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2008年9月21日(日)雨
おやじ山の秋2008(歓迎の雨)

 午前2時半に藤沢の自宅を車で出発し、郷里長岡のおやじ山に向った。国道1号線、横浜新道、環八通り、そして関越自動車道の練馬インターを深夜の割引が利く午前4時直前に通過して、朝8時におやじ山の麓のキャンプ場に着いた。しばらくして出勤してきた管理人のKさんとⅠさんに「おはようございます!」と挨拶すると、「はい、お帰りなさい」とニコニコと返事が返ってきた。
 キャンプ場の下の「ふるさと体験広場」で農業まつり
が開催されていて稲刈りのイベントや竹とんぼ作り、それにいくつかのテントで野菜などが売られている。ここで昼飯用のおこわご飯を買っておやじ小屋に向った。
 鍵を開けて(以前は鍵などなかったけど、今度小屋をリニューアルしたので一応つけてみた)小屋の中に入り、新しく取り付けたサッシのガラス窓を開ける。そして窓から首を出して「やッ、コンニチワ!」などと一人で呟いてみる。(傍から見たら「あいつバカじゃないか?」と言われそうだけど・・・)全くおやじ山に来たことが嬉しくて仕方がない。それから囲炉裏に火を焚いた。
 夜は物凄い雨になった。トタンの屋根を「バラバラバラバラ」とまるで霰か雹でも降っているようなうるささでなかなか寝つかれない。まあ、今夜は一晩中起きててもいいかあと腹を括った。

2008年9月22日(月)曇り
おやじ山の秋2008(墓参り)

 明日の彼岸を前に実家近くにある菩提寺のおやじとお袋の墓にお参りに行くことにした。昼前に小屋を出て山道を下るといつもの場所にキンロク(ニンギョウダケ)が出ていた。兄貴が大好きなキノコで実家へのおみやげに掘り取った。
 見晴らし広場に着くと立派な捕虫網を持った2人の少年が展望台の上でインスタントラーメンの昼食を作っていた。「ほほお~」
と興味を覚えて下から声をかけた。付属中学校の生徒で今日は学校が休みだという。「何捕ってるの?」と訊くと「ヒョウモンチョウ」といささかマニアックな答えが返ってきた。今年見たゴマダラチョウの話しやOさんがこの山で今年の7月に見たというカブトムシの大発生の話しをすると二人とも目を丸くして「見たかったなあ!」と溜め息をついていた。
 麓のスーパーマーケットで花とロウソクだけを買って菩提寺に行き、おやじとお袋の墓の前で手を合わせた。墓地の西側には稲刈りの始まった黄金色の田んぼが広がり、その向こうに信濃川の緑色の堤防が長く続いている。まだ学校に入る前の小っちゃなガキの頃記憶していたままの懐かしい風景だった。
 



2008年9月24日(水)晴れ
おやじ山の秋2008(ヒメネズミの来訪)

