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最後のページは1月31日

2009年1月3日(土)晴れ
箱根駅伝

 ここ藤沢では抜けるような青空の日が続いている。雪国に住んでる皆さんには誠に申し訳ないような穏やかな日和の正月である。
 大晦日の夜には息子の家族が来て、仕方なく(本当は
NHK紅白歌合戦を観たかったけど)孫と一緒に「ドラえもん」を観ていたら、やたら酒のピッチが上ってしまった。そしてそのまま弾みがついて半ば朦朧としたまま2009年に突入した。
 それで身を引き締める意味で、2日は「箱根駅伝」を沿道まで行って応援することにした。我家から車で20分も走れば3区の戸塚〜平塚間を走る沿道に出る。スタッフの方から新聞社の紙の小旗を貰ってパタパタ振りながら「ガンバレ〜!」と大声を出すと、何やらふやけた自分自身をも励ます様で少しシャキンとした気分になる。そして急いで家に戻り、今度は4区と5区のテレビ観戦である。ここでまた「今日も正月だから、まあいいかあ」とテレビを観ながらの昼酒となった。
 それで今日、再度シャキンと身を引き締めるために今度は復路の応援で沿道に立った。場所は前日と同じ所である。沿道の向こうには雲一つない真っ青な空に雪を被った白い富士山が見える。そして賑やかに小旗が揺れ選手達が駆け抜けて行った。「いいなあ〜青春」 そして一句。
「富士を背に 駅伝ランナー 走り抜け」 





2009年1月8日(木)曇り
もやしもん

 久々に東京の上野公園に行き、国立科学博物館で開催中の「菌類のふしぎ」という特別展を観た。昨年秋山暮らしをしていた時、たまたま長岡市内のきのこ鑑定会で知り合ったA女史から「東京でこういうのやってるから観に行ったら?」とチラシを渡されて知った催しである。
 実は昨年末、長岡のきのこ名人Sさんから<長岡きのこ同好会会報「あまんだれ第5号」>(「あまんだれ」とはキノコのナラタケの地方名です)という印刷物が郵送されて来て、その立派な内容にすっかり感心して「俺も参加させて下さい」とすぐ
入会手続をとった。それで「きのこ会員になったからにはちょっとは勉強しないと・・・」とA女史からのチラシを思い出して上野の森に出掛けた次第である。
 会場は科学博物館の地下1階にある特別展示室である。マンガ「もやしもん」のキャラクターに出迎えられて中に入ると、意外や若い女性達で賑わっている。菌類でカビやキノコと言えば何となくジメジメと暗いイメージなので、まあオタクっぽい老人達だけが会場内をヨロヨロふらふらと彷徨っていると思ったが、とんでもなかった。大学や専門学校の女生徒達であろうか、実物を樹脂で固めたキノコの標本を見ながら「わ〜かわいい!」と歓声を上げている。彼女達にとっては見た目が良ければ「このキノコ、かわいくて食べられるわよね!」と食毒判定も容姿一辺倒の大胆さである。高級茸マツタケなどは標本が樹脂で固められてまるでマンネンタケのようにふてぶてしく黒光りしているせいで彼女達には歯牙にもかけられない惨めさである。私がじ〜と目を凝らして1つ1つ標本を見ながらおやじ山に生えてるキノコを静かに思い出しつつ牛歩しているすぐ後ろで彼女達がうるさく騒ぐので、途中で「あの〜、お先に行ってくれません?」と頼んだほどである。
 「もやしもん劇場」ではマンガに登場する菌キャラが壁にたくさん貼り付けてあって、ここでも女生徒が賑やかに記念撮影などをしていた。知らなかったが「もやしもん」とは大変な人気なのである。
 展示会場の入り口では生物の二界説や五界説の小難しいパネルがあってギョッとさせられたが、進むにつれて「もやしもん」の菌キャラがあり、光るキノコがあり、最後はきのこと森の関係をわかりやすく説明したコーナーなどがあって、とても面白く勉強にもなった。
 せっかく1,300円も払って入ったので地球館や日本館の常設展示も観て回った。あれがありこれがありと、最後はぐったり草臥れて博物館をよろけ出た。
 

