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2010年5月1日(土)晴れ
おやじ山の春2010(大型連休スタート)

 晴れた!爽やかな五月晴れの朝である。いよいよ今日から大型連休がスタートする。大雪と寒波襲来でもたついていた越後の春も、一気に本番を迎えたようである。

 早速キャンプ場も賑わいを見せて、朝6時には山菜採りが駐車場に車を停めて山に入って行った。そして新潟から来たというロードレース用の自転車乗りの若者グループが下の広場にテントを張り、夕方おやじ山からキャンプ場に戻ると、炊事場の脇で地元のTさん親子がテントを張って焚き火をしていた。

 今日は午前中からおやじ山に行って、明日から来る客人たちのために谷川に下りる山桜の斜面の階段を直したり、山道の枯木を片付けたり、スプリング・エフェメラルの花々を見て回ったりした。

 おやじ山の山桜はまさに今日が満開日である。そしておやじ山のあちこちで春の女神ギフチョウが優雅に舞って、うきうきと心弾んだ一日だった。

2010年5月2日(日)晴れ
おやじ山の春2010(歓びも悲しみも)
 朝8時、息子の車がキャンプ場に着いた。孫の承太郎が真っ先にキャンプ場の坂を駆け上って飛び付いて来たが、息子夫婦と家のカミさん、それに休みをここで一緒に過ごすという娘が両手に荷物を抱えてキャンプサイトにやって来た。

 続いてカミさんの友人のSさん夫婦が到着した。勿論愛犬のテリーとブラッキー兄弟も一緒で、この2匹も毎年この山に来るのが嬉しくて仕方がないという尻尾の振りようである。

 そして午後1時、途中新潟県柿崎の親戚に寄って来たと言うNさん家族が神奈川から着いた。森林インストラクターのNさんと奥さん、そしてお子さんのY君、N子ちゃんの4名である。
 これで合計12名と犬2匹の大キャンプになった。

 NさんSさんのテント設営が終わって、早速おやじ小屋まで揃って出かけた。
 山道の途中、Nさんはこの2月に深い雪の中を重いリュックを背負っておやじ小屋の雪掘りに来た時の様子をあれこれと家族に説明していた。
 すっかり仲良くなった子ども達3人は、大人達の後先を走り回っては大変なはしゃぎようである。しかしすっかり子分になってY君を真似る承太郎には笑ってしまった。

 満開の山桜が出迎えてくれたおやじ小屋に着いた。
 早速承太郎はいつもの囲炉裏の焚き火である。「小さい子どもに火遊びを教えて・・・」などと叱られそうだが、せっかく大自然の中に入って野生を取り戻す行為を止めさせるのは可哀想だと思っている。N子ちゃんと二人して火吹き竹で囲炉裏の灰を吹き散らかしながらの大奮闘である。
 Y君は池のクロサンショウウオの卵塊を珍しそうに見ていたが、今度は身丈ほどの大斧を振りかざしての薪割に挑戦である。(最初は危なっかしかった動作も見る見る上達してしまった)
 そしてNさん夫婦をカタクリの広場に案内した。おやじ山自慢のカタクリの大群落は、既に旬の時期を過ぎ散りかけてはいたが、まるで今日の日まで待っていてくれたように咲いていた。

 午後4時に下山してキャンプ場に戻った。そして西山に沈む真っ赤な夕陽を見ながらのバーベキューパーティが始まった。俺にとっては久々に賑やかな何とも楽しい夕間暮れの時間だった。

 午後8時45分、カミさんの実家仙台の義姉から電話が入った。
 「母たきが、今亡くなりました・・・」 慌ててカミさんを高台まで誘って携帯電話を渡す。そしてしばらくは只呆然と眼下に瞬く長岡の街の灯を眺めて立ち尽くしていた。
 






2010年5月3日(月)晴れ、夏日となる
おやじ山の春2010(夜のすべり台)

 朝8時、仙台に発つカミさんを長岡駅まで送る。
 そして9時過ぎ、今日も皆でおやじ小屋まで歩いて行った。勿論テリーとブラッキーも一緒である。

 小屋に着くと早速Nさんはドラム缶風呂を焚き始めた。焚き付けが済むと、今度は小屋の囲炉裏でダッチオーブンを使っての豚バラ肉の燻製作りである。いわゆるNシェフ特製のおやじ小屋風アウトドア料理だが、この味にはSさんもすっかり感心して、自宅に帰ったら早速ダッチオーブンを購入するとまで言い出した。

 息子は山菜採りで山に入り、私はコナラの雑木林に入って雪で折れた枝の片付けをやっていたが、下の谷川からは子ども達の賑やかな歓声が聞こえていた。

 一仕事終えてみんなの元に戻ると、承太郎がNさんを差し置いて一番風呂に入っている。あれっ?と思って訊いてみると、谷川に落ちてびしょ濡れになったという。なる程、承太郎の小さな衣服がコナラと松に渡したロープにヒラヒラと干してあった。
 それからNさんが念願のドラム缶風呂に浸かり、缶ビール片手に絢爛と咲く山桜を観ながらの贅沢な露天風呂となった。さすが奥さんは入浴を敬遠して、N家族揃ってのドラム缶風呂の足湯となった。
 そして昨日と今日でY君の薪割もすっかり堂に入って、これなら立派な山男になれそうである。