 目が覚めたら何と朝の8時半だった。こんなぐっすり眠ったのは何日ぶりだろうか?3日前に小屋入りしてから嬉しくて夜の深酒が続き、昨日はまた雨水を流すための溝掘り工事で身体をかなり使った。内臓と筋肉の疲労が大分溜まっていたようである。
 外に出ると秋晴れの眩しい朝の光である。早速寝袋をユキツバキの株立ちの上に干し米を焚いて朝食を作る。そして小屋の裏のミョウガを採ってしっかり味噌汁も作った。おやじ小屋の周りにはミョウガ畑が何箇所かあるが、今は小屋のすぐ裏のミョウガ畑が最盛期である。実がパンパンに膨らんだおやじ山自慢のミョウガである。朝食を済ませてからヘビが出ないうちにと自宅に送るミョウガ採りをした。
 全く今日は実に爽やかな天候で明るい秋の陽ざしの中を涼風が吹き抜けて行く。山をゆっくり一回りしながらこれからの山造りや森の仕立てを考えてみた。高木層はコナラ、ミズナラ、ホオノキ、コシアブラ、中高木にアズキナシやヤマボウシ、そして低木層はタムシバ、オオカメノキ、ヤマツツジなど、そして若杉の森やヤマユリの広場にはブナと杉の混交林やブナが林立する美人林を造ってなどと、おやじ山にはいくらでも生えているこれらの木々を確認しながら夢が広がって行く。
 陽が落ちて気温が13度まで下がった。夕食は米を炊き味噌汁はキンロクのきのこ汁にした。そして囲炉裏の火も落ちたのでそろそろ寝ようかとゴザを敷いたデッキに横になった時、10センチにも満たない小さいネズミが天井の丸太の梁の上を行ったり来たりして時々止ってはこちらをまじまじと窺うのである。何ともその仕草が可愛くて思わず顔がほころんでしまった。このネズミの名は(チュウ太ではなく)ヒメネズミ、落葉の深い森に棲む半樹上性のネズミで、ドングリや昆虫を食べて生きている。実は昨晩もこのネズミが小屋を訪ねてきたが、今夜は囲炉裏の煙で追い出すことなどしないでおやじ小屋でチュウ太と一緒に過ごそうと思っている。(右の写真は以前物置小屋のダンボールに隠れていたヒメネズミです)






2008年9月25日(木)曇り、夕方から雨になる
おやじ山の秋2008(森の中の雨音)

 午前8時、昨日小屋の周りで採ったミョウガを家に送るために下山する。宅配便の配送センターで荷物を出してからスーパーマーケットに寄り当面の食料を調達することにした。2ℓ酒パック1本、発泡酒半ダース、水2ℓ入り2本、木炭6㎏、醤油1本、ピーマンとトマト少々、以上である。(どうも食料調達にしては嗜好に偏りがあるなあ~)それから食堂に入ってちょっと贅沢に思ったけど750円のランチ定食を注文した。
 小雨が降り始めたのですぐには山に戻らず麻生の湯に行くことにした。そしてたった一人の露天風呂でしょぼ降る雨に顔を打たれながら、目の前に広がるパッチワークのように刈り残された田んぼを長い時間眺めていた。そして湯から上ってから75リットルの大型リュックに今日の買物を全て詰め込んで暗い雨の山道をおやじ小屋に戻った。重かったなあ~
 夜になって雨が強くなった。トイレで小屋から外に出ると、暗い森の全体が「シャー・・・シャー・・・」と巨大なシャワーの水音で包まれている。「こんな雨音を聞くのもいいもんだなあ~」と用を足して小屋に戻ると、今度は「バラバラ、バラバラ」とトタン屋根を打ちつける雨音のうるさいことうるさいこと・・・

2008年9月26日(金)雨
おやじ山の秋2008(雨・雨・雨)

 一晩中トタン屋根を打ち付ける雨音を耳にしながら何度となく目を覚ました。午前7時、ようやく体を起こして頭の上のサッシ窓を開ける。そして携帯ラジオのスイッチを入れるが雨音がうるさくて良く聞き取れない。しかし今日の朝食はこのラジオの音に耳を傾けて美味しくいただいた。
 煙出しのために入口のドアを開けて囲炉裏に火を焚く。部屋の中は焚き火の煙、ドアの外も秋の雨に煙っている。
 今日は一日中囲炉裏の火を見詰めながら小屋の中で過ごした。そして時々ゴザの上に横になっては雨音が響くトタン屋根を見上げていた。おやじ山の雨が許してくれた有難い無為な一日だった。



2008年9月27日(土)大雨のち曇り
おやじ山の秋2008(昼の宴会)

