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2008年10月4日(土)曇り
おやじ山の秋2008(ブラッキ&テリー)

 昨日(10月3日)の昼過ぎ、信州からOさんがおやじ山にやって来た。しかしここ何日間か秋晴れの日が続き、山もカラカラに乾いてお目当てのキノコはさっぱりである。10月初めにキノコ狩りに来る予定だった伊豆のKさんには「ダメダメ、今来ても全く無い」と断ったばかりである。Oさんにも「いくらプロでも今は全く期待できないよ」と事前に電話で伝えておいたのだが、「えへへへ、まあ無いこともないでしょう」とおっとり不敵に笑って乗り込んで来た。それで昨夜は山から下りて麓のキャンプ場にテントを張り、久々に酒飲み相手が現れたものだから、痛飲(爆飲!)した。堰(関)が切れたのである。
 そして二日酔のダメージで夢の中でもがき苦しんでいた今日の明方、カミさんが藤沢の友人夫婦と犬2匹を伴ってやって来た。とても外に出て「オワヤウゴザヒマ〜ス♪」などとご夫婦に挨拶する体力も気力もなく、解放されて「ハァハァ」とキャンプ場を走り回っているブラッキーとテリー(犬の名前)みたいに、テントの中で崩れたまま口を開けて荒い息をついていた。
 それでも昼前には「カァンネティワ〜ッ♪」と声を搾り出しながらテントを這い出て、皆でおやじ小屋に行った。Oさんはリニューアルされたおやじ小屋を見て「おッ!」と声を上げ、早速中に入って囲炉裏で趣味の焚き火である。Sさん夫婦はキノコ採りを諦めて小屋の脇で今季最後のミョウガ採りをしていた。
 おやじ山から帰ってSさん夫婦を八方台の「いこいの森」に案内した。ここはキャンプ場から車で山道を登って30分程の所だが、山頂の広々とした森林公園である。幾分遅い時間で我々以外に人影もなく、大きな芝生の広場でドッグランを許されたブラッキーとテリーのはしゃぎようったらなかった。
「あなたの山に毎年お邪魔して、こうしてこの子ら(ブラッキーとテリーのこと)が精一杯喜こんでいる姿を見るのが
楽しいんです」子どものいないS氏が私の傍らで目を細めながら言った。
 

2008年10月5日(日)曇り〜夜雨
おやじ山の秋2008(秋の色)

 夜中の3時過ぎにパラパラとテントを叩く雨音がし、朝起きて外に出ると濃い霧である。昨夜の一雨で周囲が一気に秋らしくなった。今までだらだらと曖昧だった季節感が、ここでカチッと秋にギアチェンジした様である。
 午前中に長岡に嫁いだOさんの娘さん夫婦がニコニコとキャンプ場にやってきた。老舗を継いで毎日忙しく働いている若い二人だが、今日は久しぶりの休日だという。何年か前からのOさんの指導よろしきを得て、二人ともすっかりキノコ狩りのスタイルである。それで早速若夫婦とOさん、私の4人でおやじ小屋に向った。
 見晴らし広場までの途中、作業道路脇のカツラ林が一気に秋の色に
変っている。久々の湿り気を葉に受けて、今日は一段と甘い飴の香りを漂わせていた。
 おやじ小屋を見て目を丸くしている若夫婦を中に案内してから、Oさんは早速二人を連れてブナ平までの尾根を登って行った。ここはもう勝手知ったOさんのフィールドである。しばらくして小屋に戻って来た三人の籠の中を覗いて「!」「!」、今年はもう出ないと諦めていたウラベニホテイシメジの初物が入っていたからである。「参ったなあ〜たまげたなあ〜」さすがプロの腕と執念にホトホト感心させられてしまった。
 キャンプ場に戻ると、今度はSさんが高台のすぐ下で採ったという立派なアミタケとジカボウ(ヌメリイグチ)がテーブルの上に広げられている。そしてSさんは「まだまだいっぱい残っているよ」と若夫婦を案内して採らせていた。
 大喜びの二人が帰ってから皆で大湯温泉に行った。そして風呂で汗を流したあと、ここで信州に戻るOさんを見送り、藤沢に帰るSさん夫婦と二匹の犬に手を振って別れた。
 カミさんとテントに戻ると雨になった。ようやくまとまった待望の雨だが、友人達と別れた後だけにバラバラとテントを打つ雨音に寂しさがつのった。

