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【最新の更新日は8月8日】<5月27日、28日、29日 日記>
やっぱり前の思想を変えず、順次「下に追加」します。

2009年5月1日(金)晴れ
おやじ山の春2009(水穴強行軍)
 朝7時に新潟から次兄がやって来て、今日はOさん、カミさんも一緒に「水穴」で山菜採りである。水穴は奥山の厳しい場所だが、まさに山菜の宝庫で、次兄の後について行ったら大収穫間違いなしである。

 先ずおやじ小屋から尾根に出て三ノ峠山の頂上まで登る。ここまでは昨年「友遊会」の人たちが登山道を整備してくれたので随分歩き易くなった。そして三ノ峠の頂上で小休止した。次兄は「昨年だったか一昨年だったかの春、ここでギフチョウがいっぱい集まって飛んでたなあ〜。あんげにいっぱい見たのは俺は初めてだ」と言った。今日も2、3頭がヒラヒラ飛んでたが、ギフチョウにとってはこの頂上広場が格好の溜り場になっているのかも知れない。
 頂上からは萱峠に続く尾根道を歩いて、いよいよ途中からブッシュを分けて痩せ尾根を下る。先ずは「K人(次兄の名前)の沢」と呼んでいる急斜面でゼンマイとウド掘り。それから本命の水穴の広大なコゴミ畑を下って谷川に下りた。

 まさに春の小川である。雪解けの手が切れるような清流が、春の陽ざしにきらきらと輝いてさらさら音をたてて流れている。
 この谷川を遡行して滝の下に着いた。「ここが水穴の終点だね」と次兄がOさんとカミさんに説明した。もちろん二人ともこんな奥まで来たのは初めてだが、自分にとっては懐かしい場所である。それは子どもの頃、よくおやじに連れられてここまで山菜採りに来たからである。小さいガキの私を連れて、よくぞこんな奥地まで来たものだと、今になって全く感心してしまう。

 この滝の脇を上り、太いゼンマイがいっぱい生えている急斜面を喘ぎ登って尾根の登山道に出た。そして再び三ノ峠山の頂上を越え、友遊小屋に立ち寄ってからキャンプ場に戻った。

 もの凄い強行軍だったが、収穫はゼンマイ、ウド、木の芽、フキ、ウルイなどでリュックがいっぱいになった。





2009年5月2日(土)晴れ
おやじ山の春2009(孫来る)

 今日は息子夫婦が孫を連れて神奈川からやってくる日である。あまり嬉しくて随分早く目が覚めてしまった。それで何をするという訳でもないので、自然観察林の谷川沿いを散歩して、ついにはおやじ小屋まで歩いて行ってしまった。5時前の早い時間だったが、驚くことに栖吉町の山菜採りがもう小屋の下の沢でミズを採っていた。そしてもう一つ、自然観察林内に新しい看板がついていた。 実は以前、長岡市役所のSさんにあるお願いをしていて、早速こうして対策を講じて下さったようで嬉しかった。

 午前中、息子達の車がキャンプ場下の駐車場に着いた。野球帽を被った孫の承太郎が、大きな荷物を引き摺るように持ってキャンプ場の階段を上がって来た。「夜中じゅう走って眠いだろう。ちょっとテントに入って一眠りしたら?」と息子達に言っても、「うん・・・」と生返事をするだけで眠る気配もない。承太郎は早速木槌を持ってテントのペグをトントンと打ってみたり、七輪を見て息子と一緒に火熾しをしたりと、既に興奮気味である。
 それではと、コンビニで昼食用のおにぎりを買って、皆を八方台の「いこいの森」に連れて行った。八方台から眼下に広がる越後平野を望み、振り返って白く雪を被った守門岳や福島県境の山々を眺めたりした。
  
 キャンプ場に帰ってしばらくしてから、高校時代の同級生のA君がテントサイトに訪ねて来た。「スキーロッジの事務所で聞いたら、ここだって教えてくれたんで」と、いっぱいの差し入れ品を渡しながら言った。そしてA君は、スポーツジム通いなどの近況を語った後で、自分は地元の酒造会社が主催している米作りと酒造りの年間体験のグループに入っていて、これが実に楽しい会なのだと言った。(聞けば、作業体験の後には必ず「懇親会(反省会?)」があって、何しろ酒蔵だから・・・もうおいしい酒が・・・放題!というではないか!)そしてA君は「お前にこの会は合ってる(何が?)。もう、ピッタリ!」と断言するように入会を勧めて帰って行った。

 夜は、やっぱり飲み過ぎてしまった。あまり承太郎が注いでくれるものだから・・・
 

2009年5月3日(日)薄曇り
おやじ山の春2009(七輪とサンマ)

