戻って来た。

 朝飯を食った後はおやじ小屋の土間を綺麗に掃き清めて、小屋周りに散らばっている杉の枯っ葉や枯れ枝を廃材と一緒に焚き火で盛大に燃やした。Kさん夫婦がここにやって来て「まあ、汚い! やっぱり仙人生活をしてると頓着しなくなって不潔になるのねえ」などと顰蹙をかい、二度と来なくなると困るからである。

 7時半にKさん夫婦が来る麓のキャンプ場に下りて、いくらかは身奇麗にしておこうと炊事場の水道を使って久しぶりに石鹸で顔を洗った。驚いたことに、シャボンの泡が立たないのである。やっぱり仙人生活で余程顔が煤けていたと見える。(今日はKさんたちに余り接近しないようにしようっと・・・)

 午前8時、Kさん夫婦の車がキャンプ場の駐車場に着いた。「おはようございま〜す」とキャンプ場の坂を下りながら声を掛けたが、お二人は既に臨戦態勢である。例によって自衛隊か消防署員並みの素早い身支度で、あっと言う間に山菜採りスタイルに変身してしまった。

 おやじ小屋に着いてから、早速昨日下調べした山菜場所に向った。小屋から尾根道をゆっくり歩いておよそ20分程の距離である。

「さあて〜」と本命場所に着いて、勇んで踏み込んでみると、
「・・・!」「・・・!」 世の中、これである。油断もスキもあったものではない!
昨日ニョキニョキと生えていた太いコゴミはザックリと誰かに採られて、何とも憐れな山菜場に変わり果てていた。
 仕方なく採り残しのコゴミを拾うように採り集めて、ついでに谷川の初ミズも採っておやじ小屋に戻った。しかし落胆気味の自分をよそに、Kさんはブナ平までの尾根道を楽しそうに鼻歌を歌いながら、途中ユキツバキの花をみやげに折り取ったりして、一応満足してくれたようである。

 昼食はおやじ小屋の前のデッキで摂った。Kさん夫婦が持って来てくれた豪華メニューは次のとおりである。
 竹の子の煮物、キャラブキ、レンコンと牛蒡煮、、サヤエンドウ、ゆで卵、鳥の唐揚げ、野菜の一夜漬け、それに地元で酒店とおにぎり屋を開いているO君手製のこだわりおにぎりどっさり、それにO君一押しの越後桜酒造の「白鳥蔵」の一升瓶などがズラリと並んだ。
 全く楽しいおやじ山でのランチタイムだった。

 そして午後2時前に、キャンプ場の駐車場で大きく手を振ってKさんの車を見送った。
 
2010年4月29日(木)曇り〜雨
おやじ山の春2010(満月とムササビ/藤井さんのこと)
 午前1時、煌々とした月明りで目を覚ましてしまった。お月様の明かりで目覚めた経験は、生まれて初めてである。フライシートを透した月明かりで、テントの中は真昼の明るさである。

 テントから這い出て深夜のお月見をした。黒々と枝を伸ばした山桜の大木の真上に、青筋をたてた大きな満月が照り輝いていた。開花直前の薄いピンク色に膨らんだ山桜の蕾もしっかり見えるほどである。
 テントに戻って再び寝袋に潜って横になっていると、いつものようにホオノキに掛けた大巣箱の方から「コ〜ッ・コ〜ッ・コ〜ッ・・・」「ジャ〜ジャ〜」の鳴き声が聞こえて来て、「ゴトン」と巣箱が鳴ってテントを出た。
 巣箱の窓からムササビが顔を出している。向こうも幾分顔を傾げて黒い大きな目で俺の方をジ〜と見ていたが、満月の明かりでようやくご対面である。

 午前6時を少し過ぎた頃である。小屋の窓に人影が映って、「あれっ?」と思って外に出てみると、麓の村の藤井さんである。
 藤井さんのお歳は86歳。腰が殆ど90度曲がって杖を突いて山道を歩いて来るが、決まってその杖をおやじ山の入口のコナラの木に立て掛けて山桜の斜面を下って山菜山に入る。その杖を捨て置いてからの変身ぶりたるや全く見事である。とても86歳の老人とは思えない身のこなしで、山菜山の急斜面を90度に曲がった身体で、そのまま4つ足の獣と化して這い登って行く。
 「藤井さ〜ん!」と大声で呼んでみたが、既に藤井さんは下の谷川を渡り笹薮の中を獣化して突進を開始していた。小屋の前に立ってその小さな姿をじっと目で追っていたが、何故か感動して胸が詰って来るようだった。一人の人間が見る見る山と同化していく姿というか、まるで自然の中に溶け込むように入っていく姿というか、一体これをどう表現したらいいのだろう?

 9時半過ぎ、強い雨になった。藤井さんはもう山から下りただろうか?
 小屋の中で雨の音を聴いていると、時折雨音が人の声に聞こえてくることがある。「ハッ!」と思って小屋の戸を開けてみたりするが、誰もいない。確か、こんな空耳を詠んだ俳句も目にしたことがあった。

 昼過ぎに雨合羽を着たご夫婦がおやじ小屋を訪ねて来た。Sさんと名のられて、昨年お手伝いした自然観察会に参加された方だと言う。その時おやじ小屋があると聞いて、いつか訪ねてみたかったのだと言った。何もお構いできなかったが、ご夫婦と1時間ばかり楽しく会話してお見送りした。
 
2010年4月30日(金)雨〜晴れ
おやじ山の春2010(宿替え)
 今日から下のキャンプ場に宿替えすることにした。明日からの連休中に、神奈川のNさん家族、藤沢のSさん夫婦と二匹の愛犬、それに息子の家族も来ることになっている。
 
 4時に起きて小屋のテントを畳む。ちょっと淋しい気持ちである。
 午前中は雨が降って小屋の中でぐずぐずしていたが、午後は晴れて引越しの荷物運びである。
 大型クーラー、ガソリンバーナー、折畳み椅子と、おやじ小屋と見晴らし広場の間を一輪車で3往復してキャンプ場まで道具を下ろした。それから息子家族のために新調したドームテントを受け取りに街のアウトドアショップに行ったり、ホームセンターに買出しに行ったりと大忙しだった。
 麓はすっかり春めいて、悠久山の野球場では桜吹雪である。

 一段落して「麻生の湯」に行った。露天風呂にゆっくり浸かりながら、これからの賑やかな日々に思いを馳せた。
 キャンプ場での第1日目の夜である。