2008年10月7日(火)曇り
おやじ山の秋2008(キノコの収穫と森林施業)
 2日前から降り続いていたザーザー雨がようやく朝の6時前に上った。テントを這い出てキャンプ場の炊事場で顔を洗っていると、すぐ下の坂道をキノコ採りの籠を持った二人連れが大声で話しながら登っていく。二人ともかなりの年配に見受けられたが、雨が上って満を持したように軽やかな足取りである。(後日また同じ時刻にこの人たちを見かけ、「あれ!?」と思って声をかけたら、やはり1人は山芋掘り名人のMさんだった。)
 ガソリンコンロに火をつけて朝食の支度をしながら高台に出てみた。そして毎年キノコの出る斜面を覗くと、あるある!しっとり湿った赤土にアミタケの幼菌がずらりと顔を出していた。ようやく本格的なキノコシーズンの到来である。
 急いで朝食をとっておやじ小屋に向かう。途中の見晴らし広場でジカボウを採り、その先の山道で綺麗なウラベニホテイシメジを見つけた。
 今日の山仕事は杉林の幹の太さの測定である。今までかなり乱暴に間伐や枝打ち施業をやっていたが、ある山造りの本を読んで、これからはしっかり樹木の形状比(=樹高÷胸高直径)を計算して理論的に作業しないとダメだと今更ながら心を入れ替えたのである。春先の大風で数十本の杉が折れたり倒れたりしてダメージを受け、大いに反省したせいもある。
 いつもの癖(自分ではエンピツ削りと呼んでいる)で作業の前に今日の仕事とは全く関係ない小屋前の100年杉の幹に直径巻尺を回してみる。「63センチ、ほほう〜」そして次のもう1本、「59センチ、なあ〜るほど・・・」「では、その隣は・・・」と、肝心の杉林に入っての調査になかなか手が付かないのである。それでも午前に4段目までの杉林約80本を測って、「ここは間伐ではなく枝打ち中心で」などとおおよその見当をつけて回った。
 午後、カミさんも途中でキノコを採りながらおやじ小屋まで登ってきた。それでこの際だと今まで手付かずだったあれこれの作業をカミさんに頼んで(押し付けて?)、自分はヤマユリの広場の草刈りに取り掛かった。
 そして夜は二人ともぐったりくたびれて、互いの会話もなく冷たく更けていった。カミさんは「ワタシ、今日はとことんコキ使われました」と、まあ機嫌が悪いのなんのって・・・何年経ってもなかなかムツカシイものである。
2008年10月8日(水)薄曇り
おやじ山の秋2008(ガマズミ酒)

 昨日キノコの初物が採れたので、朝早く実家に届けに行った。実家は信濃川の堤防が望まれる村外れにあって、家の南側からは広々とした田んぼがJR信越線の土手に沿って続いている。そして今頃の時期は稲刈りの終わった田んぼに短い切り株だけが並んでちょっと寂しい風景なのだが・・・何と今年は一面茶色く枯れた背の高い雑草がふてぶてしく風に揺れていた。近隣の田んぼが一斉に米作りを止めたのである。減反があり、農家の高齢化が進み、そしてこんな所に本当に必要なのか、道路建設の計画があるのだという。
 山では新聞を読んでいないので早速実家の居間にあった新聞を手に取ると、日本人3氏のノーベル物理学賞受賞の大見出しである。(そして夕方にはさらにノーベル化学賞受賞のニュースが飛び込んできた)荒んだ風景に萎んだ気持ちがいくらか晴れ晴れと持ち直してきた。
 キャンプ場に戻るとカミさんが立派なジカボウを笊一杯獲っていた。昨日獲ったアミタケと合わせて全て塩漬けにする。
 午後2時過ぎ、はっと思いついて八方台に行ってみることにした。先日Sさん夫婦を案内した時にキノコの出そうな場所があったからである。目当ての場所には何も無かったが、それでもいくらかのアマンダレ(長岡の地方名)を獲って帰ってきた。
 八方台からの帰り、久々に悠久山湯元館に寄ってお風呂をご馳走になった。そして風呂から上がるとロビーのテーブルの上に「ガマズミ酒」が用意されている。宿のご主人が丹精込めて作られた果実酒である。カクテルグラスの中でキラキラと朱色に輝く美酒をいただき(さらにお土産にペットボトルに詰めたガマズミ酒を頂戴し)テントに帰った。







2008年10月10日(金)晴れ
おやじ山の秋2008(「ベン・ハー」)

 6時に起きた。朝はヒンヤリ涼しいのだが、ここ数日間昼の気温が25度にもなる夏日が続いている。何やら薄気味悪い変な気候ではあるが山の作業では晴れた日は有難い。
 それで明日から森林インストラクター神奈川会の人たちがおやじ山を訪ねてきてくれるので、少しでも山を整備しておこうと思った。今さら
慌てて手を入れたところで砂漠にションベンで(下品な言葉で失礼しました!)全く変わりようもないのだが、まあ自分自身の気休めのようなものである。
 おやじ山に入って道のすぐ右側に「楢の森」と名づけた2000平米ほどの緩やかな斜面がある。名前の通りコナラ中心の落葉広葉樹の森だが、一抱えもある太いホオノキや杉の林も混じっている。昨年の春、この森が以前と比べて随分暗くなったことに気付いてチェーンソーを入れた。50年生の太いコナラ2本と亜高木層を形成していた何種かの広葉樹を伐り倒したのである。その伐倒木がいまだ放置されたままになっていた。(一部はシイタケのホダ木に使ったけど)今日はチェーンソーを使ってそれらの玉伐りと、伐った丸太を運び出せるだけ運び出そうという計画である。
 そして結果は、予想通りいくらも作業が捗らないうちにへばってしまった。玉伐りはともかく、丸太をマニラ麻のロープで括って斜面を引揚げる作業でとことん体力を消耗した。まるで昔観た映画「ベン・ハー」の奴隷仕事みたいだなあ(チャールトン・ヘストン、カッコ良かった!)、と一人で笑ってしまったが、これで腹の筋肉が弛んで力が出なくなったのかも知れない。今日もまた、この時期に出てくる嫌なカメムシが日差しに誘われてブンブン飛び回るほどの気温で、全身汗ビッショリになった。
 それでも昼の休みにダッチオーブンを囲炉裏にかけて豚肉の燻製を作った。以前試しに作ってみたら実に美味く出来て、ちょっと病みつきになりそうである。