 5時半、二日酔の頭を抱えてテントを這い出た。外の空気はヒンヤリと冷たく、脳に酸素を送るつもりで大きく息を吸ったり吐いたりして血の廻りを良くする。
 
今日は息子達を連れて、新装なったおやじ小屋を見せに行く予定である。

 自然観察林の谷川沿いの遊歩道から見晴らし広場に登り、そこからおやじ小屋までの山道をワラビを摘みながら歩いた。一年ぶりの山菜採りで夢中になってワラビを摘んでいる息子を見て、早速孫の承太郎も見よう見真似のワラビ採りである。5歳になったばかりで今までワラビ採りなど一度もやったことが無いのに、感心なことに間違わずに次々と見つけては摘んでいく。
 昆虫好きの息子の嫁は捕虫網を持ってもっぱら虫探しだったが、「ギフチョウだけは採っちゃあダメだよ」とクギを差しておいた。承太郎はこっちにも興味が行って、今度は母親から網を奪ってヒラヒラ舞っているギフチョウを追いかけている。そして「あっ!その蝶はダメ〜!」と母親に叱られて泣き出す始末である。まだ意味も分からずちょっと可哀想だったが、仕方がない。

 夕食は、息子達が家族総出で(と言っても3人だけだが)七輪でサンマを焼いてくれた。テント場に七輪があったので息子夫婦は咄嗟に「これでサンマを焼きたい!」と、スーパーに車を走らせて冷凍パックを買って来た。
 見ていると、ここでも承太郎があちこち手を出しては「あっ、ダメダメ!」と母親に叱られて「わ〜っ!」と泣き出し、全く賑やかな一日だった。

 





2009年5月4日(月)曇り
おやじ山の春2009(Fさん)

 息子家族は、今日は寺泊の魚市場に出かけた。七輪の網焼きが気に入って、海の幸を仕入れて来ると言う。
 午前中は、Oさんと一緒におやじ山に行き、作業小屋にしつらえてあるドラム缶風呂の焚口の穴掘りを手伝ってもらった。カミさんも昼頃やってきて、Oさんと一緒に下の沢のどん詰まりの山菜場に出掛けて行った。

 そして二人がキャンプ場に帰ってからも一人で小屋の土間作りをやっていたが、午後4時過ぎに小屋の戸を閉めて帰ろうとすると、麓の村のFさんがおやじ山の入口の方からやって来た。Fさんは80歳を過ぎて、もう米寿だとのうわさもある。「今から山に入るがかね?」
とビックリして聞くと、そうだと頷いて、午前中に山で山菜採りをやってたが、一つの袋が一杯になってどこかの斜面に置いていて、これから見つけて取りに行くのだと言う。「それで袋が分からんなってしもて、午前にいっぺん山から下りたがてえ。それから昼飯食ってから風呂(温泉?)に行って、風呂から上がってからカラオケを歌ったこってえ。それで今の時間になったがあてえ〜」とアハハと口を開けて笑っている。もうじき暗くなって危ないから山に入るのは止めるように言ったが、こっちが一言いうたびに、そのニコニコしながらの返事(弁明?)が実に長くて、聞いてたらそれだけで日が暮れてしまうのではないかと気が気でなかった。そして結局Fさんは、「大丈夫らてえ。暗うなったらすぐ山から下りるすけえ」と小屋の上の峰を登って行ってしまった。

 夕食はまさに魚介類づくしのメニューになった。旬のホタルイカの刺身、ホタテ貝の網焼き、イカの鉄砲焼き、etc・・・

2009年5月5日(火)気持ちよい晴れ
おやじ山の春2009(息子達帰る)

 息子は、朝3時にテントを出て海釣りに行った。昨日寺泊まで行って日本海を見て、海釣りをやりたくなったらしい。確か細い渓流竿しか車に積んでいなかった筈だが、それでも小さなメバルを3匹バケツに入れて、朝食の時間前には帰って来た。
 9時過ぎ、自宅に帰って行くOさんを駐車場で見送ってから、みんなで手作りのおにぎりを持っておやじ小屋に行った。そしてカミさんは息子と嫁のA子を連れて山菜山へ入り、自分は小屋の周りで山仕事兼承太郎の遊び相手である。

 それにしても、何と好奇心旺盛で人真似が好きな子どもか。私がヘルメットを被れば自分もヘルメットを被りたいと言い、いつの間にか私を真似てタオルを首に掛けていたので笑ってしまったが、そのうち私が履いてる地下足袋も履きたいと言い出して、結局脱がせられてしまった。囲炉裏の焚き火を手伝わされたり、承太郎に附いておやじ小屋に入ったり出たりと、まあ忙しい事この上なかった。
 息子らは、ウドや自分達の大好物のミズなどをどっさり採って山菜山から下りて来た。そしてキャンプ場に戻っていよいよ息子達の帰り支度である。