 早めに山を下ってテント場に着くと、「オジチャ〜ン!」と声がする。会津若松からキャンプに来た常連のFさん家族で、MちゃんとK君の声である。全く人懐っこい子どもたちで、すぐさまこっちの家族のようになってしまった。

 夕食はSさんのご主人が手製のうどんを打ってくれた。それからコゴミとウルイのおひたし、コシアブラの天ぷらと、今夜も賑やかで楽しい夕食だった。

 夕食後、いつもの癖で折畳み椅子を持って高台に出て夕涼みをする。Y君と子分の承太郎、N子ちゃんも高台にやって来て裸足になると赤土の斜面を滑って遊び始めた。5、6mの落差はあるだろうか?粘土質の斜面は乾いた赤玉土の粒子混じりで格好のすべり台である。滑り降りては4つん這いになって高台に攀じ登り、またキャッキャと滑り降りて行く。
 歓声を聞いてMちゃんとK君もやって来て一緒に滑り始めた。見ていると実に面白そうで、とうとう「俺も混ぜてくれ〜!」と参加してしまった。アルコールが入っていて息が切れて仕方がなかったが、こうして子ども達と一緒に滑りながらすっかり童心に返ってしまった。
 







2010年5月6日(木)晴れ
おやじ山の春2010(冬景色の六十里越)
 義母の葬儀が終わった。
 一昨日、おやじ山から仙台に駆けつけ通夜と昨日の告別式に参じた。義母の底抜けに明るかった性格のお蔭か享年97歳のいわば大往生のせいか、葬儀はしめやかにはならずさっぱりとしたものだった。
 昨日の葬儀前の午前中には、カミさんの甥っ子から是非来て欲しいと多賀城の自宅に招かれ、国府多賀城跡に案内された。広々とした旧跡の丘には眩しいほどの一面のタンポポが咲いていた。

 そして今日の午前11時過ぎ、カミさんと葬儀に参列した子ども達を仙台の実家に残して、おやじ山に向けて出発した。東北自動車道から磐越道に入り会津坂下ICで高速道路を下りた。ここからは只見川沿いに国道252号線(尾瀬街道)をひた走って会津と越後の国境「六十里越峠」を越えて帰るつもりである。

 途中、早戸温泉「鶴の湯」の露天風呂に浸かってドライブの疲れを癒した。目の前には満々と雪解け水を湛えた只見川がゆったりと流れ、川縁には桃の花やレンギョウが咲いて、今だ早春の趣である。
 そしていよいよ田子倉ダムに近づくにつれて沿道の風景もどんどん季節が遡って、満開の桜の村を過ぎてからは「雪わり街道」の異名通りの雪の被ったトンネルとスノーシェッドの連続になった。そして、標高760mの「六十里越」の峠に着いた時にはすっかり冬景色に変わっていた。

 田子倉湖を遥か眼下に見下ろす峠には「会津の窓開く 六十里越峠開通記念碑 昭和48年9月 内閣総理大臣 田中角栄」と揮毫された石碑が建っている。
そしてこの峠から望む浅草岳や鬼が面山は全く冬山の装いだった。

 その浅草岳の向こうは、司馬遼太郎の小説「峠」に出てくる難所「八十里越」である。越後人なら誰でも知っている幕末の長岡藩の名家老、河井継之助が北越戊辰の戦で西軍に破れ、この峠を越えて会津へ落ち延びる途中、ここ福島県只見町で死去したのである。その時河井継之助が詠んだという自嘲の句は、無念さを秘めて今に伝えられている。
<八十里腰抜け武士の越す峠>


 夜8時、おやじ山の麓のキャンプ場に着いた。信州から来たOさんのテントが張ってあり、「Oさ〜ん」と呼んでみたが返事がない。それで仕方なく自分のテントに入って一人で酒を飲み始めた。
2010年5月8日(土)晴れ
おやじ山の春2010(千楽の会)
 雨上がりの爽やかな五月晴れとなった。Oさんは満を持したように山菜の宝庫「黄土」に出かけて行き、自分は、「あさひ日本酒塾」のOB会「千楽の会」の行事に参加である。

 あさひ日本酒塾もそうだったが、千楽の会も昼の行事の後には必ず酒の宴席(こっちの方が本命の行事だったりして・・・)が用意されているので、マイカーでの参加はご法度である。それで麓の村の栖吉のバス停まで歩いて、バスと列車を乗り継いで会場に向うことにした。

 春の陽ざしで眩いような田圃の畦の芝桜を見ながら、のんびりとバス停までの道を歩いた。そして村に入ってバスを待つ間、大ケヤキの木の下で幾分早い昼飯弁当を食べた。

 長岡駅に着くと、既に県内や首都圏などから来たメンバーが集まっていて、ヤアヤアと挨拶を交わしている。髯をたくわえたり、リュックサックを背負ったり、中には今日の田植え行事のために菅笠まで被っている人もいて、一見して同類項だとすぐ見分けがついてしまう。
 こんなツワモノ連中と一緒に信越線に乗り込んで来迎寺駅で降り、迎えのマイクロバスで今日の田植え場所の棚田へと向った。