 物凄い雨音で起こされてランプを点けた。午前3時だった。これ以上無いというほどの凄まじい雨足で、おやじ小屋が水浸しになるのではないかと思わせるほどの豪快な降りっぷりである。仕方なく(何で?)カップに冷酒を注いでラジオのスイッチを入れた。良くは聞き取れないが、それでも「ラジオ深夜便」で流れるアンカーの話し声や音楽はこんな夜には気分を落ち着かせてくれる。4時を回って雨の音が止み再び寝袋に包まった。そして7時過ぎに起きて窓を開けると幾分青空がのぞいている。 外の気温は10℃、バケツに汲み置きしていた水に手を入れると冬場の冷たさである。
 今日は麓のキャンプ場まで下りて昼食はスキー場ロッジで土、日と祝日だけ営業している食堂でマイタケ蕎麦(それに缶ビール1本)を食べた。さて山に帰ろうか、と作業道路の車止め前の広場まで歩いて行くと、駐車場に大型のキャンピングバスが停まっていた。そしてバスのボディからテントの庇を伸ばしてその下で4人の男女が食事をしている。ここでこんな車を見たのは初めてである。一度庇の脇を通り過ぎて、やっぱり気になって踵を返した。「何か楽しそうだなあ~」と庇の下の4人に声をかけた。するといきなり女性の一人が「キャー!一緒にどう?一杯呑んで行かない?」と抜群のレスポンスである。中の一人の男性も「どうぞ、どうぞ」と椅子を勧めるのである。「そうですか?それじゃあ~・・・」と椅子に腰を掛けて差し出された焼酎のコップを手にした。「マスター」と女性陣から呼ばれている男性が車に積んだ発電機から電源コードを引いて天ぷらを揚げていたが、これがまたパリパリと揚がったプロ料理で、他にサザエを殻付きのまま鍋で煮込んだ壷煮も絶品だった。このキャンピングバスで各地を巡った話などを聞いて愉快な時間を過ごしているうちに「あれ?この4人は誰かに似ているなあ」と咄嗟に思い出したのが、ずっと昔、テレビの「お笑い三人組」というコメディに出ていた俳優達である。最初の「キャー!」の女性が楠木トシエで坊主頭のマスターが三遊亭金馬、一番若い美人女性は・・・一龍斎貞鳳の相手役だった音羽美子、そしてちょっと年配の女性は清川虹子という感じだった。清川女史に「あんた何やってんの?」と訊かれて、「この上の俺の山で手入れなどして・・・」と答えた途端、音羽美子が「え!あんた大地主さん!ねえ、ねえ、私、貰ってくれない?!」と突進してくるのである。全く冗談だが思わず乗せられて「えへへへ・・・はい、いいです」と言いそうになってしまった。全く面白い人達に出会って楽しかったなあ。
 すっかりお神酒と料理をご馳走になり、ふらふらと山道を登っておやじ小屋に辿り着いた。囲炉裏に火を焚きラジオのスイッチを入れると大相撲の結びの一番が始まっていた。

2008年9月29日(月)曇り、朝の気温10℃、長岡地方に低温注意報発令
おやじ山の秋2008(三ノ峠の山小屋)