 例によって息子達との最後の夕食は、宮内の回転寿司屋である。そして夜9時、店の駐車場で別れの挨拶を交わした。
 息子の車に乗り込んだ承太郎は、もう眠くて半分目を閉じ、指を握って振っても反応も何もない。そしてそのまま息子達の車が去って行った。
 カミさんと車を見送りながら、「行ってしまいましたねえ」「うん・・・」。「承太郎は、最後はもう眠くて・・・」「うん・・・」。「高速道路の小千谷インターの入口まで車で追いかけましょうか!」「えっ!今から?」。「飛ばせば、追いつきますよ。これからキャンプ場に帰っても何もやること無いし」とカミさんが小走りに運転席に乗り込んだ。
 私は大分お神酒を飲んでて、神経がかなり麻痺してて良かった!もし素面だったら、カミさんのこんな暴走運転に肝を冷やしたに違いない。今食った寿司をゲロで吐き出していたかも知れない。
 それで何と小千谷インターの入口に先回りして、再度息子達を見送ったのである。インターの入口に立って待ち構えている私達を見て、息子は「え〜、マジで〜?」、嫁のA子は「何!何!なに!!・・・」
 







2009年5月6日(水)薄曇り
おやじ山の春2009(おやじ山花ごよみ-そのV)

 ゆっくり7時過ぎに起きて間もなく、息子からの電話が入った。無事自宅に着いた報告に再度お礼の言葉を添えて、やはり声は眠たそうである。

 テントのターフに頻りにコナラの花穂が落ちている。5月に入って他の木々より出遅れていたコナラの若葉が見る見る展開して、これで全山緑になった。テント場の高台に出るとミヤマガマズミの花がちょうど満開の時期を迎えている。今年は花付きがよく、秋の赤い果実の収穫が楽しみである。ガマズミの実を焼酎付けにすると、ピンク色の美しい果実酒ができる。
 紫色のユキグニミツバツツジの花が数日前から枯れ出して、代わってオレンジ色のヤマツツジがこの時期の里山の花の主役となった。しかしマルバアオダモの枝いっぱいに付けた薄緑の花や、ヤマナシの白い花も満開で、地味ではあるがしっかりとその存在感を示している。
 そしていよいよタニウツギが咲き出した。私の観察では5月3日が開花日だった。日本海要素のこの花木は越後では実にポピュラーで、新潟県内だけで50以上の方言名が付けられているという。蕾がマッチに似ているので「マッチバナ」、田植えの時期を知らせるので「タウエボッチ」「サオトメバナ」、更には「ダンジロバナ」、「シリノゴイッパ」などと名前を挙げ始めたらキリが無い。そして私にとっては、この花が咲けばいよいよ山菜の王者、大好物のワラビの出番である。



 午前中から風呂に入りに行く事など珍しいのだが、近くの温泉、麻生の湯に浸かりに行った。そして風呂から上がってこれから山仕事をする気にもならず、NHK大河ドラマ「天地人」の舞台になっている与板町に行ってみることにした。本願寺新潟別院の境内の中に建つ「与板歴史民族資料館」が「天地人」にあやかって<兼続お船ミュージアム>の看板が掲げられていて、駐車場は県外車でいっぱいだった。

 夕方、キャンプ場に帰ると、下の広場に今朝まであった何張りかの大型テントは撤収されて、代わりにバイクで埼玉からツーリングに来たという5人グループの小型テントが張られていた。
 しかし、夜のテント場はひっそりと静まり返って、連休最後のちょっと寂しい夜となった。

2009年5月7日(木)薄曇り
おやじ山の春2009(三ノ峠山)

 カミさんは一人で黄土に山菜採りに出掛けてしまった。それで息子達の荷物を入れていた小型テントを片付けてからおやじ小屋に行き、そこから尾根伝いに三ノ峠山まで登った。
 一応テゴを肩に掛けて行ったが、出始めのワラビは一握りも採れなかった。山菜採りで山歩きをした訳でもないので、またのんびりおやじ小屋まで戻って来た。
 テントから缶ビールを1本持って来ていたので、小屋に入って飲んだ。旨かったなあ〜。谷川の方から頻りにオオルリの澄んだ鳴き声が聞こえて、かえって山の静けさが際立って感じられた。

 テントに帰ると、ワラビが山と積んである。全く、恐れ入りやんした・・・
 



2009年5月8日(金)曇り
おやじ山の春2009(満月とトランペット)

 午前2時半過ぎ、トイレに起きてテントを出た。「随分明るい夜だなあ〜」と空を見上げると濃い黄色(殆どオレンジ色に近い)の満月である。そのままテントに戻るのが惜しくて高台に出た。眼下の水が張られた田んぼが、月明かりに鈍く銀色に光っていた。そしてそこから湧き上がるようなカエルの合唱が、月夜の空を響き渡って来る。
 テントに戻って枕元のラジオを点けると「ラジオ深夜便ロマンチック・コンサート」が始まっていた。1960年代に活躍したアメリカの名トランペッター<ハーブ・アルパート>特集である。まるで咽び泣くようなトランペットの音色と、遠くの田んぼから聞こえてくるカエルの合唱と、やっぱりここは枕元にバーボンかスコッチの少し度の強いウイスキーがあればと、悔やんだ深夜だった。