 全く、田植えには絶好の日和だった。東京から乳母車に赤ん坊を乗せた若夫婦なども参加して、その小さいお兄ちゃんが俺の目の前の田圃の中で泥んこになってはしゃぎ回るものだから、せっかくコロで筋引きした苗の植付けラインがグチャグチャに分からなくなってしまった。

 田植えが終わった後は近くの銭湯に行って汗を流し、いよいよ「割烹彦三楼」での宴会?と思いきや、その前に「OB会総会」なるものがあって、今後1年間の行事の確認などがあり、「さて、いよいよ・・・」と思いきや、更にその後に、長岡で古美術店を経営している木内辰夫氏と陶芸家の今千春氏の二人揃って掛け合いで話す酒器に関する薀蓄の講演(こういうトークショーのような講演は初めて経験した)があったりして、全く焦らされることこの上なかった。

 待望の宴会が始まり、素晴らしい銘酒の他に朝日蔵の木曽杜氏の実家からお手製の長岡名物「醤油のおこわ飯」の差し入れがあった。美味しかった!
 そして宴会のアトラクションとして新潟在住の会員S氏が舞台に上がり、確か15年間、富山八尾に通い続けて習得したという「おわら風の盆」の鼓弓と舞いが披露された。舞台の奥は大きなガラスの窓で、まだ日没前の外の景色が映っていたが、おやじ山のある東山があたかも舞台のバックを飾る幕絵のように美しく連なって見えていた。
 
 宴会の帰りは、みんなと一緒に送迎のマイクロバスに乗って長岡駅に向った。
 バスは信濃川の鉄橋を越え暗がりの田舎道を走っていたが、何となく見覚えのある風景に目を凝らすと、何と信越線の線路の向こうに実家がある。咄嗟に「あっ停めてくださ〜い!」と大声を上げてバスから降ろしてもらったが、バスのみんなからは拍手で見送られてしまった。
 
 
2010年5月14日(金)雨、日中の気温7℃
おやじ山の春2010(氷雨の黄土と水穴)

 2日ほど夏のような暑い日があったかと思うと、ここ3日間は一転して西風と冷たい雨の冬日となった。昔の温和な気候は一体どこに行ってしまったのだろうか?今の人間社会の目まぐるしい変化が、そっくりそのまま地球の荒々しい気象変動に投影されているようで、何やら身震いする思いである。

 今日は山菜採りに山に入るつもりで、寒くて寝袋を這い出るのが辛かったが4時に起きて身支度をした。外は冷たい雨である。そして5時過ぎにはおやじ小屋まで行き、そこから下の谷川を越えて斜面を攀じて、三ノ峠山へ登る赤道登山道に出た。この道を頂上直下まで登って、左斜面の森の中を下ると「黄土」である。

 今年最初に入る山菜山の「黄土」だが、期待に反して(いや、何となく不安を感じていた)ウドもワラビも株が小さく、コゴミ畑も荒れたままでがっかりしてしまった。入山が困難だったここ「黄土」も、赤道登山道が整備されたせいか、昨年はボロボロに荒れて全く無残な姿になってしまった。昔、まだガキの頃、おやじやお袋に連れられて麓から黄土沢を喘ぎ登ってここまで辿り着いたが、豊穣だった当時の黄土とは大分変質してしまったようである。
 剥き出しの斜面に落ちていたパンの空袋と缶ビールの空き缶を拾い(黄土にゴミが落ちていたことなど今まで無かったことなのに!)、何やら悄然とした思いで遥か長岡の街が見える斜面に座って朝食のおにぎりを食べた。冷たい雨に打たれながら濡れたおにぎりを頬張っていると、悔し涙が出てきそうである。

 再び赤道登山道に戻り、三ノ峠山の頂上を越えて2つ目の山菜場所「水穴」に入った。ここから見える山の谷筋にはまだ大分雪が残っていて、水穴のコゴミ畑には一番出のワラビがポツポツと顔を出していた。
 合羽を透して雨でビッショリ身体の中も濡れて、寒くて仕方がない。それでもブルブル震えながらワラビとゼンマイ採りの後でウドの何本かと木の芽(ミツバアケビの新芽のこと)や蕗を摘んでキャンプ場に帰った。

2010年5月15日(土)晴れ
おやじ山の春2010(おやじ山の恵み/様々な来訪者)
 ようやく晴れて、今日の「出勤」は自然観察林の谷川沿いの遊歩道をゆっくり散歩するように歩いておやじ小屋まで登って行った。

 小屋に着いて囲炉裏で火を焚いていると、地元のOさん達3人が山菜採りにやって来た。Oさんは既に向かいの山菜山に立てた「入山自粛のお願い」看板は見ていた様で、挨拶がてらの立ち話しをしたあとで、お二人を連れて別の山に入っていった。毎年この山での山菜採りを楽しみにしているOさんには気の毒だったが、今年一年間の山休みを理解してくれたようで有難かった。
 そして今日は、向かいの山菜山がどんな様子になっているか見回ってみた。この時期に人が入っていない山は生い茂った草木でさすが原始的な趣になっていたが、ウドもワラビも手付かずのままに瑞々しく生えて嬉しい限りだった。


