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2008年12月3日(水)晴れ
鎌倉散策

 まるで春を思わせるような陽気に誘われて、それでは鎌倉でもぶらついてみるか、と家を出た。江の電藤沢駅で乗り降り自由な1日パスを580円で買って、先ずは極楽寺まで行った。境内の桜並木の参道を往復して通りに出ると「ラーメン」の赤いノボリ旗が目についた。ちょうど昼時にかかっていたのでガラガラと店の引き戸を開けて中に入った。小さな食堂で、テーブル席には5,6人の中年女性のグループと隅に男性が一人、奥のカウンターには二人連れが座っていた。これでほぼ満員である。空席はテーブルの男客の前しかなかったので少し身を屈めてそこに座った。注文したラーメンを待っている間、女性グループの会話を聞くともなしに聞いていた。「うちの主人ったら・・・なのよねえ〜全く腹が立つったらありゃしない」「そうそう、うちのヒトも同んなじ、困るわねえ〜」と旦那の悪口を言い合っている。そして皆で「アハハハ・・・」と大層盛り上っているのである。これは一体どういうことか!よくぞまあ家庭内のプライバシーをポンポン口にできるものだと驚いてしまった。仮に男のグループがラーメンを待ってる間、間違ってもカミさん餌食のこんな会話は絶対無い、と断言できる。食欲を失わせるもう一つの出来事があった。向かいのテーブルの男客とほぼ同時にラーメンが運ばれてきたが、このヒトの麺を啜る音が「ズルッズルッ、ズズ〜ッ!!」と物凄く大きいのである。だいぶ待たされたので腹が減って急いてかき込むせいか、もともと肺活量が大きい人なのか、何しろ小さな店の中の狭いテーブルで、互いのツバが飛び散るような目と鼻の先で啜り合うものだからとても落ち着いて食べることなどできなかった。店を出た時に思わず「ああ汚なかった」(「美味しかった」ではなく)と溜め息をついてしまった。
 江の電の陸橋の上で白と緑の腕章を巻いた婦警さんが下校途中の子ども達にニコニコと声をかけている。「あれ?今日A君は?」「英語の塾!」<今時は小学生から英語かあ〜>と羨ましいような気の毒なような・・・。海岸の方にぶらぶら歩いて成就院の坂を登る。この寺はアジサイの咲く時期には観光客で押し合いへし合いになるのだが、今日は誰も居ない。お参りをして海に向って坂を下ると、薄暗い切り通しの向こうにまるでスポットが当ったように鎌倉の海が午後の陽ざしに明るく輝いていた。
 その由比ヶ浜に出てみた。穏やかな冬の海である。若い母親が波打ち際で子どもと一緒に砂遊びをし、そのずっと向こうでウインドサーフィンの白いマストが青い海原を小さく切り裂いていた。
 それからJR鎌倉駅に出て、さらに北鎌倉に向って国道沿いを歩いた。昔何度も訪ねたことがある東慶寺に行ってみたくなったのである。すでに3時半を回り寺の境内は薄暗くなりかけていた。この寺も花の時期には大層賑わうのだが、冬のこの時間ではポツリポツリの参拝客である。本堂で手を合わせてから真っ直ぐ墓苑に向って目当ての墓を探す。「あった!」岩崎茂雄、その隣に西田幾多郎、そして阿部能成、和辻哲郎・・・。一気に青春が蘇ってきた。遥か昔のまだ若かりし頃、何度も何度もこの寺を訪ねては、これらの墓の前に屈み込んであるフツフツと込み上げてくる何かを感じとっていた。
 歩きくたびれたので余程このまま北鎌倉駅からJRで自宅に帰ろうかと思ったが、江の電の1日パスを買ってしまったので一度鎌倉駅に戻って江の電に乗った。そして途中の江の島駅で降りて河口の橋を渡りファーストフード店で120円のコーヒーを飲んだ。店から出るとすでにとっぷりと日が暮れている。再び江の電駅に向う橋の上から黒いシルエットの江の島を望むと、その上空の夜空に細い三日月とひと際明るい金星と木星の三重奏が見えた。

2008年12月31日(水)晴れ
この一年

 2008年の大晦日を迎えた。ここ藤沢は明るい冬晴れの年の瀬だが、日本海側は冬将軍の到来だとテレビが告げている。おやじ山の辺りはどうだろう?と思って長岡市営スキー場に電話を入れてみた。「はい、まだ積雪は10センチほどで、これから降る雪に期待してます」という答えだった。先日長岡の実家で雪囲いをしていた植木職人の親方の話しでは、「今年のカマキリの卵は胸のチチ(乳)のあたりだっけ、まあ並みの雪だこてや」という予想である。
 今年もいろんな事があったなあ、とこの一年を振り返ってみる。おやじ山では春、夏、秋と延べ135日間を山で暮らした。春の山菜採りや秋のキノコシーズンには遙々遠くから多くの友人達が来てくれて実に楽しい時間を過ごした。春夏と息子の家族もおやじ山に来て、新潟県中越地震からようやく4年ぶりに修理し終えたおやじ小屋を見せて自慢したり、孫をドラム缶風呂に入れて喜ばせたりした。おやじ山のお蔭で今年も多くの人達と出会えたことに感謝している。
 その一方で悲しく辛い別れもあった。10月末に私にはとても大切な叔父が逝った後、あとを追うようにして長男のT君が亡くなった。そして・・・。まるでこの世の中には喜びと悲しみを同量にしてチャラにしないと済まないような不思議な仕組みが(でもその反対に、悲しみの穴には喜びという土を埋めて癒してくれる何かが)あるようにさえ思えるのである。
 そしてこの一年、俺にはやっぱりいい年だった。私を支えてくれた多くの人達がいたからである。
皆さん、ありがとうございました!