2008年10月11日(土)雨
おやじ山の秋2008(八海山飲み尽くす)

 今日は遙々森林インストラクター神奈川会のSさんとTさん、それにTさんの山友達のKさんの3人が来てくれる日だが、生憎の雨模様になった。SさんとTさんはこの春にもおやじ山を訪ねて下さって、今回で2度目である。
 約束の9時過ぎに長岡駅の改札口に出迎えに行くと、既に東京から深夜バスに乗って来たというSさんがニコニコと待っていた。「Maxとき」がホームに着いて大きなリュックを背負ったTさん達が降りてきた。今日からの3連休をおやじ山で過ごすテント泊だが、まるでヒマラヤ登山ほどの大荷物である。Kさんとは初対面で賑やかな挨拶を済ませて早速キャンプ場に
向った。
 テント場に着くとまた雨が降り出した。仕方なくキッチンテントの椅子に3人を案内して、「ずっとカラカラ天気が続いて、この雨でようやく4,5日前からキノコが出始めました」と何やら弁解するような気持ちで皆さんに説明する。「それでキノコ採りがドッと山に入って来て・・・ホラ、こんな雨の日でも、あそこにキノコ採りが・・・」とテントから見えるすぐ下の林でごそごそ探し回っているキノコ採りを指差した。「エッ!」とSさんは俄かに落ち着かない様子である。そしてSさんはこんな所でノンビリしている暇はないとばかりに「さあ、ひとに獲られないうちに早くキノコ採りに行きましょう!」とせっつくのである。
 アミタケの生えている例の高台の斜面に3人を案内すると、皆もう夢中である。そしてへぎ蕎麦の昼食を摂ったあと、キャンプ場をぐるり回ってジカボウやハツタケなどを収穫してテントに戻った。
 夕食時には時折激しい雨足がキッチンテントを叩きつけたが、その中で明々とガソリンランタンを灯して暖をとりながら、里芋たっぷりのキノコ汁とムカゴ飯の楽しい晩餐会となった。そして何と、この夜一晩でSさん差し入れの銘酒「八海山」の一升瓶が底をついたのである。やっぱりSさんは「酒飲(シュイン→シュンリン→森林?)インストラクター」の称号を持つ猛者だった。
 

2008年10月12日(日)晴れ
おやじ山の秋2008(サルナシとガマズミ)

 晴れた!二日酔もなく体もスッキリ爽やかである。朝6時半、みんなで携帯ラジオから流れるピアノの音に合わせてラジオ体操をやった。まるで子どもの林間学校みたいである。
 そして朝食を済ませてから、それぞれキノコ狩り用の袋を手に持っておやじ小屋に
向った。収量は少なかったが途中ポツポツとアミタケ、ジカボウ、カタヒラ(スギヒラタケのこと。数年前中毒事件があって毒キノコと騒がれた)などが獲れた。おやじ小屋に着いてリニューアルされた小屋を見て、TさんもSさんも「凄い凄い」と誉めてくれた。とても嬉しかった。二人が春に来た時には殆ど四方の壁はトタンを立て掛けただけの惨めな姿だっただけに、今回は余計に立派に見えてしまったのかも知れない。
 例年なら今の時期、おやじ山にはシメジ類やナラタケ類のいろんなキノコが出るのだが、如何せん今年はトップバッターのアミタケが出たばかりである。それでここでのキノコ狩りは諦めて、カミさんはTさんとKさんを伴って谷川に下って行った。昨晩好評だったヤマノイモのムカゴと塩漬け用のミズ(ウワバミソウ)を採らせるためである。Sさんは小屋に残って焚き火をしたり、最近チェーンソーの講習会に参加したといって私のハスクバーナーを持って丸太の試し伐りなどをやっていた。何しろSさんは「私、『湘南の樵』になります!」と大真面目である。このネーミングが、キラキラとモダンな海のイメージと毛深い太古の森のイメージの奇妙なドッキングで思わず笑ってしまった。
 昼前に一度キャンプ場に戻り、午後からは車で八方台の「いこいの森」に行った。目当てはKさん憧れのサルナシの実とSさんが初挑戦するガマズミ酒作りの果実採取である。
 待望のサルナシは人にも採られず、太い蔓にビッシリと実っていた。初めのうちはKさんに渡すつもりでもぎ取っていたTさんやSさんも、あっちにもこっちの蔓にもと立派なサルナシの実が次々と目にとまって、「これは!」とエンジンがフル回転になった。「もう、そろそろ次のガマズミ採りに・・・」と何回か声をかけても、女性陣はその都度「ハイ!」と答えるものの蔓に伸ばした手が止まらないのである。「モダンタイムス」のチャップリンみたいになってしまった。
 ようやく遅い昼食のおにぎり弁当をコンクリート造りの東屋の中でとって、今度はガマズミの実の採取である。開けた森の道脇には大粒の実を結ぶミヤマガマズミがいたる所に生えている。これもいくら摘み取ってもキリが無いのだが、女性陣はなかなか手が止まらない。Tさんは「小鳥さんにも少しは残しておかないとダメねえ」とさすが森林インストラクターらしく殊勝に呟きながらも、一網打尽の奮闘ぶりである。「何ですかねえ、女性は子育てのためにやたら溜め込むという癖(へき)がいつまで経っても抜け切れないのかも知れませんねえ〜」とは、溜め息混じりのSさんの説である。
 テントに帰って今晩も獲りたてのキノコで芋煮の鍋を作った。そして遠くに拡がる長岡の街の灯を見ながら賑やかな夕食となった。酔い覚ましに高台に立ってみると煌々とした十四夜の月明りだった。