 9時にはおやじ小屋からキャンプ場に戻り、昨日採った山菜のいくらかを箱詰めして友人に宅配便で送った。それからゼンマイを茹でて天日に干したり、ワラビを塩漬けしたり、灰汁だししたワラビで、ニンジン、コンニャク、マイタケ、油揚げなどと一緒に炊き込みご飯を作ってみたりした。

 夕方4時頃だっただろうか?懐かしいIさんが両手一杯の差し入れ品を下げてキャンプ場の坂道を登って来た。ここのキャンプ場の管理人をやっていて昨年の秋定年で辞められた方で、毎年毎年本当に親切にしていただいた。
「オメさん方が来なさってると思ってねえ〜」といつもの満面の笑みで、持参した見事な竹の子やお酒やゼンマイの煮付け、セリなどをキャンプ場のテーブルの上に置いたが、カミさんが母親の葬儀のあとまだ実家に留まっていることを伝えると、「あれ、まあ〜!」と俄かに顔を曇らせて、何度も何度も丁寧に頭を下げて帰って行かれた。

 夜10時過ぎ、神奈川からNさんとSさんがキャンプ場に着いた。そしてNさん達のテント設営は明日にして、早速俺のテントに招き入れて先ずは乾杯である。嬉しい夜中の宴会が始まった。
2010年5月16日(日)晴れ
おやじ山の春2010(「森林インストラクターと新緑を歩こう」に参加)
 素晴らしい五月晴れになった。
 今日は地元長岡で森林インストラクターとして熱心に活動しておられるMさん主催の「森林インストラクターと新緑を歩こう」というイベントがある。 市政だよりを通じて長岡市民に参加を呼びかけ、東山ファミリーランドの自然観察林から赤道コースの登山道を登って三ノ峠山まで歩き、尾根伝いにおやじ山のすぐ近くのブナ平までぐるりと一巡するという自然観察会である。

 主催者のMさんからは予め説明員を要請されていたが、せっかくの機会だからと、昨日着いたばかりのNさんとSさんにも神奈川からの森林インストラクターのメンバーとして参加してもらうことにした。いわゆるNK(新潟&神奈川)連合である。(まあ、こんな大げさに宣言する必要もないけど・・・)
 合わせて姪のボンちゃんが先日「おじさん、今度の日曜日、ゴスペルのお友達と一緒におやじ小屋に遊びに行っていい?」と訊いてきたので、みんな一緒に今日のイベントに誘った。ボンちゃんは趣味でゴスペルソングを歌うサークルに入っていて、先日開かれたコンサートでは姪に頼まれて受付の手伝いをしたが、若い青年達と一緒に切符をもぎったりお客様を案内したりと、なかなか楽しい仕事だった。(これでNKG連合になった!)

 10時に集合場所の広場に行くと、凄い参加者である。準備に汗だくのMさんにNさんとSさんを紹介すると、今日の総勢は36名だという。地元紙の新潟日報の記者まで取材で来ていて、Mさんから3人を紹介されてしまった。ボンちゃんもニコニコと2人の友達と一緒である。

 4班に分かれて俺達のグループは第1班8名で出発した。NさんSさんもグループの後尾について、植物の名前や和名の謂れなどを皆さんに説明していた。
 瞑想の池から赤道コースに出て、三ノ峠の尾根に建つ「友遊小屋」で昼食となった。この日はこの小屋を建てた友遊会の皆さんも小屋に集まっていて、代表のTさんとも親しく話を交わした。

 山歩きには絶好の抜けるような晴天で、木々の新緑も目に染みるようである。
 途中Mさんから促されて私も全員の前で「今年の春山の風景」を解説してみたが、午後3時過ぎには広場に戻って解散となった。

 夜の食事時、下の駐車場脇の広場でテントを張っていた常連のWさんが、案の定俺達の所にやってきた。柏崎からわざわざ焚き火をしにここまで来る人で、「ワタシ、じっと一人で静かに焚き火をしているのが趣味で・・・」と言っている割には、人が宴会などしていると居ても立ってもいられなくなって、焚き火そっちのけでやって来るのである。そしてWさんは惚れ惚れするほど遠慮のない稀有の人物で、一言「どうぞ・・・」と勧めようなら、「はい、いただきます」と朗らかに答えて「グイグイ・パクパク」、まさにNシェフ苦心の料理も一網打尽の様相で、はっと気付いて思わず一升瓶を抱きしめるのである。

 そして今夜は、珍しい月と金星の大接近を目にした。午後8時30分、西の夜空に月齢2.4の切れるような細い三日月と宵の明星・金星とが、まるで昔履いたゴム長の月星印のマークのように明るく瞬いていた。

(料理や月と金星の大接近の写真はNさんから提供いただきました)
 
 
2010年5月17日(月)晴れ
おやじ山の春2010(コナラのワッツァバ3銭5厘)
 昨夜は多分お神酒を鯨飲したはずだが、不思議に朝起きても身体がスッキリしている。よほど楽しい宴会だったからだろう。