 今日はブナ平から続く尾根を登って三ノ峠山まで行ってみることにした。この山の頂上近くには次兄命名の「千本ブナ」という巨木が生えていて遠く長岡市街からも望むことができる。ここに実生の幼木でも生えていたら数本失敬しておやじ山に移植する算段である。
 おやじ小屋の裏の尾根を登ってしばらく歩くと、コナラの木の根元に白い巨大なキノコが4株生えていた。傘の大きさが25cmほどもあってずっしりと太い柄の長さも15cmはある。こんなキノコをおやじ山で見たのは初めてである。(小屋に帰ってから山渓カラー名鑑「日本のきのこ」で調べると「オオイチョウダケ」、味覚グレードは
●●●とあった)
 ブナ平からの尾根道は見違えるほど整備されていて、三ノ峠山の尾根に出る直下の急坂にはロープまで張られていた。千本ブナの周りもブッシュが綺麗に刈り獲られて鋸山も一望である。それでも小さなブナの苗を何本か見つけて掘り取り、それから春に来た時にTさんたち山の愛好家グループが造り始めていた山小屋を見に行った。びっくりするほど立派な小屋が尾根筋に建っていた。まだ外壁だけは完成していなかったが長岡市が一望できる西側には広いガラス窓が嵌められている。そして玄関のタタキは大きな1枚石が埋められたプロ仕様である。10時頃に下から声がしてグループの皆さんが登ってきた。春にお会いしたTさん、Yさんと三人の女性達である。「立派な小屋が建ちましたねえ。これはもうプロ仕様の仕事だなあ~」と心底感心すると、「ほら棟梁、誉められたよ」とYさんにニコニコ顔の女性達から声がかかった。ブナ平からの山道が立派になったことを訊くと、やはりこのグループが整備したのだという答えだった。
 この日、Tさんグループに会う直前だったが、山小屋の上空を2羽のサシバが旋回していた。「あ!俺の山に居たサシバだ!」と何故か確信して、とても懐かしい思いで姿が消えるまで仰ぎ見ていた。サシバもそろそろ南の国への渡りの季節である。
(巨大なキノコがオオイチョウダケと分かって、再び山に入って採ってきた。囲炉裏の火で焼いて食ってみたが柄はともかく傘はあまりいい味とは言えなかった。油で炒めるか煮物が合いそうである)
 

2008年9月30日(火)晴れ
おやじ山の秋2008(幻のキノコ)

 夜中に目を覚まし手を伸ばして頭の上のサッシ窓を開けた。そして寝袋に横になったまま暗い窓の外に顔を向けた。どっしりと聳え立つ100年杉の黒い影の先に満天の星が煌いていた。そんな星空をじっと眺めながら、昨夜の「NHKラジオ深夜便」で聴いた「NPO地球のステージ」代表で精神科医師の桑山紀彦氏のインタビューを思い出していた。
 桑山医師はフィリピンやソマリア、東ティモール、旧ユーゴスラビアなどの貧困や紛争地域に出かけて行っては、そこの子どもたちに精神科医としての支援活動を行っている。かつて日本各地や世界を放浪しながら「自分は何を目指して生きてきたか?そしてこれから、何を目指して生きるのか?」を模索した末の行動である。想像を絶する悲惨な環境の中で生き抜いているという世界の子どもたちに対し、「あなたが期待する事は?」のインタビュアの問に、桑山医師はキッパリこう答えた。「それは、我慢する力、そして創造する力です」。 子どもたちが今必要としている物資は山ほどあるだろうが、彼らにとって未来への希望を諦めずに持ち続けることこそ真に必要なのだ。その根底となる忍耐や創造する力を持たせることこそ自分の使命だ、と桑山医師は言いたかったのだろう。果たして俺は、今から次世代を担う子どもたちのために一体何が出来るのだろうか?
 実は昨日、三ノ峠山に登って一人のキノコ採りに会った。装備が並みのキノコ採りと違うので「どこまで行くんです?」と声をかけた。しぶしぶこの男性が答えたのが「ず~と奥。萱峠の方・・・」である。更に聞くと、何と!昨年ミズナラの根元でマイタケ5株とシシタケ(コウタケのこと)を採ったのだという。「え!どこで!?」と身を乗り出すと男はビックリしたように後ずさって「・・・・・・・・・」と黙り込んでしまった。それで今日もまた(今度はキノコ用の籠を持って)三ノ峠山に登ってしまった。そして山菜の宝庫「水穴」を更に通り越してミズナラの大木の下を探し回ったが、菌のカケラも見つけられなかった。三ノ峠からの帰りにはずっと以前の約束の物を取って麓まで下り、用事を済ませてから久々に長岡温泉に浸かりに行った。夢中で山中を歩き回ったので体がくたくたである。タイル張りの湯船に入って体をほぐしているうちに気が付くと外が暗くなっている。慌てて風呂から出て真っ暗な山道を大急ぎでおやじ小屋に帰った。
 今夜もチュウ太が小屋に遊びに来てくれた。