2008年10月13日(月)晴れ
おやじ山の秋2008(俳句と名月)

 今朝もみんなでラジオ体操をし、終わってからパイプ椅子を持って高台に出た。そして並んで座りながら、眼下に広がる稲刈りの済んだ田んぼや邑や、遠くの町並みを見ながら少しの時間を過ごした。誰かが「こんなゆったりとした時間の流れはなかった」と言う。嬉しかったなあ。
 たっぷり朝食をとってから見晴らし広場まで車に乗り、もう一度皆さんをおやじ小屋まで案内する。作業道路の途中で地元で熱心に活動している森林インストラクターのMさんにお会いした。近々ここで植樹会のイベントをやるので前準備をやっていたのである。車から降りてSさんとTさんを紹介した。
 見晴らし広場からおやじ小屋までの山道をみんなでキノコ目をして歩いたが、やはり今日は何も収穫がなかった。そして小屋の前で記念撮影をし、また同じ山道をぶらぶらと戻った。
 キャンプ場に戻りSさん達が帰り支度を整えてから、みんなで17号線を走って湯之谷温泉郷の大湯温泉に向った。その車の中でSさんが突然「出来た!」と声を上げた。何やら携帯電話でピコピコやっていたが、今回残念ながらおやじ山に来れなかったSEさんとメールでやりとりしている風である。多分、そのSEさんからメール送信された俳句に対するSさんの返歌 <おやじ山 ランプの下でキノコ汁>(湘南の樵)
 途中、越後川口の「道の駅 あぐりの里」で笹に包んだおこわ飯を買い、大湯温泉手前にある公園の「出会い橋」の上に座って包みを広げた。橋の上はポカポカと柔らかくて暖かい秋の日差しである。
 大きな湯船にゆったりと浸かってから3人が帰る長岡駅に向った。途中信濃川の「妙見堰」に立ち寄ってサケの遡上を橋の上から覗き込み、午後4時少し前に長岡駅でTさんKさん、そしてSさん達を見送った。
 満月の夜だった。夜中にトイレに起き、そのまま煌々とした月光に誘われて一人で音痴な歌を口ずさみながらキャンプ場をさまよっていた。

2008年10月16日(木)晴れ
おやじ山の秋2008(ゴマダラチョウ)