 そして今朝の7時過ぎには、Sさん、Nさん、それにWさんも連れ立って4人でおやじ小屋に「出勤」した。何しろ今日一日はSさんとNさんには杉林に入ってもらって、今冬の雪でやられた杉の木を片付けてもらう仕事を頼んであった。
 この杉林は植林してほぼ40年ほどの林齢だが、間伐の遅れが祟って、冬の季節風が吹き付ける北側の一画が毎年かなりの被害が出る。この折れた杉の木をチェーンソーを使って伐倒し玉伐ってもらうのである
 
 「与作1号」「与作2号」などとそれぞれチェーンソー片手にSさんとNさんが杉林に入り、快調にエンジン音が響いてきたのを聞いて、自分は尾根を下って今日から池掘りに挑戦である。
 この場所は、3箇所ほどの湧水を集めた細い谷川が湿地をつくっている所で、以前からビオトープ造りを考えていた。バカ長を履いてズブズブと湿地に入り、汗だくになりながらシャベルでの泥掘りを午前一杯続けた。

 昼の休憩を終えた午後1時半頃だっただろうか?麓の村の藤井さんが腰を曲げて山にやって来た。
「おお、藤井さ〜ん!」と大声で迎えると、「オメさん居なしたねえ〜。わしゃこれから山菜採りだてえ」と笑いながら大きく息をついて地べたに腰をおろした。 それから、いつもの藤井さんの長話しが始まった。
全く86歳とは思えない元気さで、つやつやとしたこの老人の笑顔を「うんうん」と頷きながら見ているだけで幸せな気分になってしまう。

 今日の藤井さんの話は子どもの時のことで、小学校の月謝が50銭、この授業料稼ぎで学校から帰ると焚き木拾いや薪をを作って町まで売りに行ったという。杉の枯れっ葉一束の値段が1銭5厘、楢の木のワッツァバ(薪)が1本3銭5厘、「これを60本も作ってのお、背負って町に売りに行ったこてえ・・・」「・・・!」(まるで二宮金次郎ではないか!)そして「昔の事はよ〜く憶えているがらが、今の事はすぐ忘れるてえ」と大きく口を開けて笑うのである。
 それからこんな事も言った。「家の婆っちゃんは82歳になるがども、やっぱりこの婆っちゃんがいねえと話し相手がのお(無く)なってダメんがいのお〜」

 話の途中でNさんが出してくれたお茶を啜ってから、藤井さんがようやく腰を上げた。そして「ところで、オメさんの名前は何だったかのお〜?」と訊くではないか!「やだなあ、藤井さん。セキ!セキだてえ!」と大声で答えると、「おおおお、おおおお、そらったい(そうだった)のお〜」と呟くように言って山桜の斜面を下って行った。

 SさんとNさんは30cmもある太い杉を10本も倒してくれた。Wさんも玉切った杉を黙々と小屋の脇に積んでくれて、3時に皆で下山した。

 帰ってキッチンテントの中を見ると、昨日の朝 Iさんから頂いた竹の子をきのこ同好会のSさん宅にお裾分けしたが、そのSさんから早速竹の子ご飯とワラビ汁が届いていた。
 そして今夜の夕食はこれらの戴き物にNシェフが腕を振るった特製オムレツとカツオのタタキが加わって、豪華な晩餐会となった。

 さて、昨夜の月星印は今晩どうなっただろうか?と西の夜空を酔眼で望むと、「月・・・・・・星」と大分離れてしまってはいたが、なかなかこれも風情ある月と星だった。
2010年5月18日(火)晴れ
おやじ山の春2010(高台からの風景)
 5時半に起きた。今日はNさん、Sさん達が帰る日で、何となく淋しくなる。
 Nさんが用意してくれた熱い味噌汁と鮭の焼き魚の朝食を済ませてから、3人で折畳み椅子を持って高台に出てコーヒーを呑んだ。

 眼下に広がる田圃には稲の早苗が日一日と緑色を濃くして、キラキラと輝く水田を蓋い始めている。その田圃の中に点在する小さな邑々は実に平和な佇まいを見せて、田圃の遥か向こうの町並みは三条である。そして遠くの地平線には弥彦山が青く煙って見えた。
「いい眺めでしょう?」とSさん達に訊いてみた。
「日本の原風景ですなあ・・・ホッとしますね」SさんとNさんが答えてくれた。

 8時半にキャンプ場下の駐車場で二人の車を見送った。カーブを曲がったところでキャンプ場に戻り、高台に出て下の道を走るスカイブルーの車に向って再び大きく両手を振った。

 それから、今日もおやじ小屋に出勤して終日池堀りをした。
2010年5月21日(金)晴れ
おやじ山の春2010(雪解けの谷)
 今日は4時に起きて、先日新潟の次兄から教えられた谷川沿いのルートで水穴に入ってみた。実はこのルートは、ずっと昔おやじに連れられて山菜採りに通った懐かしのルートで、5年前の中越地震で崩れてからは一度も踏み入れたことはなかった。しかし次兄に聞いてみると、危険な箇所はあるものの、三ノ峠の山越えよりは余程楽だという。