 今日は同級生だったA君がお酒と餅の差し入れを持ってテント場に訪ねてきてくれた。そしてカミさんも一緒におやじ小屋に行って、カミさんは早速山菜山の下見、A君と私は小屋の囲炉裏に火を熾して餅を焼いて食いながらA君持参の酒を飲んで過ごした。

 夕方、キャンプ場に戻ると会津から来たという家族がテントを張っている最中である。まだ就学前の幼い二人の兄妹が元気にその周りを走り回っていた。

2009年5月9日(土)晴れ
おやじ山の春2009(水穴)
 午前4時起き、そして5時半には山菜の宝庫「水穴」に入った。何と、既に二人連れの夫婦だろうか?コゴメ畑に入ってワラビを採っている。こちらもカミさんと一緒だが、どちらか一方が山菜狂いだと(俺達は言わずと知れたことだけど)こんな早朝からの夫婦での気違い沙汰となる。
 それでもここ水穴は広大な斜面で、同時に何組入ろうと山菜が採り尽されて無くなるなどということは、今まで一度もない。それだけ豊穣で恵み多い山菜場なのである。
 先の二人連れを目で追いながら、少し外れた箇所で採ったり、やはり同じ跡の取り残しを採ったりして山菜リュックが一杯になった。そして11時には下山してキャンプ場に戻った。

 夜は町に下りて、伊豆から山菜採りにやって来たKさん夫婦、それに同じ同級生のFさんらとの楽しい夕食のひと時を過ごした。今日は気温がぐんぐん上がって午前の水穴でたっぷり汗をかき、午後は麻生の湯で汗を流して身体の水分を絞り切ったものだから、越後の銘酒が回ること回ること・・・
2009年5月10日(日)晴れ、夏日となる
おやじ山の春2009(友おやじ山に来る)

 今日は日中の気温が25度を超える夏日となった。いつもこの人達が来ると不思議に天気が良くなるが、それにしても5月のこの時期にしてはちょっと異常である。
 午前8時過ぎにKさん夫婦とFさんがテント場にやって来た。皆で早速おやじ山に
向ったが、途中の作業道路脇でカミさんが「ちょっと、ここで・・・」と自分で目星をつけておいたワラビの場所を皆に案内している。「こんな道脇で・・・」と驚いてしまったが、カミさんの熱中ぶり(執念?)にも呆れてしまった。
 おやじ小屋の前のデッキに荷物を置いて、早速向いの山菜山に入った。このところ何日も雨が降らず地面がカラカラに乾いている。おまけに連休中に可なりの人達が山に入り、踏み荒らされたままの斜面が雨で修復されず、ちょっと無残な状態だった。そして、期待した収穫物も殆ど無かった。
 一度小屋に戻って休憩し、今度はカミさんがKさん達を連れて尾根を下って谷向こうに渡った。カミさんのとっておきの場所らしかったが、私はこんな所には行ったことがなく、一人で小屋に留まっていた。
 しばらくして皆が賑やかな声で戻って来た。「まるでワラビ畑だったわ」とFさん。「今回はイマイチと思って少し気落ちしてたけど、最後の場所でウキウキねえ」とKさん。そしてKさんのご主人も待望のウドがそこそこ採れて満足の顔付だった。

 テント場に同級生のA君もやって来てくれた。そして例によってテントサイトにブルーシートを広げて皆で山菜料理パーティーである。同級生4人が集まって高校時代のミニ同窓会のようでもあった。
 午後2時過ぎ、帰宅するKさん達の車を見送ってからA君とまたブルーシートに戻り、高校時代の思い出、そして昔の友人達のことなどを懐かしく語り合いながら時を過ごした。そしてA君も午後4時過ぎに帰って行った。

2009年5月13日(水)雨
おやじ山の春2009(モリアオガエル初産卵)

 昨晩の8時過ぎから待望の雨が降り出した。そして一晩中テントを打つ雨音を横になって聞いていた。嬉しい17日ぶりの雨である。これでカラカラに乾いて荒れてしまった山菜山も、ようやく息を吹き返すはずである。

 午後、雨の晴れ間をぬって「瞑想の池」の様子を見に行った。予想通り、池畔のトチノキの葉にモリアオガエルの卵塊が1つ、2つ付いていて、今年の初産卵を確認した。
 そして黄土沢の縁には白いサワフタギ(別名:ルリミノウシコロシ)の花が咲き始めた。沢に覆いかぶさって蓋をするように茂るので「沢蓋木」。別名のウシコロシは、秋になると果実がルリ色に熟し、堅いこの材を牛の鼻輪用の穴に通して使ったことから「瑠璃実の牛殺し」である。


