森のパンセ   山からのこだま便  その149(2026・1・5)
「善き生」の追求こそ-米国的幸福からの脱却
 昨年(2025年)12月20日の朝日新聞<オピニオン&フォーラム>に『日本型ウェルビーイング』と題して京都大学名誉教授佐伯啓思(さえきけいし)氏の論考が載っていた。ひと言で言えば「日本人の幸福観は米国人のそれとは違うはずで、本来の姿に帰るべきだ」との主張である。大いに感じ入ったので以下に紹介したい。(各節の見出しは私が勝手につけたサブタイトルです。また本文も一部私なりの解釈で書き変えています)

 『
「幸福」と「ウェルビーイング=善き生」の定義
 最近よく聞く「ウェルビーイング」という言葉はWHO(世界保健機関)が1948年に打ち出した考え方で、肉体的のみならず、精神的にも社会的にも健康な状態をいう。つまり、個人的・主観的で、時間とともに変動する「幸福」とは違い、「ウェルビーイング」は、もう少し客観的・社会的であり、時間を通じて持続する状態を指す。さらに言えば「ウェルビーイング」とは、「善いありかた」であり、古代ギリシャ人が生活の基軸においた「善き生」である。それは欲望を満たし、快楽を追求する生き方ではない。逆にそれを抑制するだけの思慮や分別をもち、ある種の快楽を断ち切る勇気をもち、持続的に安定した生を送ることである。また「幸福」は、決して自分一人だけのものではなく、共同体のなかで、人々とともに安定した関係を取り結ぶことでもあった。

 競争に疲れた心が「善き生」への関心を生み出す
 今日、先進国に生きる多くの人々にとって、日々の競争や情報は、われわれの感覚をあまりに鋭敏に刺激し、神経を疲弊させる。今日のグローバルな文明世界における「生」は、かなり過酷であり、窮屈であり、その場しのぎであり、常に何かに駆り立てられている。
 近代社会は、米国の「独立宣言」にいう、「生命、自由、幸福追求の権利」から始まった。それが250年もたつと、寿命がどこまでも延長し、自由を無限に拡張し、科学と技術の革新によって幸福をさらに追求することとなる。自由の拡張も幸福の追求ももはや歯止めがかからない。「自由であること」「幸福であること」は一種の脅迫観念となった。
 このような「自由」や「幸福」の追求を無条件に「善」とする事情が、逆に、対極にある古代ギリシャ的な「善き生」への関心を生み出したのであろう。たとえば、2023年に閣議決定された第4期教育振興基本計画において、文部科学省は「日本社会に根ざしたウェルビーイングの向上」を掲げた。「幸福度の向上」ではなく「ウェルビーイングの向上」である。世界幸福度ランキングでは、日本はこのところ50位から60位あたりで、幸福度ではなく「ウェルビーイング」に目を向けるのもわからないではない。

 米国型幸福とはー「幸福の神義論}
 幸福度はその指標の採り方やその国の幸福観によってかなり左右される。
 米国社会では、自己の能力を最大限に発揮し、他者をしのぐ実績をあげ、それに応じた報酬や尊敬をえることは最大の幸福であろう。米国でこの勝利主義的な幸福感を支えているものは、「幸福の神義論」というべきプロテスタントの信仰様式で、「現実世界での成功は、神によって選ばれたことの証明となり、現実世界の勝者であることは、救いの証しとなる」、というものである。(米国宗教論の専門家:森本あんり氏による)
 だから米国では、人は何が何でも「幸福でなければならない」という脅迫観念に駆られる。それはキリスト教国家である米国の宿命でもある。

 無常観に基づく日本人の幸福観
 では、日本ではどうであろうか。まったく逆といってもよいのではなかろうか。
 日本には、勝てばそれで幸福というような割り切った世俗的観念はないし、それを後押しする宗教的心情もない。勝敗は時の運であり、次の瞬間には運が尽き、勝者は敗者に転落する。それなら、最初から勝敗にこだわることはない。この世には、永続する確固たるものは何一つなく、万事は無常だという、さばさばとした諦念の方がわれわれの共感をよぶ。
 この「諸行無常」を人間に当てはめれば、人間の生命は有限であり、人は必ず死ぬという当たり前の事態にゆきつく。この「悲しくも、空しい存在のとしての人間像」が日本文化の根底にある。
 この自明の、ゆるぎない事実を前提とした日本人の幸福観とは、「この現世における人との出会いを一期一会として大切にし、事態に誠実に対処し、自己の事情だけでなく他者との調和をはかり、己の分限のなかで生きる」ということであった。
 仏教の教える「一切皆苦」では、欲望追求こそが「苦」の最大の原因であり、過剰な我欲を抑え込んで、できるだけ平穏に生きることが、不幸を和らげることであった。
 この種の幸福論は、米国型の「幸福の神義論」とはまったく違っている。だが、心身の安寧を持続的に保つという「ウェルビーイング」にはかなり適合性があるようにみえる。

 米国的価値観からの脱却と日本型ウェルビーイング(善き生)への回帰
 教育振興基本計画が「日本型のウェルビーイング」をうたうのは結構だが、その場合、日本人の幸福観をどう考えるかは決定的な課題となる。少なくともそれは、米国的価値観が作り出した近代社会のそれとは大きく異なるはずだ。だが、今日、社会が学校教育に求める人材とは、たとえば、英語ペラペラの国際人、飛び級でハーバード大学に入学できる超秀才、マネーゲームの才人、先端技術のイノベーターのような人材である。こんな日本人を作り出すとすれば、とても「日本型ウェルビーイング」どころではなかろう。』
 以上である。


 昨日(1月4日)、そして今日(1月5日)と、米国が国際法を踏みにじってベネズエラを攻撃し、マドゥロ大統領を米国へ連れ去った、という報道でかまびすしい。トランプ大統領はこう言い放っているそうだ。「第2次世界大戦後、最も華々しい成果だ」と・・・。こんなアメリカの価値観に追随することなく、きっぱりと決別すべきである。そして、日本人本来の「善き生」への追求に確固たる信念と古来からの美徳に大いなる誇り持ちたいと思っている。