2009年1月9日(金)雨
「NAKBA−2」

 関東地方にこの冬初めての雪が降った。ここ藤沢は冷たい氷雨の一日である。国会の予算委員会での討論をテレビ中継で観ながら、派遣切りでこの雪空に放り出された人達に思いを馳せる。そして俺もまた広河隆一氏にならって政治家に問いたい。「今あなたが真に守るべきものは何なのか?」<国か?><会社か?>、それとも<人間か?>と・・・
 そして国際社会も、目を覆うばかりの惨状に世界の指導者達は手をこまねいているように見える。 
昨年12月27日のイスラエルによるパレスチナ自治区ガザ空爆開始から12日目、夜のNHKテレビはガザ地区の死者は758人、その多くが民間人で子どもの死者は34%の257人に達したという。昨年フォトジャーナリストの広河隆一氏が40年間パレスチナ難民キャンプで撮り続けた写真と映像のドキュメンタリー映画「NAKBA」(大惨事という意味)で告発したように、これはずっと過去から続いているイスラエルによるパレスチナ人への無差別な虐殺である。イスラエルの言っているハマス攻撃によるコステラル・ダメージ(付随的損害)などでは断じてない。まさに「NAKBA−2」だと声を大にして叫びたい。孫の承太郎から「じいちゃん、あんなに小さい子どもをいじめたり泣かせて、それでもいいの?」と聞かれたら、どう答えるんだ!え、オルメルト?そしてブッシュ? サルコジ頼むぞ、頑張ってくれ〜!
(どうも興奮して−仙人のつぶやき−とは程遠いトーンになってしまいました。仙人(千人)ならず、今だ百人か二百人くらいの人品骨柄で、今年は早めにおやじ山に籠もって更なる修行に努めますです、はい・・・)
(昨年11月30日に「森のパンセ-その28-<真に守るべきものと祖国>」で広河氏のことを書きました)
追記:昨年このパンセをアップしたら、毎年おやじ山を訪ねてくれる伊豆のKさんから早速メールが届き、「私、以前広河さんと一緒に漁船に乗ってタコ壺漁をしたことがあります」との何とも愉快なリアクションがあった。「ほほ〜う」と読み進むと、「当時、広河さんが撮ったチェルノブイリ原発の爆発事故の写真展で被爆した多くの子どもたちが甲状腺ガンで苦しんでいることを知り、その手術資金集めに自分も教え子たちと奔走していた。治療で来日したウクライナの子どもたちを案内して小田原まつりも見ました」と書かれてあった。世の中にはいろいろな出会いがあり人と人との不思議な繋がりがあるものである。

2009年1月13日(火)晴れ
小吉

 3連休も終わりそろそろ人出も少なくなった頃だろうとようやく初詣に出かけた。行き先は、毎年5円か50円のささやかな賽銭で盛りだくさんの願い事を聞いてもらっている相模国一之宮「寒川神社」である。
 近くの体育館の駐車場に車を停め神社に向って歩き出すと、参道の大鳥居の向こうに真っ白い富士山がドンと聳えている。この景色を目にしただけで「今年は何やらいい事が・・・」とちょっとめでたい気分になってくる。
 1月も半ばになって境内も落ち着いた雰囲気である。そして「カラン」と賽銭を投げ神殿に向って願い事をずら〜と頭に浮かべてお参りを済ませ、それからおみくじを引いた。「第四十四番 小吉」と出た。しかし老眼鏡を出して仔細に読んでみるとなかなか良いことが書いてある。大方の項目が「今年は焦ってはダメですよ、慎重にやりなさい、突っ走ってはいけないよ、待つんですよ」というような内容である。そりゃそうだろう。何しろ今年は百年に一度という未曾有の大不況である。大吉などを引かせて「行け行けドンドン」とやったら後で神社が逆恨みされるに決まっている。
 神社の境内を出てそのまま家に戻る気もせず、門前のだんご屋に入った。ここで名物のみたらし団子とワンカップをお燗で注文して正月の名残気分を味わった。
 さて、いよいよ今年の始動である。(大分のんびりした始動だけど・・・)

2009年1月24日(土)曇り
国家の品格(その1)
 数学者の藤原正彦氏が3年ほど前に出版した「国家の品格」という著書がある。年が明けてからひょんなことで思いついてアマゾンで取り寄せて読んでみた。実に面白かった。藤原氏が3年前のこの著書の中で危惧した予測が、今の世界でピタリと当たってしまった。
 そしてちょうどこの本を読み終えた1月中旬、今度は郷里長岡で高校の同級生だったM君から著書が送られてきた。著書名は「至誠に生きた人々」、中央公論事業出版社から出されたハードカバー装丁の立派な本である。大企業の要職を退いてから趣味で自分のブログに書いていたことを1冊の本にまとめたのだという。M君は母校長岡高校で生徒会長を務めた校内一の俊秀だったが、彼が定年後に手慰みに書いたという域を遥かに超えて、歴史と漢文の恐るべき素養と博覧ぶりを発揮したまさに重厚秀逸な内容である。早速お礼のメールで後日感想を送ることを約束して読み始めた。
 そしたら次に、オバマ氏のアメリカ大統領就任演説があった。
 何しろ史上最多の200万人がワシントンの議事堂前の広場に集まってくるというのだから、これをライブで聴かない手はない。それで21日午前1時過ぎから約1時間、NHKテレビでアメリカからの生中継に目を凝らした。
 正直に告白すると、よく分からなかった。一流の同時通訳者が喋っているのだから立派な日本語になっているはずだが、難しくて理解が追いつかなかった。オバマさんの顔つきと同時通訳の言葉の両方に強く意識が行って脳の回路が混線してしまったのかも知れない。
「オバマさん、何言ってるか分かった?」とカミさんに聞いてみた。「ワタシ、もう眠くて眠くて・・・」(聞くほうが悪かった)
「・・・俺、ほとんど分からなかった」「そりゃやっぱり呑み過ぎでしょ・・・」(聞くほうが悪かった!)
それで翌朝起きてからインターネットで訳文をダウンロードして読んだが、これもイマイチで、21日の夕刊を開いて更に全文の訳を読み(これは随分わかり易くなっていた)さらに翌22日の朝刊で解説付の全文を読み、都合4回もオバマさんに付き合ってようやく演説の全体を理解した次第である。
 2冊の書物を読み、そしてオバマ演説を聴いて、日頃ぼんやりと考えていたことが一つの思いとして重なり始めている。そんなことを次から書いてみようと思う。
2009年1月31日(土)曇り
国家の品格(その2)