2009年5月14日(木)曇り〜雨
おやじ山の春2009(黄土へ)
 5時半、朝食そっちのけで「黄土」に入った。何しろ「狂」の字が付くカミさんと一緒なものだから・・・
 黄土の入口に立って下の斜面を見ると、既に山菜採り名人のAさんの姿がある。「Aさ〜ん!」と声を掛けると、「お〜」と振り向いて、「そっちの方にまだ残してあるよ〜」と教えてくれる。私はAさんの言う通りにその場所でワラビを摘んでいたが、何とカミさんときたら堂々先着のAさんの前に出て負けじとばかりに採り出したのである。大した心臓というか何と言うか、俺は恥ずかしくてこの場から逃げ出したくなったなあ〜。Aさんだからまだ良かったものの、他の人だったらと思うと・・・
 9時過ぎ、Aさんと一緒に尾根伝いの山道を長岡の街並みを見ながら下った。

 今日は一日冷たい風が吹いて、日中の気温は15℃止まりだった。しかしキャンプ場のカンアオイの葉に産み付けられたギフチョウの卵は孵って、幼虫は日増しに大きくなり、黄土沢にカワトンボが飛び、そして早くも初夏の花ノアザミが咲き始めた。季節は駆け足で進んでいる。


2009年5月15日(金)晴れ
おやじ山の春2009(守門岳登山)

 夜中は満天の星空となり、北斗七星が煌々と瞬いていた。風も収まり長岡市街の町の灯がキラキラと輝いて見えた。そして今日は新潟の次兄と越後中越地方の名峰守門岳(1,538m)登山である。

 朝起きると放射冷却で震えるほどの寒さだった。
6時30分、次兄がテント場に迎えに来た。そしてここから守門岳の登山口まで車でおよそ1時間強。午前のガスも午後にはすっきりと晴れ上がって、残雪輝く越後の春山を満喫した。
「森のパンセ-その34<守門岳 春景>」をアップしました。美しい守門の風景をご覧下さい。

2009年5月16日(土)晴れ〜曇り
おやじ山の春2009(田植えと銘酒)

 長岡市の南西部に大きな酒蔵がある。朝日山、久保田千寿、万寿、越州などの銘柄で知られる朝日酒造である。この会社が「あさひ日本酒塾」を開塾して9年になる。開塾の目的に「次代を担う人を対象に・・・日本酒知識の普及と日本酒ファンの拡大を図ることを目的に・・・」と書かれてあって、新潟県内のみならず関東各県からぞろぞろと大酒呑みが参加してきている。いずれの参加者も斯道の達人として既に群を抜く力量を持ちながら、<次代を担う>ために遙々遠方より越後の里にやって来るのである。

 この卒塾者が同好の士との縁断ちがたく「千楽の会」というOB会を作っていて、大変真面目な活動をやっている。朝日酒造が提供する田んぼで田植えやヒエ取り(田な草取り)、秋の稲刈りで汗を流し、その合間で蛍鑑賞や紙漉き、長岡まつりの大花火を楽しんだり、そして何よりも<日本酒知識の普及>に向けて朝日酒造提供の美酒を大いに飲む、という研鑽を重ねている。

 今日、この会のメンバーである同級生のA君に誘われて千楽の会に参加させてもらった。新潟、東京、埼玉、群馬各県から参加した総勢42名が朝日酒造提供の谷戸の棚田に集まり、酒米の田植えである。終わって近くの温泉宿「中盛館」へ移動し入浴、そして総会なるものがあり、K会長の再選、朝日酒造M部長の挨拶(今日がたまたま会社創立90周年であること、年間10万表の酒米を使っていることなど)、そして新潟在住の写真家鈴木孝枝女史の講演などがあった。

 総会が終わって、中盛館2階の宴会場へ・・・。ビールなど1本も無く、全て日本酒がズラ〜と・・・。先ず高級銘酒Aを呑み、次いでBを手に取り、それからCを注ぎ、Dが注がれ、(合間に日本海の海鮮料理に急いで箸を付け)、又回って来たAを呑み、追加されたBを・・・(浴び?)・・・そして今夜中盛館で泊る人達に玄関で見送られて、帰りの列車に乗るためJR塚山駅まで夜風に吹かれながら歩いた。
 それにしても、さすがA君は強かったなあ〜。(そしてこれだけ呑んで、二日酔にもならなかったのは不思議である)
 

2009年5月19日(火)晴れ
おやじ山の春2009(野草料理)

 一昨日から昨晩にかけて嵐が吹き荒れた。テントが風で大きくしなう程だった。東京の多摩から一人でやって来たという50才代の男性が、朝の炊事場で、「眠れました?私はもう怖くて一睡もしませんでした」と言った。こんな年配の人が、一人でキャンプに来るのは珍しい事である。

 今朝は風も止んで好天気になった。それで4時に起きて「黄土」と「水穴」の2箇所の山菜場への強行軍を敢行した。黄土のワラビは太くて品質も良かったが、水穴のワラビは少し質が固いようだった。
 
 町に下りて足りなくなったワラビの塩漬け用の桶を買い、そのまま湯之谷温泉郷まで車を走らせて大湯温泉に行った。ここの温泉はプール程の広さの岩風呂があって、昼の時間は殆ど人もいなくて独り占めできる。そして帰りにこの温泉を出て間もなくの一軒の食堂に入った。