 なる程、しっかりした登山道が途中までついていて、後は山菜採りの踏み跡を辿ると水穴の斜面に着いてしまった。
 ここで籠一杯のワラビを採って一度谷まで下り、ジャブジャブと谷川を遡行して源流部まで辿ってみた。それはやはり、昔おやじと水穴での山菜採りの帰り、谷川沿いを歩いてこの辺りまで来た記憶があったからで、かつて目にした風景を懐かしんでみたかったせいもある。
 谷川沿いには可憐なニリンソウの群落があり、サンカヨウが春の陽に眩しく輝いていた。


 源流部まで来てみると、まだまだ早春の趣である。雪崩れた雪が谷底にぶ厚く積もっていて、今日の陽射しにポタポタと雫を垂らしている。
 手をかざして雪の上の斜面を見ると、小指ほどの太さの立派な蕗が生えている。山蕗は香りが強くてオレの大好物だが、雪崩れが削ったぐずぐずの急斜面で、いささか危ない感じである。案の定、夢中になってカマで蕗を刈っている最中に下まで滑り落ちて、泥だらけになってしまった。

 今夜は、長岡の街でKさん夫婦やFさんとの会食である。3人は明日おやじ山での山菜採りで、今夜はさながらその前夜祭だったが(すっかりご馳走になりました)、Kさんが誘った地元のO君夫婦が来て、途中電話で呼び出したA君が加わり、全く賑やかなミニ同窓会(皆さん高校時代の同級生である)になった。
2010年5月22日(土)晴れ
おやじ山の春2010(Kさん夫婦とFさんの来訪)
 やっぱりこの人等が来る日は決まって、降っていた雨もピタリと止んで陽射しも出て来るから不思議である。Kさん夫婦とFさん達である。19、20日と雨が降り続いていたが、昨日から青空が出、今日は絶好の山菜日和になった。

 例によって午前8時過ぎにキャンプ場下の駐車場にKさん達の乗った車が着いた。昨夜は皆さんにすっかりお世話になったが、今日もKさん、Fさんがご自宅で作ってきた数々の料理やO君お手製のおにぎり(O君は地元でおにぎり屋さんも経営している)などを持ってテントサイトに上がって来た。おまけにKさんは、「はい、これは同級生のSさんからのお土産・・・」と、今も現役で大活躍のマドンナ女史からの高級蜂蜜と紹興酒の差し入れである。こんなのを舐めながら山仕事に精出したら、モリモリと一気にはかがいきそうである。

 早速みんなでおやじ小屋に向かったが、3、4日前から鳴き始めたホトトギスが今日はひときわ賑やかに囀って、いつしか初夏の季節に入ったようである。
 山道の途中、高校の大先輩のEさんにバッタリお会いした。同じ大先輩としてKさんとFさんにも紹介したが、久々にお会いしたEさんのお元気そうな姿に安心した。

 Kさん夫婦が毎年楽しみにしている向かいの山菜山には今年は入れない、と予め伝えておいたので、今日の山菜場所はおやじ小屋から尾根を下った谷向こうの平地である。幸い雨上がりで柔らかそうに伸びたワラビがニョキニョキと萌え出ていて、Fさんにとっては今まで一番の収穫になったようだ。
 それからKさんとFさんは勝手知った杉林の外れのカヤ場に行って木の芽(ミツバアケビの新芽)を採り、午前11時にはキャンプ場に戻ってきた。

 手料理の数々がテーブルの上に並んで、今日の収穫を祝いながらの賑やかな昼食になった。爽やかな初夏の風が高台の方からキッチンテントの中に吹き込んで、何とも気持ちのよい昼時だった。
 
 Kさん達が帰り、何となく気持ちが沈んでいた夕方、信州からOさんがやって来た。そしてありがたい事にキャンプ生活で重宝する(お酒ではなく)ホワイトガソリンと乾電池をどっさり置いていき、これから長岡に嫁いだ娘さんの家に行って初孫に会うのだとトンボ返りで帰って行った。

 夜一人酒を呑む。静かなり・・・
 
2010年5月26日(水)雨のち曇り
おやじ山の春2010(はっぱきもぐりと木酢液)
 突然テントの真上で「ゴロスケ・ホッホ!」とフクロウが鳴いた。時計を見ると明け方の3時55分である。激しい雨音がテントを叩いて、Oさんとの約束の「水穴」行きは中止である。それに今日は朝5時からこのキャンプ場の害虫駆除の薬剤散布と知らされていたが、当然この雨では中止である。
 それにしても晴れ女のKさんとFさんが帰った途端に雨になり、それからずっと今日まで降り続きである。

 4時にはテントを這い出てキッチンテントの中でぼんやり雨の降るのを眺めていたが、ハッと気付いて傘を差して瞑想の池までモリアオガエルの産卵を確認に行った。昨年の初産卵は5月13日だったから、既に2週間近く遅れていることになる。
 例年産みつけられる池縁のトキノキには今日も卵塊が見当たらず、激しく雨足の立つ池の中でカルガモの夫婦がじっと静に浮かんでいるだけだった。