 朝起きて高台に出てみると、目覚めたばかりの西の空に満丸の真っ白な月が浮かんでいた。一晩中ニコニコ黄色く笑っていた満月が徹夜明けで疲れて顔色が失せた感じである。
 おやじ小屋への「出勤」でカミさんに車で見晴らし広場まで送ってもらい
、ついでに山道を小屋まで歩いてついて来てもらった。昨日みつけたナメコのホダ木を見せるためである。昨年の春、伐り倒したクルミの木にナメコの駒菌を打っておやじ池の縁に転がしておいたのだが、それをすっかり忘れていた。猛々しく伸びたゼンマイの葉でホダ木が隠れて見えなかったせいもある。昨日ハッと思い出して行って見ると、びっしりとナメコが生えていた。それでカミさんに今夜の夕食用にいくらか持ち帰ってもらった。
 今日は1日中ヤマユリの広場の整備に費やした。ここは何年か前から手を入れたせいで見る見るヤマユリが増えて来た。隣の杉林から倒れ込んだ倒木を玉伐りしたり、刈ったまま放置しておいた柴や草をフォークで掻き集めたりした。
 日中は気温が上ってやたらカメムシが飛び交った。珍しく昨年は少なかったが、逆に今年は大発生である。 昼の休みに椅子を出して日向ぼっこをしていると、ヒラ〜リ、ヒラ〜リと大きな蝶が飛んできて直ぐ脇の柱に止まった。翅がボロボロのゴマダラチョウである。この蝶は春・夏年2回発生する蝶だが秋のこの時期に見かけるのは初めてである。「ほほう〜」と顔を近づけても逃げるほどの体力もなく瀕死の風情なのだが、なんと卵管を頻りに柱に押し付けている。ゴマダラチョウの幼虫の食草はエノキとエゾエノキだが、その木まで辿り着けないままの産卵行為だった。弱い風にまたフワリと浮いて近くの杉の葉に止まった。「あれあれ」と近寄ってみるとここでも葉に卵管を何度も押し付けている。そしてまた風に流されるようにして下の谷に落ちて行ったが、死を直前にして執念にも似た新たな命を産む営みに何やらゾクッと体が震えるようだった。
 今日もとことん消耗した。真っ赤な夕陽を体に受けて、俺も瀕死の状態で山を下った。

2008年10月18日(土)晴れ
おやじ山の秋2008(ベン・ハー・ツー)

 Oさんが昨日から山仕事の手伝いに来てくれている。有難いことに昨晩はOさんが寺泊の魚市場で買ってきたというカニ、ウニ、マグロの高級食材の差し入れで全く豪華な夕食になった。たっぷりとリキ(力)をつけた訳である。
 それで今日は朝食が終わってすぐに、Oさんカミさんと3人でおやじ小屋に「出勤」した。今日の作業は「楢の森」で玉伐りしたまま放置しておいた丸太の運び出しである。太さが40pほどもあるコナラの元口の部分で、例によってマニラ麻のロープを丸太に巻きつけて引っ張る算段である。先ずは3人がかりでOさんとカミさんがロープを持ち私が丸太の端を瞬間持ち上げる間に2人でズズッと斜面を滑らせて引っ張り上げる。「セイノ〜・ドン!」「セイノ〜・ドン!」を何回か繰り返して山道まで引揚げて、後はOさんとカミさん2人で一気に焚き火場の縁までロープで運んでもらった。「いや〜これもベン・ハーの奴隷仕事だなあ」と自分は見ているだけで気の毒に思ったが、二人とも呆れ果てて笑っている。今日はこの二人を「ベン・ハー・ツー(2)」と呼ぶことにした。結局太い丸太4本を運び上げた。
 先日Tさん達が来た時に差し入れてくれたモチを囲炉裏で焼いて力餅の昼食をとり、午後は杉の森に入って春に倒れた杉の片付けをやった。そして3時前にはみんなで山を下りて「麻生の湯」に入りに行った。
 露天風呂に浸かって縁木に頭を載せて空を見ると、無数の赤トンボが暮れなずむ夕空をバックに西から東の方向に飛んでいた。まるで唱歌か童謡の歌詞そっくりの風景でいつまでも見飽きなかった。つくづく「ああ〜幸せだなあ〜」と何とも懐かしい風景に体も心もすっかり温まった。

2008年10月19日(日)晴れ
おやじ山の秋2008(にいがた「緑」の百年物語)

 午前6時の山寺の鐘の音を聞き、隣のテントに寝ているOさんのいびきを聞いていたら、また眠りに落ちてしまった。そして今度はキャンプ場下の駐車場から車の発進音が聞こえて来た。カミさんが「Oさん帰りましたよ」と言う。「ウン・・」。「Oさん、もう帰りましたよ」ともう一度カミさんの声が聞こえた。「・・・ああ」。遙々信州から手伝いに来てくれたのにOさんを見送らずに帰らせてしまった。昨晩は街に下ってOさんと娘さん夫婦と遅くまで飲んで、今朝はなかなか立ち直れないでいた。
 ようやく10時前、小屋への出勤でキャンプ場を出ると、今日は地元の森林インストラクターMさん主催の植樹会で広場に人が集まり始めている。そして作業道路を登って行くと道脇のイベント会場に<にいがた「緑」の百年物語>の幟旗が立っていてYさんが忙しく準備に追われていた。しばらくするとMさん先頭に植樹会の参加者が谷川沿いの道をやって来た。そしてMさんから今日の講師の樹木医のSさんを紹介された。
 おやじ小屋に着いて物置からシャベルを取り出し植樹会の会場に急いだ。はっと気付いて自分も飛び入り参加させてもらおうと思ったからである。そしてMさんからブナのポット苗を貰い私も丁寧に植えさせてもらった。
 作業が終わってみんなで記念撮影をした後、道向こうのカツラ林の中に移動して昼食である。スタッフがトン汁を用意して参加者に「お疲れさま〜!」とニコニコと手渡している。私も1杯分けて貰い、そしてMさんのご祖母が作られたという珍しいトチモチを頂戴した。聞くと「ほら、そこの木の実を拾って作ったんです」とMさんは傍らに生えている1本のトチノキを指差した。綺麗なクリキントンのような色をした団子で、食べた後に渋味とほろ苦さが残る野趣満点のおやつだった。
 皆さんに挨拶しておやじ小屋に戻ったが、今日は大した仕事もせずにのんびりと過ごした。夕方珍しく強い風が吹き抜けて、くっきりとした夜空に綺麗な月が浮かんだ。