 「いろり・じねん」と看板が出ていて<野草料理>と添え書きがある。客は関東あたりからやって来たと思われる夫婦の一組だけで、店内はし〜んと静である。私は普通の蕎麦を頼んだだけだが、なかなか時間がかかって出て来ない。別に急ぐ旅でもなし、窓の外の田んぼをぼんやり眺めたり、山に生えてる木や草花を上手にあしらった床の間の生け花を見たりしていた。
 そしてようやく出てきた料理にビックリしてしまった。黄スミレ、タチツボスミレ、タネツケバナのサラダ、ユキツバキ、ヤマツツジの花と、黄スミレ、ヤマニンジン、タラノメ、コシアブラ、コゴミ、そしてワカサギの天ぷらの盛り合わせ、コゴミの胡麻和えなどの皿が盆に並べられている。たった700円の蕎麦にこれだけの野草料理が美しく添えられて、まさに感動ものの御膳だった。食事が済むとこの店の奥様だろう、ヤマハッカとカキドオシのミント茶でもてなして下さった。

 出された食材の名前を一つ一つ奥様に確認した後、一度引き下がった奥様が今度はご主人と一緒に私のテーブルに来た。「植物の名前を良くご存知ですね」と嬉しそうである。聞けばご主人は以前、越後駒ケ岳の麓の「駒の湯温泉」で長く厨房を任されていた人だという。「道理で〜!」と素晴らしい野草料理の合点がいった。










2009年5月20日(水)晴れ、日中の気温25℃
おやじ山の春2009(友遊会Tさんの訪問)

 午前中、おやじ小屋に居て、「はて?人の気配がするなあ」と思っていたら、案の定「コンニチワ〜」と外から大声が聞こえた。今どき珍しいスゲ笠を被った人で、「ようやく居なしたねえ。3回ほどここに来てやっとオメさんに会えたてえ」とニコニコと笑って立っている。咄嗟に「あの友遊小屋のTさん?」と尋ねると大きく頷いて、前に友遊小屋オープンのお祝いを届けたが、そのお礼だと言って苺の大きなパックを手渡された。
 そしてTさんと小屋前のデッキに座って1時間ほどいろんな話をしたが、Tさんは今まで全国のたくさんの山を登って来たが(Tさんは日本山岳会の会員である)、最後はやっぱり故郷の山が恋しくて、仲間と登山道を整備し山小屋を作ったのだ、と言っていた。
 
 午後は山を下りて日本海の海岸線をドライブした。寺泊から越後七浦シーサイドラインを走り、弥彦スカイラインに入って弥彦山の頂上に上った。展望台から越後平野を見下ろすと、一面水が張られた田んぼが広がり、広大なプールといった趣である。そしてそのプールの中に村や町の集落がまるで大小の島々が浮かんでいるように見えるのである。さすが米どころ越後の風景である。

 山はヤマボウシの花が3日ほど前から咲き出し、今日はびっしりと枝に下がったエゴノキの蕾が花開いた。
 

2009年5月21日(木)晴れ、日中の気温29℃
おやじ山の春2009(フクロウの巣箱)

 小屋に「出勤」すると、先ずホオノキに掛けたフクロウの巣箱に目をやる。昨日あたりから頻りに巣箱の中でゴソゴソと音がするのである。ちょっと物音をたてるとピタッとゴソゴソが止む。気になって仕方がない。

 今日は土間造りで塩を撒いて付き固めた土間にセメントの粉を撒いた。そして再度ホオノキの丸太に取っ手を付けた突き棒でドスンドスンと固めるのだが、ここ数日の乾燥で水気が土間に上がって来ない。それで仕方なしに撒いたセメントの粉に霧吹きすることにした。霧吹きの道具など無いので口に水を含んでプ〜!と吹くのだが、こんな土木工事に学校の工作の時間でやるようなチャチな方法で果たしていいのだろうか?と笑ってしまった。

 日中は真夏の日射しである。午後は刈払機でいくらか仕事をしたあと小屋に入って休んだ。エゾハルゼミが頻りに鳴いて、キビタキとサンコウチョウの美声が大きく小屋に届いていた。

2009年5月23日(土)曇り
おやじ山の春2009(Mさんの自然観察会)
 昨夜から雨になったが、今朝は幸い霧のような小雨である。午前6時にあちこちで「パ〜ン!パ〜ン!」と花火が鳴って、今日は市内の各学校で春の運動会が催されるようである。

 今日は、蔵王のO建設主催の自然観察会がいつもの私の朝の散歩コースで開催されるというので飛び入り参加させてもらった。講師は長岡で森林インストラクターとして活躍しておられるMさんである。
 集合時間の午前10時少し前に自然観察林入口前の駐車場に行くと、すでに今日の参加者約30人程が集まっていた。講師のMさんは忙しく参加者を回って「東山の自然を楽しもう!」の今日のスケジュール表やパンフレットや手作りの資料などを配っていたが、私を認めると早速主催者のO建設社長のAさんに紹介してくれた。Aさんは会社経営の傍ら、社会貢献事業としてこのような催しを以前から続けておられると言う。