 「アメシロ(アメリカシロヒトリのこと)の駆除は31日に延期します」と管理人さんがテントまで告げに来てくれて、今日はOさんと二人で大湯温泉に行く事にした。

 そして「ホテル湯元」の大風呂にゆったりと浸かってから、近くの食堂「いろり じねん」で昼食を摂った。ざるそばと野草の天ぷらを注文したが、しばらくして卓上に並んだ料理は次ぎのようなものである。
 勿論蕎麦、そして蕎麦の実のから揚げ、オオバキスミレ、カタクリの花などを和えた野草サラダ、野草の天ぷらは、タラの芽、コシアブラ、カタクリの花、オオバキスミレ、ユキツバキの花、三つ葉ツツジと山ツツジの花、菜の花、ウワミズザクラの花穂など、それぞれの花色美しくてカリッと揚げられたまさに芸術品である。それからコゴミのクルミ和えがあり、サービスに取り放題の煮菜が出て赤米の甘酒が出た。これで1,000円程である。

 昼を過ぎた時間で他に客はなく、食事が終わってからいつものようにご主人が顔を出した。「今年はどうした訳かフキノトウとユキツバキの花が少なくて困りました」と言う。エッと思ったが、確かに言われてみれば昨年のユキツバキは珍しいほどの花付きで、今年は一転して少なかったように思う。
 それからご主人は、「そろそろハッパキモグリが出てくる時期で、これから悩まされます」と顔を曇らせて言った。「ハッパキモグリ?はて、なんだろう・・・?」 ご主人は「エッ、ご存知でない」と笑いながら、「小さなブト(又はブヨ)の事です」、「ハッパキ」は農家の女性などが履く「もんぺ」で「ハッパキモグリ」でもんぺを履いていても潜っていって刺すブトの意だと解説してくれた。
 さらにこの虫除けに一番効くのは木酢液で、500倍に薄めて霧吹きで身体にスプレーすれば効果抜群だと教えてくれた。
 全く、知らない知恵が世の中にはいっぱいあるもので、早速試してみようと思っている。
 そして「いろり じねん」のご夫婦は今日も玄関先で両膝をつき、深くお辞儀をしてさほど売り上げには貢献しなかった客人を丁寧に見送ってくれるのである。
 
2010年5月28日(金)雨
おやじ山の春2010(モリアオガエルの初産卵)

 日曜日の夜からずっと雨が降り続いている。昨日は日中でも気温が10℃までしか上がらず、おやじ小屋の囲炉裏で火を焚いて過ごしたが、湿った焚き木がモウモウと煙ってすっかり燻されてしまった。
 しかしこんな天気でも野鳥達にとっては関係ないと見えて、ホトホギスやクロツグミが朗らかな大声で頻りに囀っている。
 ヤマツツジも今が満開。雨降りで薄暗くなった山の林で朱色も鮮やかに咲き誇っている。今年のヤマツツジは例年になく花色が濃く、いささか狂い咲きの感さえある。

 そして昨日はおやじ池で、今日は瞑想の池でモリアオガエルが初産卵を迎えた。昨年よりちょうど半月(15日)遅れである。モリアオガエルはこんな異常気象でもう卵も産まなくなったのでは?と心配していたが、これで一安心である。

 

2010年5月29日(土)雨〜曇り
おやじ山の春2010(谷川の導水構想)
 朝目を覚ますと、生憎の雨である。午前5時、今日帰る予定のOさんのテントに別れの言葉をかけ、水穴に向った。先行車が水穴に入る谷の入口の道路脇に停めてあって、長岡ナンバーではないので「随分遠くからこんなに早く・・・」と感心してしまう。

 水穴に着いて唖然としてしまった。毎年質の良いワラビが生えるコゴミ畑が無惨に薙ぎ倒されて、まるで熊が暴れまわったような有様である。こんな山菜の採り方をしていたらまたたく間に場荒れしてワラビも生えなくなってしまう。しかしさすが山菜の宝庫水穴で、取り残しのワラビがポツポツと生えてはいたが、こんな場所に佇んでいるのさえ何故か恥ずかしくなって早々に引揚げてきた。

 キャンプ場に戻るとOさんのテントは既に引き払われて、帰ったようである。
 午前中に今日の収穫物を仕分けし、ワラビと蕗、それに木の芽も少し摘んだので、これらを持ってSさん宅に届けに行った。
 ご自宅に伺うと待ち構えていたSさんがあなたに見せたいものがあるという。そして庭から裏手に回って倉庫代わりに使っている部屋の戸を開けると、1〜2m程のゴムホースが山と積んである。そしてSさんがニッコリ笑って、「これを長〜く繋いで谷川の水をおやじ小屋まで引いてみません?」と言うではないか!数年前同じことを考えてインターネットで調べたホースのメーカーに問合せたことがあったが、とても個人客など相手にしてもらえず頓挫したままになっていた。まさに夢にまでみた構想である。

 Sさんが言うには、定年後に知り合いの手伝いで業務用の空調を設置する仕事をしているが、そこで余ったホースを今までは産廃業者にお金を払って処分していた。先日ひょっと気付いて、これをあなたの山に持って行けば谷川の水が引けると・・・
 1も2もなくSさんの提案に乗った。ホースのみならずジョイントする銅管もタダでいいという。おまけに「谷川に設置する取水口もいろいろ考えて作ってみましょう」と言って下さって、思わずSさんの両手をハッシと握り締めたいほどの有難さだった。

 午後は蓬平温泉の日帰り入浴に行った。いつも同じ「麻生の湯」ではとちょっと足を延ばしたのだが、なかなかいい風呂だった。

 そして風呂から帰った夕方、森林インストラクターのMさんが、先日開催した「森林インストラクターと新緑を歩こう」のイベントのお礼にわざわざキャンプ場まで足を運んできた。全くSさんにせよMさんにせよ、長岡の人達って何でこんなに親切なんだろう!