2008年10月20日(月)晴れ
おやじ山の秋2008(3度目の正直)

 今日は伊豆から友人のK夫婦がおやじ山に来てくれた。今では伊豆に永住しているが二人とも長岡の出身で、やはり子どもの頃の山遊びが忘れられないという。それで数年前から遙々おやじ山にやって来て、この辺りはアミタケ、ここはキンロクの場所、とすっかりキノコ採りのベテランになってしまった。
 しかし今年は何とも間が悪く、3度目でようやくキノコ採りが実現した。最初の予定日は山がカラカラに乾いて毒キノコ1本見当たらず、「今来ても何も無いです」とこちらから断り、2度目は確か・・・Kさんの喉が潰れて(大声を出し過ぎて・・・?写真の通り間違っても夫婦喧嘩などではなく、Kさんは各地を講演して回ってる人だから)延期、そして今回、ようやく3度目の正直となった。
 午後1時、K夫婦の車がキャンプ場に着いて二人がニコニコとテント場に上って来た。今年は伊豆で見つけたという専用の竹籠をそれぞれ持って一段と鼻息も荒いのである。それで早速、先ずはキャンプ場に生えている「このキノコはもうツバを付けてますよ!」(そんなことを言っても自然のものは獲ったが勝ちなのだが)とカミさんがぐるりと回りに棒を差しておいたシャカシメジ(センボンシメジ)を採らせ、次いで高台に出ているアミタケ、それから自然観察林内の杉植林地の中の山道でカタヒラ(スギヒラタケ)を採りながらおやじ小屋に向かった。
 リニューアルした小屋に「やあ、立派になったねえ。凄い、凄い」とお二人からのお誉めを頂戴し、私もプロ級の腕を持つご主人が春に作って持って来てくれたサッシ窓の型枠のお礼を改めて述べた。
 夜はK夫婦から食事に招待された。そしてKさんの同級生が営んでいる割烹料理店でご馳走になり、ワイワイと楽しい時間を過ごして午後9時過ぎにキャンプ場に戻った。

2008年10月21日(火)晴れ
おやじ山の秋2008(ナラタケ防衛)

 午前3時半頃パラパラとテントを打つ雨音が聞こえたが、朝になって雨も上り霧が出ていた。今日はKさんとも友だちのFさんが横浜からキノコ採りに来ることになっている。何しろFさんがキノコシーズンにここに来るのは初めてなので、何も無くてガッカリしてはと予め収穫できるキノコを確保しておいた。炊事場の脇に枯れたコナラの大木があるが、この根元に毎年ナラタケが発生する。そのキノコが数日前にようやく顔を出してKさんやFさん達が来るまでの成長を楽しみにしていた。昨日はK夫婦にもこのナラタケを見せて、Kさんには「早く大きくな〜れ」と成長を促す水までかけてもらって、まあ気持ちの中でツバをつけてた。
 ところが!今朝、カミさんが炊事場に向うと、毎朝犬の散歩でキャンプ場にやってくる顔見知りのNさんがこのナラタケを獲っていた。ビックリ仰天したカミさんが、「あのう〜、誠にスミマセンけど、今日遙々伊豆と横浜からキノコ採りに来る人がいますので、残しておいてくれません?」と頼んだ(阻止した?)と言う。ここ長岡の伝統では、仮に自分の持ち山であろうとそこに生える山菜やキノコは誰でも自由に採れて山主はいっさい文句を言わない、という謂わば入会地に似た習慣が昔からある。ましてや公共用地のこんな場所では正に「先に獲ったが勝ち」で、よくぞカミさんはこんな呆れたことを口に出せたものだとホトホト感心してしまった。怖いもの知らずというか、知らぬが仏というか、大した度胸である。自分ならとてもそら恐ろしくてこんな事・・・
 8時半過ぎにK夫婦とFさんが一緒にキャンプ場に来た。早速KさんFさんに守り切った(俺じゃないけど)ナラタケを採らせ、カミさんだけをキャンプ場に残してスギの植林地の山道に向った。目当ては昨日採り残したカタヒラ(スギヒラタケ)である。数年前の中毒事件以来このキノコは図鑑でも完全な毒キノコ扱いで、おやじ山でも今や殆ど採る人がいない。Kさんもカタヒラを見つける度に「あったあ!毒キノコ!」と叫ぶものだから、ご主人はその度に「毒キノコなんかじゃないってば!」といちいち訂正するのである。(注:未だにKさんから中毒したという知らせが無いので、大丈夫そうである。しかし普段食べ慣れてない人は、やっぱり止めたほうが良いかも・・・)そしてKさんがここでナメコを何本か見つけたのにはちょっと驚いてしまった。 それからおやじ小屋に行き、幾分崩れ始めていたが池の縁の栽培ナメコを採ってもらった。
 山を下ってテント場に着くとカミさんがキノコ汁の用意をしていてくれた。中の具は、アミタケ、ジカボウ、ウラベニホテイシメジ、オオイチョウダケ、カタヒラ、ナメコ、ナラタケの7種類のキノコ、里芋、ナス、油揚げ、豚のバラ肉、そして仕上げに長ネギを入れ、鍋を火から下ろす直前に食用油を垂らして出来上がりである。これを地面に敷いたブルーシートの上で車座になって囲みながら賑やかなキノコ汁パーティになった。
 午後2時、K夫婦が伊豆に帰って行った。そしてFさんを伴って大湯温泉で汗を流した後、上越新幹線の浦佐駅でFさんともお別れした。
 