 Mさんの最初の挨拶で私まで皆さんに紹介して下さって恐縮したが、先ずはMさんの手作り資料「はじめまして」を持ちながら全員でアイスブレーキング。そしてMさんの説明を聞きながら自然観察林内を瞑想の池まで歩いた。久々に降った昨夜の雨で幸いモリアオガエルが今年2度目の産卵をし、池畔のトチノキの葉には白い卵塊が10個ほど付いている。ここでMさんはアズマヒキガエルのオタマジャクシを網で掬ってみんなに見せたり、池畔のベンチに予め用意していた裸土と木が植わった腐葉土の両方の模型に水を注いで、下から滲み出す水の速度や濁りの違いを見せて森の効用と大切さを説明された。
 そしてブルーシートが敷いてあるカツラ林の中でAさんがお弁当を配り、楽しい昼食である。私は昨日仙台からやって来た甥のS君との約束があり、途中で失礼して皆さんと別れた。

 山はエゴの花があっと言う間に満開になった。今年のエゴも枝一杯の絢爛ぶりである。




2009年5月25日(月)雨〜晴れ
おやじ山の春2009(越路町逍遥)

 遙々仙台からキャンプに来た甥のS君を長岡駅で見送った。身体をこわし殆ど自宅で過ごしているS君は、毎年ここに来るのがとても楽しみのようで、改札口で何度も何度も私達に頭を下げてプラットホームに降りて行った。小屋の前のデッキに腰をおろして私の山仕事を見ては、とてもS君にはやれる訳がないのに立ち上がって手伝おうとしたり、キャンプでの食事の準備や後片付けもしっかりとやってくれた。身体の大きなS君の背中が駅の階段に消えて、思わず「いい子だよなあ〜」と呟くと、カミさんは笑いながら、「仙台の姉が、普段我がままなSがキャンプから帰って来るとまるで性格が変わって、しばらくはいい子になると笑ってました」と言った。

 そのままキャンプ場には帰らずに小国町の森林公園を訪ねた。「な〜るほど・・・」と園内を一巡し、帰りに越路町の朝日酒造を訪ねた。そして大きな本社ビルのエントランスホールで千楽の会で講演して下さった鈴木女史の写真展を観る。道路の向かいには酒造博物館があり、その隣は「越州」という直営レストランである。和式の落ち着いた店で、緋毛氈を敷いた縁側に出て手入れの行き届いた庭園を観ながら蕎麦を啜った。
 先日の「千楽の会」のイベントでたっぷり美酒を戴いたから言う訳ではないが、ここは長岡市の外れにあって、実にいい所である。

2009年5月26日(火)晴れ
おやじ山の春2009(何と、フクロウの家に!)
 今日はもの凄く怖い一日だった。俺の大嫌いなアオダイショウを3匹も見てしまった。(1匹のアオダイショウがあちこち移動して、同じヘビを3回見たのかも知れない) それで今日は嫌な夢を見そうなので、夜は大酒を飲んで寝ることにした。(カミさんはいつもそうだと言うけど・・・)

 早朝からキャンプ場で害虫の駆除作業があるというので4時半に起きて車で町に下り、24時間営業のガストに入ってちょっと洒落た朝飯を摂った。まあ、たまにはこんな朝もいいものである。
 それで帰って来てからおやじ小屋に「出勤」し、今日も土間作りの続きである。

 例によって小屋に着くと、先ずはホオノキに掛けたフクロウの巣箱を確認する。じ〜と耳を澄ますと「ゴソ・・・ゴソ・ゴソ」と今日も何やら物音が聞こえて来る。巣箱の表には墨字で<フクロウの家>と書いたが、果たしておやじ山のフクロウはちゃんとこの文字を判読して棲み付いてくれたのだろうか?と期待が高まって来る。そして、「さて・・・」と踵を返して小屋を見ると、南の窓の上の壁に長〜い紐のような物がぶら下がっている。「エッ!」と見ると、何とその紐が動いているではないか!「ワ〜ッ!」と思わず大声が出て(全く森の住人がこんな体たらくではどうしょうも無いのだが)、ヘビが壁の隙間から小屋に入らないうちにと慌てて杉の枯れっ葉を拾い集めた。小屋の中の囲炉裏で火を焚いて燻して追い出す算段である。マッチを擦る手ももどかしくボンボン火を焚いてから、やおら外に出て確認すると・・・居なくなっていた。(そりゃそうだろう。中に居た人間様でさえ煙で窒息してしまいそうだった)
 2匹目は(2度目か?)、小屋で昼飯を食ってから外に出て、何気なく<フクロウの家>に目をやると、「な・な・何と!」巣箱の入口に例の紐が胴の半分程を突っ込んでぶら下がっている。この時ばかりは、「フクロウの家を<アオダイショウの家>にしてなるものか!」と粘土の塊を拾って投げつけたが、飛距離もコントロールも女学生の野球の始球式並みでオロオロするばかりである。そして「ああああ・・・」と思っているうちに、ストンとアオダイショウが巣箱の中に消えた。と同時に「バタバタバタ!」と大きな羽根音をたてて鳥が飛び出した。「ワッ」と思わず後ずさって尻餅をついたが、何とフクロウの家から出て来たのはカモである。下の自然観察林の瞑想の池にカモのつがいが浮いて居ることは知っていたが、多分そのカモだろう。何でこの巣箱に入ったのか知る由もないが、夕刻時に鳥目になってここにやって来て、巣箱に書いてある<フクロウ>を<カモ>と読み間違えたのかも知れない。
 しかしここでアオダイショウに棲み付かれては、とても今後山仕事などできる訳がない。棒の先に更に熊手を紐で縛り付けて、巣箱の底から横から「ドンドンガラガラ」、熊手の指が2、3本折れるまで叩きつけたが、余程居心地がいいのか、カモの卵の飲み込みで奮闘中なのか、箱の中からは出て来なかった。
 3匹目は仕事を終えて小屋を後にする直前である。戸板で閉めた物置の戸の間から、チロチロとヘビの赤い舌が見えた。普通の人ならこんな細かい所には決して目が行かないが、ヘビ嫌いは直感的にヘビの所在を探り当ててしまう何やら勘のようなものが働く。それで物置を外から叩いたこと叩いたこと・・・。物置の壁に張ったトタンの波板が凹んで、トタンを打ち付けたスクリュー釘まで外れてポンポン飛んでしまった。