  「国家の品格」を書いた藤原正彦氏は、作家新田次郎、藤原てい、の息子で、かつてアメリカの大学で教鞭をとりイギリスのケンブリッジ大学で研究生活をおくった数学者である。その国際人の筆頭とも言える藤原氏が著した「国家の品格」の内容は、おおよそ次のようなものである。

  戦後日本は一貫して高い成長を遂げてきた。しかしこの繁栄の代償として失ったものは、あまりにも大きかった。「国家の品格」が格段に失墜したからである。市場経済に代表される、欧米の「論理や合理」に身を売ってしまい、世界に誇るべきわが国古来の「情緒と形」をあっさり忘れて国柄を失ってしまったのである。
 その日本人が持っていた「情緒と形」とは・・・を次のように説明している。
 情緒とは、「自然に対する繊細な感受性」 秋になって虫の音が聞こえ、枯葉が舞い散り始めると「ああ、もう秋だねえ」と言って目に涙を浮かべる感性や、一年のたった3、4日で潔く散っていく桜の花に人生を投影し、そこに他の花とは別格の美しさを見出す能力、いわゆる「もののあわれ」の感情である。
 形とは、日本人の行動基準、判断基準となる精神の形のことで、日本の昔からあった土着の考えかた、即ち「大きな者は小さな者をやっつけてはいけない」という「卑怯を憎む心」や、「弱者、敗者、虐げられた者への思いやり」といった「惻隠の情」などである。いわゆる武士道の中核となった精神である。
 世界を支配した欧米の教義(論理や近代的合理精神に基づいた市場原理主義や金銭至上主義といったもの)は破綻を見せ始めた。そして今や、世界は途方に暮れている。
 先ず日本人それぞれが忘れていた古来からの情緒と形を身につけることで、それが国家の品格となる。品格の高い国に対しては世界は敬意を払い、必ずや真似をしようとする。
 そして藤原氏は最後に、駐日フランス大使を務めた詩人ポール・クローデルが、大東亜戦争の帰趨がはっきりした昭和18年にパリで演説した言葉、
 「日本は貧しい。しかし高貴だ。世界でどうしても生き残ってほしい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」
 を引き、こう結んでいる。
 「日本は、金銭至上主義を何とも思わない野卑な国々とは一線を画す必要があります。国家の品格をひたすら守ることです。日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類の責務であると思うのです。この世界を本格的に救えるのは、日本人しかいないと私は思うのです」と。

「森のパンセ」にかなり詳しく著書の内容を書きました。是非ご覧下さい)

 読み終わって、何やら自信と誇りが湧いてきてしまった。つい先日の麻生総理の施政方針演説で、オバマさんの焼き直しでなく、こういうことこそ声を大にして喋ってもらいたかった。
 今、未曾有の不況で昨年10月から今年3月までに失職する非正社員の数が12万4800人にのぼると発表があった。組織の指導者に、もし弱者への思いやり、即ち惻隠の情があれば、何でクビなど切られようか。「たかが経済」である。弱者を思いやる精神こそ今の世の中で何よりも大事なのである。その結果、日本が疲弊し食い扶持に困ったら、みんなで昔懐かしい山に入って楽しく山菜やキノコで食い繋げばいいだけである。
 そしてイスラエルのガザ攻撃で、400人を超すパレスチナの子ども達の命が失われたという。日本の政治家に確固とした武士道精神の持ち主がいたら、敢然として「大きい者が小さい者をやっつけることは文句なしに卑怯なことである!」とあらゆる身勝手な論理を跳ね除けて国際社会に訴えたはずである。「先ずは論理で武装して・・・」などと考えるのは欧米流のミミッチイ姑息な手段である。「駄目なものは駄目!」と確信ある武士道精神でズバリ人間の本質に迫ることなのである。

 またまた興奮すると「仙人の品格」を格段に失墜させることになります。それで後日またこの続きを書きたいと思います。