2008年10月22日(水)晴れ
おやじ山の秋2008(乳の高さ)

 おやじ山でアマンダレ(ナラタケ)とカタヒラ(スギヒラタケ)がそこそこ採れたので実家に届けに行った。どちらも長兄の大好きなキノコで味噌汁にするといいダシが出る。実家の庭ではちょうど雪囲いの最中で4人の植木職人が忙しく立ち働いていた。それでしばらく見学することにした。
 大よその手順は、植木を板や丸太で三角に囲い頂点を藁縄で縛ってから縄の1端をスルスルと下に落とし、今度は各枝を結わえながら吊っていくのである。「上手いもんだなあ〜!」と感心して声をあげると、「男結びはキリッとして気持ちがいいやね」と職人さんが答えた。私は藁縄をこんなに綺麗には結べないが、やはり山仕事ではこの男結びである。
 「休んでくんなっしょ」と兄嫁が職人達に声をかけてお茶の休憩となった。縁側に腰を下ろした親方に「今年の雪はどうですか?」と尋ねると、「去年のカマキリの巣はこんげだったが(と膝の下を示し)、今年は胸のチチ(乳)のあたりに産んでるね」という答えだった。長岡在住の酒井與喜夫氏は「カマキリは大雪を知っていた」という著書でカマキリの驚くべき予知能力を紹介したが、この辺の人たちは昔からこんな言い方で積雪を予測していた。
 実家を出てそのままキャンプ場には戻らず、蓬平温泉から竹之高地、そして南蛮山の展望台までドライブした。薄い靄がかかっていたがそれでも長岡の街が一望である。それから細い山道を慎重に運転して下り、町田の浄照寺の脇に出た。このお寺の境内に上る長い石段の途中に小さなお堂がある。高校時代の夏休み、毎日お袋に弁当を作ってもらって自転車でここまで通い、そしてこのお堂の中で勉強(殆ど昼寝?)していた懐かしい場所である。今は、お堂に鍵がかけられていた。

2008年10月23日(木)朝小雨〜晴れ
おやじ山の秋2008(Sさん)

 いろんな夢を見てしまったせいで、目が覚めても何やら精神疲労でぐったり草臥れてしまった。カミさんが下の炊事場の方からナラタケが大きくなったと叫んでいたが、夢の中でこの大声を聞いてうなされたのかも知れない。それで仕方なくヨロヨロとテントを出てキノコを見に行った。なる程随分成長している。地面が少し雨で湿っていてこれからますます楽しみである。
 朝食が終わって炊事場で歯を磨いていると、下の道を歩いていた男性が突然私の名前を呼んだ。「え!?」と身を乗り出して下を見ると、何と日赤町のSさんである。Sさんはキノコ鑑定の大ベテランで、お会いしたのは4年ぶりである。聞くと今年会社を定年退職し、今度の休日には地元の公民館でキノコ品評会を開催するのでそのサンプル集めに来たのだと言う。懐かしかったなあ〜
 おやじ小屋に出勤して今日も杉林の倒木の片付けをした。太い木はチェーンソーで4玉に伐り、末口の先の材も将来掘立て小屋でも作る時の柱材にと薪置き場まで運んだ。暖かい南西の風がずっと吹いていて日中の気温は23度まで上った。全く地球温暖化の異常気象である。
 暗くなり始めたので仕事を止して尾根伝いに山を下った。キャンプ場の上の広場に来ると朽ちた立木にビッシリとナラタケが生えている。もう手元も暗くなったので明日の朝採ることにした。

2008年10月24日(金)雨
おやじ山の秋2008(キノコ獲りの執念)