 夜、下の広場で、東京目黒からやってきたというボーイスカウトのリーダー連中だという10人ほどの若者がキャンプファイアーをしていた。聞けば各地のキャンプ場を回ってリサーチをして評価しているのだという。それならと大いにこのキャンプ場の宣伝をしたが、誰も熱心に聞いてくれてる様子はなく、すごすごと自分のテントに引揚げた。
2010年5月30日(日)薄曇
おやじ山の春2010(Nさんとタヌキ)

 今日は森林インストラクターMさんの呼びかけで集まった7名のボランティアの人達と一緒に、ここ3年に渡って砂防工事跡にMさん達が植樹した2区画の草刈りをした。さらに昨年植樹した区画は今冬の大雪で大分痛めつけられていて、ヤマボウシやガマズミの苗の植替えも行った。
 正午前には作業を終えて解散し、午後はおやじ山に出勤である。

 何時頃だっただろうか?一人の妙齢の婦人がひょっこり山に入ってきた。「あれっ、珍しいことも・・・」と話を聞いてみると、先日の「新緑を歩こう」のイベントに参加をされたNさんという方で、その時に聞いた「おやじ小屋」を是非一度訪ねてみたかった、と言うのである。
「そうですかあ!」と思わず欣喜雀躍して、早速小屋の中を見せたり山の中を案内したが、もっと仙人らしく鷹揚と対応した方が良かったかと、後で反省した。

 午後4時に山を下りてきたが、自然観察林の入口広場の草刈り跡で、珍しやタヌキがミミズをほじって食べている。夜行性のタヌキがこんな明るい時間に姿を現すことなどめったに無いが、そのすぐ傍で先ほどのNさんがデジカメを構えてタヌキを追っている。Nさん、まだこんな所に居たのである。
 俺もデジカメでタヌキを写したくて、今度は鷹揚と近づいて行ったら、ツツッと溝の土管に逃げ込んでしまった。「あぁ・・・」とNさんの恨めしそうな顔が忘れられない。

 西山に沈む真っ赤な夕陽を見ながら夕食。夕焼け空を見るのは久しぶりである。

2010年5月31日(月)晴れ
おやじ山の春2010(導水ルートのテープ引き)
 夜中に起きて満月を見る。月を見るのは、全く久しぶりである。

 ラジオを点けっ放しのままウトウトと明るくなって、午前4時台のNHKラジオがこんな事を言っている。
<今日の花は「タニウツギ」。花言葉は「豊麗」(ほうれい)です> それから、今日の一句は、

<こだまして山ほととぎす ほしいまま> (杉田久女)

 今のおやじ山は,全くこの通りである。

 今日はキャンプ場の薬剤散布日なので、早々と起きて鋸山の登山口まで車で散歩した。気持ち良い晴天の早朝で、薄墨色から蒼緑へと次第に明けてゆく東山や風谷山の風景も良かった。

 昼前にはおやじ小屋に出勤して、谷川からおやじ小屋までの導水ルートの測定をした。候補は2ルートで、最初は昔の用水路跡を辿るコースを黄色のビニールテープを引きながら小屋を起点に谷川の取水地まで歩いた。途中崖崩れの危険極まりない場所があって、とてもこのルートで水道管など張れそうもない。
 次にビニールテープを引いたのは谷川沿いを遡行するコースで、いわゆる山菜採りの山道である。テープを張り終わってから90pのドラム缶風呂の蓋板に巻き取って測ってみると150mあった。このルートでSさんにゴム管をお願いすることにした。

 ルート探索で体力を消耗したので、今日はもう山を下りようと小屋を閉めて帰りかけたが、山道の向こうから長岡市のIさんとSさんが歩いて来た。見晴らし広場に車が置いてあったので、訪ねて来たという。「どうぞ、どうぞ」とおやじ小屋に引き返して、お二人を小屋の中に案内しお茶をお出しした。IさんとSさんは勿論おやじ小屋訪問は初めてで、囲炉裏端に座って珍しそうにグルグルと首を回していた。
 それからおやじ池や現在掘っている下のビオトープ池などを案内してから3人揃って見晴らし広場まで帰った。途中の山道で、痛々しく目につくナラ枯れ病の木や茶色く葉枯れたマルバマンサクの事などを話し合ったが、マツクイムシ被害の後の実に深刻な問題である。

 キャンプ場に帰ってから洗濯物を抱えて町のコインランドリーに行った。今日のような暑さになると洗濯物は溜まる一方である。

 東山の峰には大きな白い入道雲が出て、西山には昨日同様の赤い夕陽が眩しく輝いていた。


(「5月日記」終わり)