森のパンセ   山からのこだま便  その126(2022・8・14)
戦争と人権


 8月12日付朝日新聞オピニオン&フォーラムに、政治学者(早稲田大学教授)の豊永郁子氏の「ウクライナ 戦争と人権」と題する寄稿文が載っていた。
 さらに翌13日付の同欄に、政治学者(防衛研究所主任研究官)の千々和泰明氏のインタビュー記事「戦争はどう終わるのか」が掲載された。以下はこの2文の紹介(要旨)である。


 「ウクライナ 戦争と人権」(豊永郁子) (実際の文章を要旨を変えずに再編集しました)

 2月24日のウクライナへのロシアの侵攻で、釈然としなかったのがウクライナ側の行動だ。(むしろロシアのプーチン大統領の行動は独裁者の行動として見ればわかりやすい)まず侵攻初日にウクライナのゼレンスキー大統領が、一般市民への武器供与を表明し、総動員令によって18歳から60歳までのウクライナ人男性の出国を禁止したことだ。武力の一元管理を政府が早くも放棄していると見えたし、後者に至っては市民の最も基本的な自由を奪うことを意味する。さらに英米の勧める亡命をゼレンスキーは拒否し、「キーウに残る。最後まで戦う」と宣言した。市民に銃を配り、全ての成人男性を戦力とし、さらに自ら英雄的勇敢さを示して徹底抗戦の構えに出た。
 だがどれだけのウクライナ人が死に、心身に傷を負い、家族がバラバラになり、どれだけの家や村や都市が破壊されるのだろう。どれだけの老人が穏やかな老後を、子供が健やかな子供時代を奪われ、障害者や病人は命綱を失うのだろう。

 一方欧米諸国の政府は、間断なくウクライナに武器を供給し、ロシアへの制裁における一致団結ぶりを誇示することで和平の調停を困難にし、戦争の長期化、すなわち更なる人的犠牲の拡大とウクライナ国土の破壊を促している格好にある。また国際秩序を乱したロシアに代償を払わせるという主張も繰り返される。しかし国際秩序の正義のためにウクライナ1国が血を流し、自らの国土で戦闘を続けよというのは、正義でも何でもない。

 日本も今、ウクライナの徹底抗戦を讃え、日本の防衛力の増強を支持する風潮が存在する。しかしむしろ日本人の多くは、ウクライナ戦争を通じて憲法9条の下に奉じてきた平和主義の意義がわかったのではないか。第2次世界大戦ですさまじい体験をした人たちにとって、政府と軍が無益な犠牲を国民に強い、一億玉砕さえ説いた戦争指導者の「敗北」を認める能力をそもそも信用せず、同じ懸念を今、ウクライナを見て覚えるのだ。即ちウクライナで今起こっていることが日本で起こることへの拒否である。

 個人の生存は国に先行する価値であり、国は個人のために存在する、という国家観の下では、国が国民に及ぼし得る犠牲には限度がある。そしてそうした個々人の命の重みの上にこそ民主主義も成り立つ。
 ウクライナのゼレンスキー大統領はテレビのスターであったカリスマそのままに世界の大スターとなった。だが政治家としてはどうか?。まさにマックス・ウェーバーのいう、信念だけで行動して結果を顧みない「心情倫理」の人であって、あらゆる結果を慮る「責任倫理」の政治家ではないのではないか。


 
「戦争はどう終わるのか」(千々和泰明) (掲載記事の文章の一部をそのまま抜粋しました)

 「まず戦争は力と力のぶつかり合いであるため、戦争終結は戦局で優勢にある側が主導します。そして優勢側から見て終結の形態は大きく二つに分かれます。相手と二度と戦わずに済むよう徹底的にたたく『紛争原因の根本的解決』と、自国兵の人命などの犠牲を出したくないためそこまでいかずに妥協する『妥協的和平』です。(前者の例は、第2次世界大戦でナチスドイツと戦った連合国。日本の無条件降伏で終わった太平洋戦争。後者の典型例は、米国などがイラクと戦った1991年の湾岸戦争。朝鮮戦争やベトナム戦争などが、こちらの分類に入る)」
 「一般に戦争を終わらせるのが難しい理由は、『将来の危険の除去』と『現在の犠牲の回避』がトレードオフ(二律背反)の関係にあるからです。紛争原因の根本的解決を目指せば現在の犠牲が増大し、逆に妥協的和平を求めれば将来の危険が残ってしまう。優勢側は、こうしたジレンマの中での判断を迫られるのです」

 「ウクライナ側は『将来の危険』を除去するために『現在の犠牲』を払い続けています。(ロシアに属国化される危険。プチャでの虐殺で明白になった、占領されたら虐殺やレイプや強制連行される危険など)ただ劣勢側であるため、終結を主導することは困難です」
 「ロシアは優勢側ですが、首都キーウを攻め落として根本的解決をできる状況にはありません。焦点は妥協的和平ですが、プーチン政権が『現在の犠牲』を避けるために和平を求める状況にあるかと言えば、疑問です。(世論は強権的にコントロールされ、自軍の犠牲も小さく見せられている)」

 「平和の回復にとっては、必ずしも戦争終結それ自体が重要なのではありません。また戦争終結が早ければよいとも限りません」
 「重要なのは、どのような条件でもたらされた戦争終結であるかです。それによって交戦諸国が何を得て、何を失うかが重要なのです。勝ち目がないのに犠牲を払うことも問題ですが、戦うべきなのに妥協してしまって戦争の惨禍が何度も繰り返されてしまう事態も避ける必要があります」

 
「ウ〜ン、ウ〜ン」、浅学の徒は考え込んでしまったが、戦争とは一度始めたら最後、いかに終結が難しいか、ということも分かった。折しも明日は終戦記念日。77年間の日本の『戦後』が何によってもたらされたかを考え、じっくり反芻する日でもあると思っている。