 昨夜から雨が降り始めた。何と10月6日以来18日ぶりの待望の雨である。昨日、山仕事の帰りに見つけたキャンプ場上のナラタケを朝起きたらすぐに採りに行くつもりだったが、「こんな雨の日の早朝にキノコ採りにやってくる気狂いもいないだろう」と寝袋に包まったままグズグズしていた。それでも山寺の6時の鐘が鳴ったのでカミさんにキノコを入れる大鍋(小鍋じゃなくて大鍋ですよ!)を持たせ、私は見事に生えていたキノコの写真を撮ろうとデジカメ持参で現場に行った。「な・な・何と!!!獲られてる!!!」長岡人のキノコ獲りの執念たるや、恐るべしである。
 今日は雨で山仕事は止め、ナラタケショックを癒すために一軒宿の三島谷温泉に行って400円で湯に浸かった。

2008年10月26日(日)曇り
おやじ山の秋2008(きのこ鑑定会)

 午前中、おやじ小屋の下の斜面で灰捨て場を作るためにシャベルで穴掘りをしていたら、突然頭の上から「こんにちわ!」と挨拶されてビックリした。こんな山奥までめったに人が来ないのでいきなり近くで声を掛けられると驚いてしまう。カミさんにも「おやじ山に来たら俺の後ろでいきなりワッと声を出さずに遠くから先ず第一声を発しなさい」と注意してある。(それでカミさんは山の入口で先ず「ヤッホー!」と叫ぶ。知らない人は「仲がいいですね」などと言うが、とんでもない、私に心臓麻痺を起こさせないための単なる合図である)「ビクッ」と手を止めて上を見上げると品のいい老人がニコニコと笑っている。いつもは鋸山や三ノ峠山に登るのだが、今日は天気が悪くなりそうなので「はて?この道はどこまで・・・」と探検にやってきたのだという。そして「途中、山道が綺麗に草刈りしてあって気持ちが良かったです」と誉めてくれた。お茶でも出したかったが生憎今日は囲炉裏に火を入れてなく、老人も「どうぞそのままで、いや〜お仕事の邪魔をしてしまって」と帰って行かれた。
 午後は先日お会いしたSさんが主催している「きのこ鑑定会」を見学に行った。公民館のロビーに大きなテーブルを置いて、その脇でSさんとAさんという女性が持ち込まれるキノコの鑑定やテーブルに広げられたキノコの解説をしていた。Aさんとは初めてお会いしたが、いろいろ話してるうちに大した女傑だと感服してしまった。遙々ロシアまでキノコ採りに行ったという話しや、神奈川きのこの会の人達をここ長岡の成願寺温泉に招いて品評会をやったという話や、今度はカナダでのキノコ探しを企画しているという話や、多分70歳程とお見受けするこの人の熱意とバイタリティに恐れ入ってしまった。
 Sさんからの連絡でSさんの奥様も公民館に来られた。以前は秋のキノコシーズンになるとよくお二人でおやじ小屋を訪ねて来て下さった。奥様が自宅から持って来られた美味しいコーヒーを頂き、そして帰りには沢山のおみやげまで頂戴して公民館を辞した。

2008年10月27日(月)雨
おやじ山の秋2008(ラジオ体操の曲)

 昨夜から猛烈な雨である。一晩中雷も鳴り止まず、一発(というのかどうか?)キャンプ場近くに雷が落ちた。「バリバリ!ド〜ン!」と正に耳を突ん裂くような轟音だった。
 バラバラと激しい雨音がテントを打つ中で寝袋に包まって6時半のラジオ体操の曲を聴いていた。雨の日はいつもこうしてイメージトレーニングの体操である。しかし、このラジオ体操のピアノ曲、よくよく聴くと実に名曲である。そして今日の第一体操と第二体操の間にある「首の運動」の伴奏曲は「旅愁」だった。
枕の上で少し首を動かしながらピアノ伴奏に合わせて歌詞を口ずさんでみる。
「首の前後運動」♪ふ〜けゆく〜秋の夜、た〜びの空の〜
「そして首の左右」 わ〜びしき〜思いに、ひ〜とり悩む〜
「今度は首を回して」 恋〜いしや〜ふ〜るさと〜、懐かし父〜母〜♪・・・思わず泣いてしまった。
こんな伴奏曲で体操させるなんて、ちょっと罪じゃないかなあ〜
 午後、やはり雨が降り続き、しかたなく川口温泉に行った。そして雨の当たる露天風呂に浸かりながら眼下に広がる魚野川と信濃川とを眺めていた。そしたら自然に朝の首の運動の伴奏曲が胸の中で聞こえてきて小さな声で歌詞を口ずさんだ。
 ♪ふ〜けゆく〜秋の夜、た〜びの空の〜
 わ〜びしき〜思いに、ひ〜とり悩む〜
 恋〜いしや〜ふ〜るさと〜、懐かし父〜母〜♪・・・やっぱりここで・・・風景が滲んでしまった。
 

2008年10月28日(火)雨
おやじ山の秋2008(叔父の訃報)

 この秋一番の冷え込みだという。そして実家から、今朝午前3時過ぎに館林の叔父が亡くなったという知らせが入った。
森のパンセ−その27- 「別れ」)をアップしました。