 精神的にグッタリ疲労し山道を下って帰る途中、ノウサギに出会った。もう今日は動物はいいです。
 
2009年5月27日(水)晴れ
おやじ山の春2009(フクロウの家-その2)

 信州からOさんが山菜採りに来た。早速Oさんに昨日のアオダイショウの話をすると、Oさんはおっとり笑いながら、「それなら追い出してやりますよ」と言う。
 それで二人でおやじ小屋に行った。
 Oさんは二連梯子をホオノキに立て掛けると棒切れを持ってスタスタと登って行く。その梯子を下で押えながら、「Oさん大丈夫?巣箱から出て来たアオダイショウが
顔の上に落ちてきたら、どうするの?」と声をかける。「いや、この位置だと梯子の真下にドスンと落ちるでしょう」とOさんは嫌な事を言う。そして「ドンドンドン!」とOさんが棒で巣箱を叩いた。瞬間「ワァ〜!」と思わず押えていた梯子の手を放して後ろに飛び退き、尻餅をついてしまった。飛び出したのはカモである。カモが巣箱に帰っていたのである。鳥は巣を一度ヘビに襲われると二度と戻らないと聞いていたが、ウソである。(そしてこの「ドンドンドン」でカモは二度とここに戻って来なかった。カモさん、ごめん!)

 そして、このアオダイショウの件で伊豆のKさんが言っていた、「巣箱は反って掛けてはダメで、前屈みに掛ける」という意味が分かった。鳥は本能的にヘビが入り難い巣箱の掛け方を見抜くのだと・・・それにしても、アオダイショウはこんな太くて木肌がすべすべのホオノキを良く登ったものである。

2009年5月28日(木)曇り
おやじ山の春2009(おやじ山の風景)

 午前4時半にOさんと一緒に「黄土」へ山菜採りに行き、7時にはキャンプ場に戻った。多分今期最後の山菜採りである。
 やはり山が乾いて黄土といえども荒れた感じが否めない。
 そしておやじ山ではエゴノキがちょっと気味悪いほどにいっぱいの花をつけ、珍しくあちこちのコシジシモツケソウの葉に白くウドン粉病が発生して心配である。瞑想の池ではモリアオガエルの崩れた
卵塊が池に落ちて浮かんでいたが、卵が孵ってオタマジャクシになったのか、鳥に襲われたのか、よく分からない。
 先日のキャンプ場の害虫駆除で、階段脇のカンアオイの葉にいたギフチョウの幼虫に薬がかかっては、とおやじ山に疎開させた。幼虫を移した小屋脇のコシノカンアオイの葉をそっと捲って見ると、元気に生きていて安心した。 そして今日は、ナワシロイチゴの花を初めて見た。この花が咲けば、季節は春から夏へと移るのである。

2009年5月29日(金)晴れ
おやじ山の春2009(帰還)

 一度藤沢の自宅に帰ることにした。家での所用を済ませることと、山で暮らした荷物をいくらかでも自宅に持ち帰ることである。既に2ヶ月以上山に居て、とても一度の運搬で持ち帰れる荷物の量ではない。

 正午にキャンプ場を出て千曲川沿いの国道を走って帰途についた。
 途中私の大好きな「竜ヶ窪温泉」に寄る。そして庭にある大きな露天風呂の板敷きで素っ裸のまま寝転んで、青空に浮かんで緩く流れている真っ白な雲を眺めていた。強い日射しだったが、高原の爽やかな風が肌に心地良かった。

<6月日記>に続く